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「四聖」の版間の差分

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== 概要 ==
== 概要 ==
中国の[[禅]]仏教の[[清規]](『勅修百丈清規』)では、'''[[阿弥陀仏]]・[[観世音菩薩]]・[[大勢至菩薩]]・[[大海衆菩薩]]'''を四聖とする<ref name=":0">{{Kotobank}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=古賀英彦|year=2003|title=祖堂集巻第十七|url=http://iriz.hanazono.ac.jp/pdf/st08/st08_17.pdf|journal=研究報告|volume=8|page=713|publisher=花園大学国際禅学研究所}}</ref>。
中国の[[禅]]仏教の[[清規]](『勅修百丈清規』)では、'''[[阿弥陀仏]]・[[観世音菩薩]]・[[大勢至菩薩]]・[[大海衆菩薩]]'''を四聖とする<ref name=":0">{{Kotobank}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=古賀英彦|year=2003|title=祖堂集巻第十七|url=http://iriz.hanazono.ac.jp/pdf/st08/st08_17.pdf|journal=研究報告|volume=8|page=713|publisher=花園大学国際禅学研究所}}</ref><ref name=":3">{{Wikisourcelang-inline|zh|佛學大辭典/四聖}}</ref>。


[[12世紀]]中国の[[朱熹]]に由来する[[儒学]]の学派、[[朱子学]]では、[[道統]]の継承者である'''[[顔回]]・[[曾子]]・[[子思]]・[[孟子]]'''を四聖(四配)とする<ref name=":1">{{Cite web|title=孔子及び四聖配像|url=https://okimu.jp/museum/column/006/|website=沖縄県立博物館・美術館|accessdate=2020-12-07|language=ja}}</ref>。この四聖は、[[東アジア]]各地の[[孔子廟]]所蔵の絵画や像に表れている<ref name=":1" /><ref>{{Cite web|title=大成殿に祀られているもの|史跡湯島聖堂|公益財団法人斯文会|url=http://www.seido.or.jp/worship.html|website=www.seido.or.jp|accessdate=2020-12-07}}</ref>。それらの絵画や像では、四人の[[席次]]が制度として規定されている({{仮リンク|昭穆制度|zh|昭穆制度|label=}})<ref name=":1" />。
[[12世紀]]中国の[[朱熹]]に由来する[[儒学]]の学派、[[朱子学]]では、'''[[顔回]]・[[曾子]]・[[子思]]・[[孟子]]'''を四聖(四配)とする<ref name=":1">{{Cite web|和書|title=孔子及び四聖配像|url=https://okimu.jp/museum/column/006/|website=沖縄県立博物館・美術館|accessdate=2020-12-07|language=ja}}</ref>。この四聖は、[[東アジア]]各地の[[孔子廟]]所蔵の絵画や像に表れている<ref name=":1" /><ref>{{Cite web|和書|title=大成殿に祀られているもの|史跡湯島聖堂|公益財団法人斯文会|url=http://www.seido.or.jp/worship.html|website=www.seido.or.jp|accessdate=2020-12-07}}</ref>。それらの絵画や像では、四人の[[席次]]が制度として規定されている({{仮リンク|昭穆制度|zh|昭穆制度|label=}})<ref name=":1" />。


[[13世紀]]中国の『[[仏祖統紀]]』では、[[鳩摩羅什]]の[[十大弟子]]({{仮リンク|什門十哲|zh|什門十哲}})のうち、'''[[竺道生|道生]]・{{仮リンク|僧肇|zh|僧肇}}・{{仮リンク|道融|zh|彭城道融|label=}}・[[僧叡 (中国の僧)|僧叡]]'''を四聖(什門四聖)とする<ref name=":0" /><ref>『[[仏祖統紀]]』巻三十六「羅什弟子有生肇融叡。時號關中四聖。」</ref>。道融を[[慧観]]に代えて「四哲」とする場合もある。
[[13世紀]]中国の『[[仏祖統紀]]』では、[[鳩摩羅什]]の[[十大弟子]]({{仮リンク|什門十哲|zh|什門十哲}})のうち、'''[[竺道生|道生]]・[[僧肇]]・{{仮リンク|道融|zh|彭城道融}}・[[僧叡 (中国の僧)|僧叡]]'''を四聖(什門四聖)とする<ref name=":0" /><ref name=":3" />。道融を[[慧観]]に代えて「四哲」とする場合もある。


