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'''稲垣 敦'''(いながき あつし、[[1984年]][[4月16日]] - )は、[[日本プロバスケットボールリーグ|bjリーグ]]の[[横浜ビーコルセアーズ]]に所属する、日本のプロ[[バスケットボ]]選手であるポジションは[[ポイントガ]]。
'''稲垣 敦'''(いながき あつし、[[1984年]][[4月16日]] - )は、日本の[[バスケットボール]]選手、指導者である。2008年に[[日本プロバスケットボールリーグ|bjリーグ]]の[[埼玉ブロンコス]]と契約して、プロ選手になる。2009年にはノルウェーの{{仮リンク|アムルー・バスケット|no|Ammerud Basket}}と契約し、日本人の男子選手として初めてヨーロッパのトップリーグでプレイした選手になった。[[横浜ビーコルセアーズ]]に在籍していた[[bjリグ 2015-16|2015-16]]シーズン途中に負傷し、その後無所属のまま選手復帰を目指していたが、2017年6月に現役を引退した引退後は指導者に転身し、2019年のNBAサマーリーグでは[[ニュオーリンズ・ペリカンズ]]のコーチも務めた


身長158cm、bjリーグ所属選手の中最も背低い。日本人の男子選手として初めてヨーロッパのトップリーグでプレイし選手(2009年、[[ノルウェー]]
選手時代の身長158cm、体重56kgで、ポジションは[[ポイントガード]]。bjリーグ所属時には、リーグで最も背低い選手だった。


== 来歴 ==
== 来歴 ==
[[東京都]]出身。中学校入学とともにバスケットボールを始め、部活動の他[[マイケル・ジョーダン]]が主催するバスケットボール教室「マイケル・ジョーダン・フライトスクール」にも参加し技術を磨いた<ref name="ct20101029">{{Cite web|url=http://www.clutchtime.net/interview/cat72101029_2611.html|title=158cm...ビハインドからのバスケ人生でつかんだ"日本人初"欧州トップリーグ(中編)|publisher=クラッチタイム|date=2010-10-29|accessdate=2013-08-30|archiveurl=http://web.archive.org/web/20130620193416/http://www.clutchtime.net/interview/cat72101029_2611.html |archivedate=2013-06-20 |deadlinkdate=2015-01-20}}</ref>。
[[東京都]]出身。中学校入学とともにバスケットボールを始め、部活動の他[[マイケル・ジョーダン]]が主催するバスケットボール教室「マイケル・ジョーダン・フライトスクール」にも参加し技術を磨いた<ref name="ct20101029">{{Cite web|和書|url=http://www.clutchtime.net/interview/cat72101029_2611.html|title=158cm...ビハインドからのバスケ人生でつかんだ"日本人初"欧州トップリーグ(中編)|publisher=クラッチタイム|date=2010-10-29|accessdate=2013-08-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130620193416/http://www.clutchtime.net/interview/cat72101029_2611.html |archivedate=2013-06-20 |url-status=dead|url-status-date=2015-01-20}}</ref>。


[[筑波大学附属中学校・高等学校|筑波大学附属高等学校]]に進むが、3年次でアメリカに渡り、[[ミシガン州]]のサットンズベイ高校に入学。1年で卒業し、その後[[サンタモニカカレッジ]]を経て[[NCAA]]2部の[[カリフォルニア州立大学]]チコ校に入学した<ref name="ct20101029" />。ただし、大学では怪我や単位取得の事情などが重なり、公式戦には1度も出場できず卒業した<ref name="ct20101029" />。
[[筑波大学附属中学校・高等学校|筑波大学附属高等学校]]に進むが、3年次でアメリカに渡り、[[ミシガン州]]のサットンズベイ高校に入学。1年で卒業し、その後[[サンタモニカカレッジ]]を経て[[NCAA]]2部の[[カリフォルニア州立大学]]チコ校に入学した<ref name="ct20101029" />。


