「リベリア国民民主党」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし |
en:National Democratic Party of Liberia (01:36, 12 July 2024 UTC) を参考に加筆 |
||
1行目: | 1行目: | ||
'''リベリア国民民主党'''(リベリアこくみんみんしゅとう、'''国家民主党'''、{{lang-en|National Democratic Party of Liberia}}、略称:'''NDPL''')は、かつて存在した[[リベリア]]の[[政党]]。 |
|||
{{政党 |
|||
|国名 = {{LBR}} |
|||
⚫ | [[1984年]]8月に、当時の[[サミュエル・ドウ]]大統領支持派によって結成された。[[1985年]][[10月15日]]に行われた総選挙([[w:Liberia elections, 1985|Liberia elections, 1985]])では、大統領候補としてドウを支持した。選挙は不正なものであり、ドウは50.93パーセントを得票して当選した。同時に行われた議会選挙で国民民主党は、上院([[w:Senate of Liberia|Senate]])で23議席中21議席、下院([[w:House of Representatives of Liberia|House of Representatives]])で64議席中51議席をそれぞれ獲得した。[[1989年]] [[リベリア内戦#第1次内戦(1989年~1996年)|第一次リベリア内戦]]が勃発する中、[[1990年]]ドウは処刑された。 |
||
|党名 = リベリア国民民主党<br>(リベリア国家民主党) |
|||
|公用語名 = {{lang|en|National Democratic Party of Liberia}} |
|||
|画像 = |
|||
|画像サイズ = |
|||
|画像説明 = |
|||
|党首職名 = |
|||
|党首氏名 = |
|||
|副党首職名 = |
|||
|副党首氏名 = |
|||
|下院代表職名 = |
|||
|下院代表氏名 = |
|||
|上院代表職名 = |
|||
|上院代表氏名 = |
|||
|成立年月日 = [[1984年]] |
|||
|郵便番号 = |
|||
|本部所在地 = |
|||
|下院 = 代議院 |
|||
|下院議員数 = 0 |
|||
|下院議員定数 = 64 |
|||
|下院議員集計年月日 = 2011年10月11日 |
|||
|上院 = 元老院 |
|||
|上院議員数 = 1 |
|||
|上院議員定数 = 30 |
|||
|上院議員集計年月日 = 2014年12月10日 |
|||
|党員・党友数 = |
|||
|党員・党友数集計年月日 = |
|||
|政治的思想・立場 = [[国家主義]]<br/>[[反共|反共主義]] |
|||
|機関紙 = |
|||
|ウェブサイト = |
|||
|サイトタイトル = |
|||
|シンボル = |
|||
|国際組織 = |
|||
|その他 = |
|||
}} |
|||
⚫ | |||
国民民主党は、第一次内戦後の1997年総選挙([[w:Liberia elections, 1997|Liberia elections, 1997]])に参加する。ドウ政権で閣僚を務めた[[ジョージ・ボレィ]]([[w:George Boley|George Boley]])を大統領候補に擁立して選挙戦を戦った。ボレィは落選し、議会に議席を得ることはできなかったものの国政復帰の契機となった。 |
国民民主党は、第一次内戦後の1997年総選挙([[w:Liberia elections, 1997|Liberia elections, 1997]])に参加する。ドウ政権で閣僚を務めた[[ジョージ・ボレィ]]([[w:George Boley|George Boley]])を大統領候補に擁立して選挙戦を戦った。ボレィは落選し、議会に議席を得ることはできなかったものの国政復帰の契機となった。 |
||
[[リベリア内戦#第2次内戦(1999年~2003年)|第二次リベリア内戦]]の後、[[2005年]][[10月11日]]に実施された総選挙では大統領候補に[[ウィリアム・タブマン]]元大統領の孫でもある[[ウィンストン・タブマン]]([[w:Winston Tubman|Winston Tubman]])元法相を擁立し、9.2パーセントの票を得た。同日実施された議会選挙では上院2議席、下院1議席をそれぞれ得た。 |
[[リベリア内戦#第2次内戦(1999年~2003年)|第二次リベリア内戦]]の後、[[2005年]][[10月11日]]に実施された総選挙では大統領候補に[[ウィリアム・タブマン]]元大統領の孫でもある[[ウィンストン・タブマン]]([[w:Winston Tubman|Winston Tubman]])元法相を擁立し、9.2パーセントの票を得た。同日実施された議会選挙では上院2議席、下院1議席をそれぞれ得た。 |
||
[[2014年]]5月、政党登録を抹消された<ref>{{Cite web|last=Brooks|first=Marmon|date=2015-09-09|title=25 years after his demise, Samuel Doe continues to cast a long shadow across Liberian politics|url=https://africanarguments.org/2015/09/25-years-after-his-demise-samuel-doe-continues-to-cast-a-long-shadow-across-liberian-politics/|access-date=2024-06-08|website=AfricanArguments|language=en}}</ref>。 |
|||
== 脚注 == |
|||
{{Reflist}} |
|||
{{リベリアの政党}} |
{{リベリアの政党}} |
||
48行目: | 19行目: | ||
[[Category:右翼政党]] |
[[Category:右翼政党]] |
||
[[Category:1984年設立の政党・政治団体]] |
[[Category:1984年設立の政党・政治団体]] |
||
[[Category:2014年廃止の政党・政治団体]] |
2024年7月16日 (火) 09:42時点における最新版
リベリア国民民主党(リベリアこくみんみんしゅとう、国家民主党、英語: National Democratic Party of Liberia、略称:NDPL)は、かつて存在したリベリアの政党。
1984年8月に、当時のサミュエル・ドウ大統領支持派によって結成された。1985年10月15日に行われた総選挙(Liberia elections, 1985)では、大統領候補としてドウを支持した。選挙は不正なものであり、ドウは50.93パーセントを得票して当選した。同時に行われた議会選挙で国民民主党は、上院(Senate)で23議席中21議席、下院(House of Representatives)で64議席中51議席をそれぞれ獲得した。1989年 第一次リベリア内戦が勃発する中、1990年ドウは処刑された。
国民民主党は、第一次内戦後の1997年総選挙(Liberia elections, 1997)に参加する。ドウ政権で閣僚を務めたジョージ・ボレィ(George Boley)を大統領候補に擁立して選挙戦を戦った。ボレィは落選し、議会に議席を得ることはできなかったものの国政復帰の契機となった。
第二次リベリア内戦の後、2005年10月11日に実施された総選挙では大統領候補にウィリアム・タブマン元大統領の孫でもあるウィンストン・タブマン(Winston Tubman)元法相を擁立し、9.2パーセントの票を得た。同日実施された議会選挙では上院2議席、下院1議席をそれぞれ得た。
脚注
[編集]- ^ Brooks, Marmon (2015年9月9日). “25 years after his demise, Samuel Doe continues to cast a long shadow across Liberian politics” (英語). AfricanArguments. 2024年6月8日閲覧。