[[14世紀]]日本の『[[神皇正統記]]』では、[[奈良時代]]に[[東大寺]]の建立に携わった仏教徒四人、'''[[聖武天皇]]・[[菩提僊那|婆羅門僧正]]・[[行基]]・[[良弁]]'''を四聖とする<ref name=":0" />。この四聖は、同じく14世紀に描かれた絵画『四聖御影』などに表れている<ref>{{Cite web|title=東大寺の教学・歴史・文化の発信基地「東大寺総合文化センター」|url=http://culturecenter.todaiji.or.jp/news/20150331_78.html|website=culturecenter.todaiji.or.jp|accessdate=2020-12-07}}</ref>。
[[14世紀]]日本の『[[神皇正統記]]』では、[[奈良時代]]に[[東大寺]]の建立に携わった仏教徒四人、'''[[聖武天皇]]・[[菩提僊那|婆羅門僧正]]・[[行基]]・[[良弁]]'''を四聖とする<ref name=":0" />。この四聖は、同じく14世紀に描かれた絵画『四聖御影』などに表れている<ref>{{Cite web|和書|title=東大寺の教学・歴史・文化の発信基地「東大寺総合文化センター」|url=http://culturecenter.todaiji.or.jp/news/20150331_78.html|website=culturecenter.todaiji.or.jp|accessdate=2020-12-07}}</ref>。


[[明治時代]]の[[哲学者]]・[[井上円了]]は、西洋由来の「[[哲学]]」という学問を日本に紹介するにあたって、'''[[孔子]]・[[釈迦]]・[[ソクラテス]]・[[イマヌエル・カント|カント]]'''を四聖とした<ref name=":2">{{Cite web|title=東洋大学のカタチ:創立者を知る 井上円了とは? | 東洋大学|url=https://www.toyo.ac.jp/site/gakuhou/102787.html|website=www.toyo.ac.jp|accessdate=2020-12-07}}</ref>。この四聖は、円了が[[造園]]した[[東京都]][[中野区]]の公園「[[哲学堂公園]]」にある施設や絵画などに表れている<ref name=":2" />。
[[明治時代]]の[[哲学者]]・[[井上円了]]は、西洋由来の「[[哲学]]」という学問を日本に紹介するにあたって、'''[[孔子]]・[[釈迦]]・[[ソクラテス]]・[[イマヌエル・カント|カント]]'''を四聖とした<ref name=":2">{{Cite web|和書|title=東洋大学のカタチ:創立者を知る 井上円了とは? | 東洋大学|url=https://www.toyo.ac.jp/site/gakuhou/102787.html|website=www.toyo.ac.jp|accessdate=2020-12-07}}</ref>。この四聖は、円了が[[造園]]した[[東京都]][[中野区]]の公園「[[哲学堂公園]]」にある施設や絵画などに表れている<ref name=":2" />。


その他、'''釈迦・[[イエス・キリスト|イエス]]・孔子・ソクラテス'''を四聖とすることもある<ref name=":0" />。
その他、'''釈迦・[[イエス・キリスト|イエス]]・孔子・ソクラテス'''を四聖とすることもある<ref name=":0" />。

2024年8月1日 (木) 15:54時点における最新版

四聖呉音:ししょう、漢音:しせい)は、四人の聖人の意。様々な文脈で言われる。

概要

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中国の仏教の清規(『勅修百丈清規』)では、阿弥陀仏観世音菩薩大勢至菩薩大海衆菩薩を四聖とする[1][2][3]

12世紀中国の朱熹に由来する儒学の学派、朱子学では、顔回曾子子思孟子を四聖(四配)とする[4]。この四聖は、東アジア各地の孔子廟所蔵の絵画や像に表れている[4][5]。それらの絵画や像では、四人の席次が制度として規定されている(昭穆制度中国語版[4]

13世紀中国の『仏祖統紀』では、鳩摩羅什十大弟子什門十哲中国語版)のうち、道生僧肇道融中国語版僧叡を四聖(什門四聖)とする[1][3]。道融を慧観に代えて「四哲」とする場合もある。

14世紀日本の『神皇正統記』では、奈良時代東大寺の建立に携わった仏教徒四人、聖武天皇婆羅門僧正行基良弁を四聖とする[1]。この四聖は、同じく14世紀に描かれた絵画『四聖御影』などに表れている[6]

明治時代哲学者井上円了は、西洋由来の「哲学」という学問を日本に紹介するにあたって、孔子釈迦ソクラテスカントを四聖とした[7]。この四聖は、円了が造園した東京都中野区の公園「哲学堂公園」にある施設や絵画などに表れている[7]

その他、釈迦・イエス・孔子・ソクラテスを四聖とすることもある[1]

関連項目

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出典

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  1. ^ a b c d 四聖』 - コトバンク
  2. ^ 古賀英彦「祖堂集巻第十七」『研究報告』第8巻、花園大学国際禅学研究所、2003年、713頁。 
  3. ^ a b ウィキソースのロゴ 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:佛學大辭典/四聖
  4. ^ a b c 孔子及び四聖配像”. 沖縄県立博物館・美術館. 2020年12月7日閲覧。
  5. ^ 大成殿に祀られているもの|史跡湯島聖堂|公益財団法人斯文会”. www.seido.or.jp. 2020年12月7日閲覧。
  6. ^ 東大寺の教学・歴史・文化の発信基地「東大寺総合文化センター」”. culturecenter.todaiji.or.jp. 2020年12月7日閲覧。
  7. ^ a b 東洋大学のカタチ:創立者を知る 井上円了とは? | 東洋大学”. www.toyo.ac.jp. 2020年12月7日閲覧。