卒業後、[[ラスベガス]]で行われたbjリーグのトライアウトを受験し、その結果[[埼玉ブロンコス]]にスカウトされ入団した<ref name="saitama">{{Cite press release|url=http://broncos.sailog.jp/topics/2008/10/post-d31b.html|title=選手契約締結および基本合意のお知らせ|date=2008-10-09|publisher=埼玉ブロンコス|accessdate=2013-08-30}}</ref>。しかし入団前に負った足首の怪我の影響などもあり出場機会に恵まれず<ref>{{Cite web|url=http://www.clutchtime.net/interview/cat72101103_2630.html|title=158cm...ビハインドからのバスケ人生でつかんだ"日本人初"欧州トップリーグ(後編)|publisher=クラッチタイム|date=2010-11-03|accessdate=2013-08-30|archiveurl=http://web.archive.org/web/20130620191157/http://www.clutchtime.net/interview/cat72101103_2630.html |archivedate=2013-06-20 |deadlinkdate=2015-01-20}}</ref>、1シーズンで退団<ref name="saitama">{{Cite press release|url=http://broncos.sailog.jp/topics/2009/06/post-b979-1.html|title=選手契約満了のお知らせ|date=2009-06-30|publisher=埼玉ブロンコス|accessdate=2013-08-30}}</ref>。アメリカに渡り[[アメリカン・バスケットボール・アソシエーション|ABA]]のチームで練習生を経験した後、2010年11月からノルウェートップリーグ{{仮リンク|BLNO|en|BLNO}}に属する{{仮リンク|アムルー・バスケット|no|Ammerud Basket}}と契約。日本人の男子選手として初めてヨーロッパのトップリーグでプレイした<ref>{{Cite web|url=http://www.clutchtime.net/interview/cat72101025_2584.html|title=158cm...ビハインドからのバスケ人生でつかんだ"日本人初"欧州トップリーグ(前編)|publisher=クラッチタイム|date=2010-10-25|accessdate=2013-08-30|archiveurl=http://web.archive.org/web/20130620191101/http://www.clutchtime.net/interview/cat72101025_2584.html |archivedate=2013-06-20 |deadlinkdate=2015-01-20}}</ref><ref>日本人女子選手は、2000年にイタリア・セリエAのチームと契約した[[加藤貴子 (バスケットボール)|加藤貴子]]の例がある。</ref>。
卒業後、[[ラスベガス]]で行われたbjリーグのトライアウトを受験し、その結果[[さいたまブロンコス|埼玉ブロンコス]]にスカウトされ入団した<ref name="broncos200810">{{Cite press release|和書|url=http://broncos.sailog.jp/topics/2008/10/post-d31b.html|title=選手契約締結および基本合意のお知らせ|date=2008-10-09|publisher=埼玉ブロンコス|accessdate=2013-08-30}}</ref>。しかし入団前に負った足首の怪我の影響などもあり出場機会に恵まれず<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.clutchtime.net/interview/cat72101103_2630.html|title=158cm...ビハインドからのバスケ人生でつかんだ"日本人初"欧州トップリーグ(後編)|publisher=クラッチタイム|date=2010-11-03|accessdate=2013-08-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130620191157/http://www.clutchtime.net/interview/cat72101103_2630.html |archivedate=2013-06-20 |url-status=dead|url-status-date=2015-01-20}}</ref>、1シーズンで退団<ref name="broncos200906">{{Cite press release|和書|url=http://broncos.sailog.jp/topics/2009/06/post-b979-1.html|title=選手契約満了のお知らせ|date=2009-06-30|publisher=埼玉ブロンコス|accessdate=2013-08-30}}</ref>。2010年11月からノルウェートップリーグ{{仮リンク|BLNO|en|BLNO}}に属する{{仮リンク|アムルー・バスケット|no|Ammerud Basket}}と契約。日本人の男子選手として初めてヨーロッパのトップリーグでプレイした<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.clutchtime.net/interview/cat72101025_2584.html|title=158cm...ビハインドからのバスケ人生でつかんだ"日本人初"欧州トップリーグ(前編)|publisher=クラッチタイム|date=2010-10-25|accessdate=2013-08-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130620191101/http://www.clutchtime.net/interview/cat72101025_2584.html |archivedate=2013-06-20 |url-status=dead|url-status-date=2015-01-20}}</ref><ref>日本人女子選手は、2000年にイタリア・セリエAのチームと契約した[[加藤貴子 (バスケットボール)|加藤貴子]]の例がある。</ref>。


