「ローマ」の版間の差分
Tom-spring (会話 | 投稿記録) |
|||
211行目: | 211行目: | ||
* [http://www.enit.jp/city/roma.html イタリア政府観光局(ENIT) - ローマ ] {{ja icon}} |
* [http://www.enit.jp/city/roma.html イタリア政府観光局(ENIT) - ローマ ] {{ja icon}} |
||
* [http://www.vatican.va/ バチカン公式サイト] {{en icon}} {{it icon}} |
* [http://www.vatican.va/ バチカン公式サイト] {{en icon}} {{it icon}} |
||
; 日系機関・団体 |
|||
* [http://www.it.emb-japan.go.jp/index_j.htm 在イタリア日本国大使館] |
|||
; その他 |
; その他 |
||
* [http://www. |
* [http://www.1000baci.net/ MILLEBACI] - イタリア・ローマ情報サイト |
||
* [http://www.paologiannetti.com Terracina] - ローマとナポリ間の海の都市 |
|||
⚫ | |||
* [http://www-personal.umich.edu/~bkh/rome/5-20-3.htm 古代ローマの模型] |
|||
⚫ | |||
{{ローマ県}} |
{{ローマ県}} |
2008年2月12日 (火) 02:16時点における版
ローマ Roma | |||
---|---|---|---|
| |||
行政 | |||
国 | イタリア | ||
州 | ラツィオ | ||
県/大都市 | ローマ | ||
CAP(郵便番号) | 00100 (一般的)、 00121~00199 | ||
市外局番 | 06 | ||
ISTATコード | 058091 | ||
識別コード | H501 | ||
分離集落 | Ostia, Ostia antica, Acilia, Vitinia, Infernetto, Trigoria, Piana del sole, Casal palocco, castel di leva, Villaggio prenestino, Castelverde, Corcolle, La storta-olgiata, Massimina, valle santa. | ||
隣接コムーネ | アルバーノ・ラツィアーレ、 アングイッラーラ・サバーツィア、 アルデーア、 カンパニャーノ・ディ・ローマ、 カステル・ガンドルフォ、 カステル・サン・ピエトロ・ロマーノ、 チャンピーノ、 コロンナ、 フィウミチーノ、 フォンテ・ヌオーヴァ、 フォルメッロ、 フラスカーティ、 ガッリカーノ・ネル・ラーツィオ、 グロッタフェッラータ、 グイドーニア・モンテチェーリオ、 マリーノ、 メンターナ、 モンテ・ポルツィオ・カトーネ、 モンテ・コンパトリ、 モンテロトンド、 パレストリーナ、 ポーリ、 ポメーツィア、 リアーノ、 サクロファーノ、 サン・グレゴーリオ・ダ・サッソラ、 ティーヴォリ、 トレヴィニャーノ・ロマーノ、 ザガローロ | ||
公式サイト | リンク | ||
人口 | |||
人口 | 2,706,428 人 (2007年02月28日) | ||
人口密度 | 2,197 人/km2 | ||
文化 | |||
住民の呼称 | romani | ||
守護聖人 | 聖ピエトロ(San Pietro)と 聖パオロ(Paolo) | ||
祝祭日 | 6月29日 | ||
地理 | |||
座標 | 北緯41度54分0秒 東経12度30分0秒 / 北緯41.90000度 東経12.50000度座標: 北緯41度54分0秒 東経12度30分0秒 / 北緯41.90000度 東経12.50000度 | ||
標高 | 37 m | ||
面積 | 1,285 km2 | ||
ポータル イタリア |
ローマ市(Comune di Roma、羅馬市)は、イタリアの首都。ラツィオ州の州都、ローマ県の県庁所在地でもある。
概要
当市に囲まれるようにローマ教皇の居住するバチカン市国があり当市の内側で国境に接しており、そこは全世界のカトリック教徒にとっての中心地で、現在は外国であるが歴史・宗教・文化的にはローマ市地域と密接な関わりがある。そして昔のローマの大国さを用いた「ローマは一日にして成らず」という諺もある
2007年現在の人口は約270万人で、イタリアで最も人口が多い都市である。かつてのローマ帝国の首都で、西洋文明を代表する都市のひとつであり、カトリック教会の中枢であり、そしてまたその美しさから『永遠の都』と称される。
紋章
ローマ市の盾形の紋章に書かれている「SPQR」の文字は、ラテン語で "Senatus Populusque Romanus" (「元老院とローマの市民」)の略称で、ローマ帝国時代には、領域内のあらゆる地域で公共物に刻まれた。
今日でも、ローマ市内に残るローマ帝国時代の遺跡や当時の建造物の他、現在のローマ市の盾形の紋章に使用されていることから、ローマ市内を走るバスやタクシー、マンホールの蓋にも紋章が入れられている。
