人民戦線事件(じんみんせんせんじけん)とは、1937年(昭和12年)12月15日および翌1938年(昭和13年)2月1日、コミンテルンの反ファシズム統一戦線の呼びかけに呼応して日本で人民戦線の結成を企てたとして、労農派系の政治家や運動家、大学教授・学者グループが一斉検挙された事件である。この事件を機に、日本共産党に限定されていた検挙が、コミンテルンと無関係な非共産党のマルキスト・社会主義者一般に及ぶようになっていった。治安維持法第1条の目的遂行罪が拡大解釈されて適用された典型例として知られる