壽限無
お芽出度お話を申上げます、子寶と申しまして世に子ほど大切なものは御座いません、最も子供より金の方が宜いと云ふ方も大分見へますが、子供があると無いとは年を老てから違ひます、御婦人は子供を產のが役で、俗に云ふ疊の目が見へないと云ふ位ゐの苦しいもので、當今は產婆學校卒業の若いお婆さんが御座います、女が年を老れば婆と極つて居る、處が十八歲二ヶ月抔と云ふ老婆が御座います、夫でも表看板には產婆と書て御座います、本來は產若としたら宜さそうなもので、昔は六十何歲七十歲位ゐなお婆さんが世話をいたしました、當今は子を產む女が三十八歲で產婆が十八歲、大變なお婆さんがある 熊「何うしたエ生れたか 女「無事に產落しましたヨ 熊「生れたのはお姬さまか若樣か 女「何を云つて居るんだネ、男の子だヨ 熊「男とくれば若樣だらう、其奴は有難エお婆さんいろ〳〵有難う御座いました、婆「熊さん、一寸御覽可愛い子が生れました 熊「何う、ヘエー不思議なもんだネ、馬鹿に赤いネ 婆「赤いから赤坊と云ふぢやアありませんか、夫に此の赤い子は大きくなると色が白くなると云ひます 熊「妙なもんだねエ、赤いのが白くなるのが面白エ、矢張鹽酸か何かで赤を拔んだと見へますネ 婆「浸拔と一緖にしては叶ない」熊さん始めての子で大層喜びまして 熊「時に名は何時命るんだエ、何うも赤坊〳〵と呼ぶのは可笑いな 女「恰當今日は七夜だから何とか名を命たら宜らう 熊「然うよなア、何うだイ俺の名が熊だから、此奴には寅と命たら宜らう 女「寅に熊……何んだか動物園へ行つたやうだネ、一寸熊さん宜い事があるよ 熊「何だ 女「橫丁の隱居さんは物識だつて云ふからアノ人に命名て貰つたら宜いだらう、夫に御隱居さんは長命だし、お金はあるし別に不自由も無いから、アノ人にあやかる樣何とか名を命てもらつたら宜らう 熊「成程、じやア隱居さんに一ツ賴んで見やう」軈て熊さん伊勢屋と云ふ質屋の隱居さんの處へ出て參りました 熊「隱居さんは御出なさんすかエ、隱「コレは〳〵誰かと思つたら熊さんかイ、マ此方へお上り 熊「隱居さん少しお願ひがあつて來ましたが 隱「又袴と羽織ではないか、お前に貸ても宜いが、葬式が濟でしまうと返して吳れないから困る 熊「コレは驚ろいた、一昨年借た物を未だ覺えて居ますかイ 隱「誰が忘れる奴があるものか 熊「年を老ると物を忘れて叶ねエと云ふが、イヤにお前さんは物覺えが宜いネ、貸たものならドン〳〵忘れなくつては困る 熊「冗談云つちやア叶ねエ 熊「處で今日は芽出度事で來たんで 隱「婚禮かナ 熊「イエ若樣が生れたんで 隱「アー然うか、お邸に御分娩があつたのか 熊「エー 隱「イヤサ、お邸で御男子御出生あらせられたのか 熊「何だか知らねエが男の子が生れたんで 隱「夫で今日喜びに行くのかイ 熊「何サ、俺の處で生れたんで 隱「自分の處で生れた者を若樣と云ふ奴があるものか 熊「今日が七夜なんで 隱「夫は芽出度な、銀も黃金も玉も何かせん、まされる寶子にしかめやも、子供は金にまさつた寶だ 熊「何でげすエ今お前さんの云つたのは 隱「アレは萬葉集にある子供を賞た歌で、洵に芽出度もの 熊「ヘエー然うで御座いますか、處で隱居さんお前さんに名を命て貰ふと思つて來ましたが、何とか長命を爲さうな芽出度エ名を命ておくんなさい 熊「よろしい、お賴みなら命てあげやう 熊「今日が七夜でお前さんが質屋の隱居だから、恰當宜らうと思つて來ました 隱「何んな名が宜いな 熊「何でも丈夫に育つて長命をする名を命ておくんなさい 隱「夫では鶴は千年と云ふから鶴吉とでも命たら何うだイ 熊「モー些と長く生る名を命ておくんなさい 隱「夫では龜吉は何うだイ、龜は萬年と云ふから芽出度名だが 熊「幾何龜が芽出度たつて萬年經ば死ぬんで御座いませう 隱「左樣サ、萬年經ば死ぬだらうな 熊「其奴は面白くねエ、俺の子供は何年經ても死なないと云ふ名を命ておくんなさい 隱「そんな無理な事を云つては困る、夫では是は話だが何うだらう壽限無と命たら 熊「何でがすエ、其壽限無とは 隱「壽と云ふ文字は壽、限は限る、無は無し、詰り壽命限りなしと云ふ事だな 熊「其奴は有難エモツと芽出度エ名はありませんかイ 隱「五光のすりきれず 隱「何でげすエ夫は 隱「五光は 隱「天とう樣の光りだ、俗に五光がさすと云ふ、アノ五光ばかりは何な物に當つても決してすりきれない、從つて丈夫で長命なもので 熊「成程、其外に何か芽出度エのはありませんか 