2012年初頭にはイタリア・[[:it:Divisione Nazionale C|セリエC]]のMonteporzio basketでプレイしチームのプレイオフ進出に貢献するも、[[査証]]の問題からシーズン途中で退団を余儀無くされ<ref name="ct20120601">{{Cite web|url=http://www.clutchtime.net/interview/cat72120601_3890.html|title=海外を目指す選手の化学反応 ー 稲垣 敦×田渡 凌 ー Part.1|publisher=クラッチタイム|date=2012-06-01|accessdate=2013-08-30|archiveurl=http://web.archive.org/web/20130511094909/http://www.clutchtime.net/interview/cat72120601_3890.html |archivedate=2013-05-11 |deadlinkdate=2015-01-20}}</ref>、同年11月からは[[静岡ジムラッツ]]でプレイする予定であったが<ref>{{Cite web|url=http://ameblo.jp/ina13/entry-11415089323.html|title=今シーズン|date=2012-11-28|accessdate=2013-08-30}}</ref>、膝の[[半月板]]損傷の手術を受けたため試合出場は果たせなかった<ref>{{Cite web|url=
2012年初頭にはイタリア・[[:it:Divisione Nazionale C|セリエC]]のMonteporzio basketでプレイしチームのプレイオフ進出に貢献するも、[[査証]]の問題からシーズン途中で退団を余儀無くされ<ref name="ct20120601">{{Cite web|和書|url=http://www.clutchtime.net/interview/cat72120601_3890.html|title=海外を目指す選手の化学反応 ー 稲垣 敦×田渡 凌 ー Part.1|publisher=クラッチタイム|date=2012-06-01|accessdate=2013-08-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130511094909/http://www.clutchtime.net/interview/cat72120601_3890.html |archivedate=2013-05-11 |url-status=dead|url-status-date=2015-01-20}}</ref>
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2013年8月、bjリーグの[[富山グラウジーズ]]と契約した<ref name="toyama">{{Cite press release|和書|url=http://grouses.jp/news/2013/08/06/26777|title=13-14シーズン選手契約基本合意(新規)|date=2013-08-06|publisher=富山グラウジーズ|accessdate=2013-08-30}}</ref>。


2015年7月、横浜ビー・コルセアーズに移籍。
2015年7月、横浜ビー・コルセアーズに移籍。2016年2月に[[アキレス腱断裂]]をおこす<ref>{{facebook post|YokohamaBcorsairs|1007304675997674}}</ref>。シーズン終了後、横浜は稲垣との契約を更新せず、稲垣は自由契約選手となった

その後も稲垣はチームに所属しないまま復帰を目指し練習していたが、2017年6月、自身のブログで、引退し指導者を目指すことを発表した<ref>{{Cite web|url=https://ameblo.jp/ina13/entry-12285803586.html |title=Retiring |date=2017-06-21 |accessdate=2017-06-29}}</ref>。

2017年8月、稲垣は[[群馬クレインサンダーズ]]と契約し、通訳兼アシスタントコーチに就任した<ref>{{Cite web|和書|url=https://basketballking.jp/news/japan/20170809/23349.html?cx_tag=page1 |title=海外リーグでのプレー経験を持つ稲垣敦氏、群馬の通訳兼ACに就任 |date=2017-08-09 |work=バスケットボールキング |publisher=フロムワン |accessdate=2017-11-28}} </ref>。

2018年7月、[[宇都宮ブレックス|リンク栃木ブレックス]]のアシスタントコーチに就任<ref>{{Cite web|和書|title=稲垣 敦氏、リンク栃木ブレックス アシスタントコーチ就任のご報告|url=https://www.utsunomiyabrex.com/news/detail/id=8477|website=宇都宮ブレックス|accessdate=2020-02-23|language=ja}}</ref>。2019年の[[NBAサマーリーグ]]では、[[ニューオーリンズ・ペリカンズ]]の選手として参加していたブレックスの[[比江島慎]]をサポートするため渡米し、ペリカンズのコーチとしてベンチ入りした<ref>{{Cite web|和書|url=https://bbspirits.com/bleague/b20052002/ |title=NBAサマーリーグのコートに立った28歳の評価 前編 |date=2020-05-20|accessdate=2021-06-18}}</ref>。その後、稲垣は2019-20シーズンの終了をもって退任した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.utsunomiyabrex.com/news/detail/id=16985 |title=稲垣アシスタントコーチ、契約満了のお知らせ |date=2020-06-04 |accessdate=2021-06-18}}</ref>。

2021年6月、[[名古屋ダイヤモンドドルフィンズ]]のアシスタントコーチに就任。

2022年、[[琉球ゴールデンキングス]]のアシスタントコーチに就任するが、2023年2月1日付で契約解除<ref>{{Cite news |title=琉球ゴールデンキングス、今季からACを務める稲垣敦氏との契約解除を発表 |url=https://basketballking.jp/news/japan/b1/20230202/414754.html |newspaper=バスケットボールキング |date=2023-02-02 }}</ref>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
<references />
<references />

== 関連項目 ==
*[[埼玉ブロンコスの選手一覧]]
*[[富山グラウジーズの選手一覧]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://ameblo.jp/ina13/ 小さな巨人] - 本人のブログ
* {{Facebook|inagaki.atsushi.9}}
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{{横浜ビー・コルセアーズ}}
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2024年7月15日 (月) 06:49時点における最新版

稲垣 敦
Atsushi Inagaki
引退 AC
役職 アシスタントコーチ
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1984-04-16) 1984年4月16日(40歳)
出身地 東京都
身長(現役時) 158cm (5 ft 2 in)
体重(現役時) 56kg (123 lb)
選手経歴
2008-2009
2009-2010
2010-2011
2012-2013
2013-2015
2015-2016
日本の旗埼玉ブロンコス
アメリカ合衆国の旗Seattle Zhen Gan(ABA)
ノルウェーの旗Ammerud Basket
イタリアの旗Monteporzio basket
日本の旗富山グラウジーズ
日本の旗横浜ビー・コルセアーズ
指導者経歴
2017-2018
2018-2020
2021-2022
2022-2023
群馬クレインサンダーズAC
栃木ブレックスAC
名古屋ダイヤモンドドルフィンズAC
琉球ゴールデンキングス(AC)

稲垣 敦(いながき あつし、1984年4月16日 - )は、日本のバスケットボール選手、指導者である。2008年にbjリーグ埼玉ブロンコスと契約して、プロ選手になる。2009年にはノルウェーのアムルー・バスケットノルウェー語版と契約し、日本人の男子選手として初めてヨーロッパのトップリーグでプレイした選手になった。横浜ビー・コルセアーズに在籍していた2015-16シーズン途中に負傷し、その後無所属のまま選手復帰を目指していたが、2017年6月に現役を引退した。引退後は指導者に転身し、2019年のNBAサマーリーグではニューオーリンズ・ペリカンズのコーチも務めた。

選手時代の身長は158cm、体重56kgで、ポジションはポイントガード。bjリーグ所属時には、リーグで最も背の低い選手だった。

来歴

[編集]

東京都出身。中学校入学とともにバスケットボールを始め、部活動の他マイケル・ジョーダンが主催するバスケットボール教室「マイケル・ジョーダン・フライトスクール」にも参加し技術を磨いた[1]

筑波大学附属高等学校に進むが、3年次でアメリカに渡り、ミシガン州のサットンズベイ高校に入学。1年で卒業し、その後サンタモニカカレッジを経てNCAA2部のカリフォルニア州立大学チコ校に入学した[1]

卒業後、ラスベガスで行われたbjリーグのトライアウトを受験し、その結果埼玉ブロンコスにスカウトされ入団した[2]。しかし入団前に負った足首の怪我の影響などもあり出場機会に恵まれず[3]、1シーズンで退団[4]。2010年11月からノルウェートップリーグBLNO英語版に属するアムルー・バスケットノルウェー語版と契約。日本人の男子選手として初めてヨーロッパのトップリーグでプレイした[5][6]