隱「貝砂利水魚のスイギヤウバツ 熊「夫は何う云ふ譯で 隱「貝砂利と云ふから貝に砂利だ、是は何の位ゐ海にあるか數が知れぬ、スイギヤウバツと云ふのは、水の行末と文字に書く、水は何萬何千里行くか判らない、詰り長く世の中に居ると云ふ事だ 熊「其奴は芽出度エ、幾ら根の宜い奴だつて、水の行末や砂利の勘定は出來ません 隱「何うだイ是が宜らう 熊「何うでせうモー少し芽出度エのはありませんか 隱「夫では何うだイ、風來末と云ふのは 熊「何です夫は 隱「風の行末は判らないと云ふ事だ 熊「成程モツと長エ奴はありませんか 隱「クネル處にスム處とは何うだ 熊「何でげすエ夫は 隱「海にある藻が水のまに〳〵くね〳〵して居る數は何の位ゐあるか判らない、又スム處とは正月の飾りにする、アノトコロで、代々此の處に住みたい抔と云つてアレを飾にする、芽出度ものだ 熊「成程、何か外にありませんかイ 隱「夫ではヤーブラ柑子のブラ柑子是は何うだ 熊「何う云ふ譯なんで 隱「藪柑子は葉は落ても實は落ぬもの、夫でブラ〳〵して居て中々落ない、芽出度ものだ 夫でヤーブラ柑子のブラ柑子と云ふ、熊「モー些と芽出度エのはありませんか 隱「夫では何うだ、パイポ〳〵パイポのシユーリンガン、シユーリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピー、ポンポコナーの長久命の長助、此の內で宜いのを選取つたら宜いだらう 熊「其パイポパイポと云ふのは何で 隱「是は昔天竺の王樣で長命をした人の名で、シユーリンガンのグーリンダイと云ふ處に御出なすつた、ポンポコピーのポンポコナーと云ふは、是も天竺で長命をした御夫婦の名で、長久命は長く久しき命、長助は長く助ける、是だナ並べたら氣に叶たのがあるだらう 熊「濟みませんが初ツから書ておくんなさい」隱居さんに書てもらつた此の名前、女房と相談しまして此の芽出度名を殘らず寄て一ツにしてしまいましたから、恐ろしい長いものが出來ました、七ツ八ツになると學校に參ります、子供が朝誘ひに來る 子供「壽限無〳〵五光のすりきれず貝砂利水魚のスイギヨーバツフーライバツクネル處にスム處ヤーブラ柑子のブラ柑子、パイポ〳〵パイポのシユーリンガン、シユーリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピー、ポンポコナーの長久命の長助さん學校へ行う 女房「大層金ちやん早いネ、今家のネ壽限無〳〵五光のすりきれず貝砂利水魚の水行末フーライバツクネル處にスム處、ヤーブラ柑子のブラ柑子、パイポ〳〵パイポのシユーリンガン、シユーリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピー、ポンポコナーの長久命の長助は今寢て居るからネ、待て居ておくれ、オイ金ちやんが來たヨ、壽限無〳〵五光のすりきれず、貝砂利水魚のスイギヨーバツ、フーライバツ、クネル處にスム處、ヤーブラ柑子のブラ柑子、パイポ〳〵パイポのシユーリンガン、シユーリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピー、ポンポコナーの長久命の長助や。早く起ないか 金「オイ〳〵伯母さん、學校が遲くなるから先へ行くよ」然うで御座いませう、此の名を三ツ四ツ呼れゝば大槪遲くなる、學校へ行つて喧嘩をしまして、子供を撲つ、其子が云いつけに來るが大變な騷ぎ 子供「伯母さんお前の處のネ、壽限無〳〵五光のすりきれず、貝砂利水魚のスイギヨーバツ、フーライバツ、クネル處にスム處ヤーブラ柑子のブラ柑子、パイポ〳〵、パイポのシユーリンガン、シユーリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピー、ポンポコナーの長久命の長助さんが石で頭を撲てこんなに瘤をこしらへたヨ 女房「アラマア家の壽限無〳〵五光のすりきれず、貝砂利水魚のスイギヨーバツ、フーライバツ、クネル處にスム處、ヤーブラ柑子のブラ柑子、パイポ〳〵パイポのシユーリンガン、シユーリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピー、ポンポコナーの長久命の長助がお前を撲てコブをこしらへたのかエ、何うお見せ 子供「餘り名が長いので、コブがヒツコンでしまつた。