2012年初頭にはイタリア・セリエCのMonteporzio basketでプレイしチームのプレイオフ進出に貢献するも、査証の問題からシーズン途中で退団を余儀無くされた[7]

2013年8月、bjリーグの富山グラウジーズと契約した[8]

2015年7月、横浜ビー・コルセアーズに移籍。2016年2月にアキレス腱断裂をおこす[9]。シーズン終了後、横浜は稲垣との契約を更新せず、稲垣は自由契約選手となった。

その後も稲垣はチームに所属しないまま復帰を目指し練習していたが、2017年6月、自身のブログで、引退し指導者を目指すことを発表した[10]

2017年8月、稲垣は群馬クレインサンダーズと契約し、通訳兼アシスタントコーチに就任した[11]

2018年7月、リンク栃木ブレックスのアシスタントコーチに就任[12]。2019年のNBAサマーリーグでは、ニューオーリンズ・ペリカンズの選手として参加していたブレックスの比江島慎をサポートするため渡米し、ペリカンズのコーチとしてベンチ入りした[13]。その後、稲垣は2019-20シーズンの終了をもって退任した[14]

2021年6月、名古屋ダイヤモンドドルフィンズのアシスタントコーチに就任。

2022年、琉球ゴールデンキングスのアシスタントコーチに就任するが、2023年2月1日付で契約解除[15]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 158cm...ビハインドからのバスケ人生でつかんだ"日本人初"欧州トップリーグ(中編)”. クラッチタイム (2010年10月29日). 2013年6月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月30日閲覧。
  2. ^ 選手契約締結および基本合意のお知らせ』(プレスリリース)埼玉ブロンコス、2008年10月9日http://broncos.sailog.jp/topics/2008/10/post-d31b.html2013年8月30日閲覧 
  3. ^ 158cm...ビハインドからのバスケ人生でつかんだ"日本人初"欧州トップリーグ(後編)”. クラッチタイム (2010年11月3日). 2013年6月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月30日閲覧。
  4. ^ 選手契約満了のお知らせ』(プレスリリース)埼玉ブロンコス、2009年6月30日http://broncos.sailog.jp/topics/2009/06/post-b979-1.html2013年8月30日閲覧 
  5. ^ 158cm...ビハインドからのバスケ人生でつかんだ"日本人初"欧州トップリーグ(前編)”. クラッチタイム (2010年10月25日). 2013年6月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月30日閲覧。
  6. ^ 日本人女子選手は、2000年にイタリア・セリエAのチームと契約した加藤貴子の例がある。
  7. ^ 海外を目指す選手の化学反応 ー 稲垣 敦×田渡 凌 ー Part.1”. クラッチタイム (2012年6月1日). 2013年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月30日閲覧。
  8. ^ 13-14シーズン選手契約基本合意(新規)』(プレスリリース)富山グラウジーズ、2013年8月6日http://grouses.jp/news/2013/08/06/267772013年8月30日閲覧 
  9. ^ YokohamaBcorsairsの投稿(1007304675997674) - Facebook
  10. ^ Retiring” (2017年6月21日). 2017年6月29日閲覧。
  11. ^ 海外リーグでのプレー経験を持つ稲垣敦氏、群馬の通訳兼ACに就任”. バスケットボールキング. フロムワン (2017年8月9日). 2017年11月28日閲覧。
  12. ^ 稲垣 敦氏、リンク栃木ブレックス アシスタントコーチ就任のご報告”. 宇都宮ブレックス. 2020年2月23日閲覧。
  13. ^ NBAサマーリーグのコートに立った28歳の評価 前編” (2020年5月20日). 2021年6月18日閲覧。
  14. ^ 稲垣アシスタントコーチ、契約満了のお知らせ』(プレスリリース)2020年6月4日https://www.utsunomiyabrex.com/news/detail/id=169852021年6月18日閲覧 
  15. ^ “琉球ゴールデンキングス、今季からACを務める稲垣敦氏との契約解除を発表”. バスケットボールキング. (2023年2月2日). https://basketballking.jp/news/japan/b1/20230202/414754.html 

外部リンク

[編集]