地理
ティレニア海にそそぐテヴェレ川河口から25kmほどさかのぼった位置にあるイタリアの首都で、ラツィオ州の州都でありローマ県の県都。伝説によれば、ローマは紀元前753年、テヴェレ川東岸の「ローマの七丘」のひとつ、パラティーノの丘に建設されたという。七丘とは、パラティーノ、アヴェンティーノ、カピトリーノ、クイリナーレ、ヴィミナーレ、エスクイリーノ、チェリオの丘をさしていた。しかし考古学的には、紀元前1000年にはすでに人が定住していたことが証明されている。歴史的に由緒のある地区は意外に狭く、そのほとんどがテヴェレ川東岸にある。ローマの過去の栄光をしめす記念建造物の大部分はこの地区にある。
歴史
- 主要記事:Storia di Roma(伊語) History of Rome (英語)
起源
伝説によれば、ローマは紀元前753年4月21日にギリシャ神話の英雄アイネイアスの子孫である、双子のロムルスとレムスにより建てられた。ロムルスはレムスとローマを築く場所について争い、レムスを殺した。その後、ロムルスは7代続く王政ローマの初代の王となり、またローマの市名の元となったとされる。 考古学的には、この地に人々が居住したのはもっとはやく、ローマの起源は紀元前8世紀もしくは9世紀ごろ、北方からイタリア半島に移動してきた民族がテヴェレ川河畔に定住したことにさかのぼると考えられているが、恒常的に人が住むようになったのはこの頃らしい。紀元前8世紀にはじまる鉄器時代の遺跡はパラティーノの丘で発見された。
ローマ帝国
都市国家ローマから王政ローマを経て、共和政ローマ・ローマ帝国の首都となり、100万人が居住する当時としては世界最大の都市となった。コンスタンティヌス1世が第2のローマと呼ばれたコンスタンティノポリスに遷都するまで、世界帝国の中心として君臨し続けた。
395年にローマ帝国が東西に分かれた後は、西ローマ帝国に属したが、西ローマ帝国は首都をラヴェンナに置いたためその政治的重要性は大きく低下した。5世紀には西ゴート人やヴァンダル人の掠奪を受けて衰微し、西ローマ帝国も476年に滅亡した。その後は西ローマを滅ぼしたオドアケル、次いで東ゴート王国の支配下に入った。
文化の中心地
6世紀以降は東ゴートを滅ぼした東ローマ帝国やランゴバルド王国などのいくつかのゲルマン人の王国の支配を経てフランク王国のカール1世が征服。『シャルルマーニュの寄進状』によれば800年にカールによりローマ教皇に寄進されたとされるが、この文書は今日では偽書とする見解が優勢である。15世紀半ば以降、ローマ教皇領の首都として栄え、ローマはルネサンス文化の中心地となった。教皇ニコラウス5世の時代には、城壁の改修、宮殿の建設、教会の修復工事がおこなわれた。おもな芸術家や建築家はローマで活動するようになり、15世紀末にはローマはフィレンツェにかわってルネサンスの一大中心地となり、ミケランジェロ、ブラマンテ、ラファエロなどの芸術家が教皇のために仕事をした。しかし、1527年、ハプスブルク家の傭兵軍による、いわゆる「ローマ劫掠」によって、この都の盛期ルネサンスは終わりをつげた。なお、家屋が雑然と密集した中世の都市形態が近代化されはじめたのは、16世紀末の教皇シクストゥス5世の時代で、ポポロ広場から市の中心部にむかって3本の道路を開き、広場や泉をつくり、フェリーチェ水道を修復した。サン・ピエトロ大聖堂の丸屋根が完成したのもこの時代である。 対抗改革期のローマを特徴づけるバロック様式は、17世紀の建築物に多くみられる。ベルニーニやボロミーニのような彫刻家と建築家が、この時代にローマの外観をかえていった。18世紀のローマは、教皇の支配のもとで比較的穏やかな時代をむかえていた。スペイン階段などにみられる18世紀前半のロココ様式の建物は、やがて新古典主義の建物にかわった。1797年ナポレオン1世はローマを占領し、多数の貴重な美術品をもちさったが、ウィーン会議ののち、ローマはふたたび教皇領となった。
統一イタリアの首都
ウィーン会議後のオーストリアによるイタリア支配は独立達成にむけてイタリア人を奮起させたが、援軍とあおいだナポレオン3世によるイタリア占領はイタリア人の反発をまねき、1861年、イタリアの大部分はサボイア家のもとで統一をはたした。教皇の本拠地だったローマは1870年、フランス軍の撤退後、1871年にイタリア王国にローマ教皇領が併合されイタリアが統一され、ローマはフィレンツェに代わって統一イタリアの首都となった。その後1930年代にはファシスト党の独裁者、ベニート・ムッソリーニがローマ郊外にローマ万国博覧会のための新都市、EUR(エウル)を建設したが、第二次世界大戦へのイタリアの参戦によりEURの拡大は一時的に中止となった。
現在
第二次世界大戦後には、航空機の発達により、日本をはじめとするアジアやアメリカなどのヨーロッパ圏外からも多数の観光客が訪れるようになった。現在はパリやマドリードなどと並び、ヨーロッパを代表する観光都市として親しまれている。また、イタリアの首都で政治や経済、文化の中心地的存在であり、カトリック教会の中枢で、市内には国際機関や多国籍企業の本拠があり、イタリアを代表する大企業の本社や官公庁が立ち並ぶ世界的に重要な都市となっている。
行政
- 代表: ワルテル・ヴェルトローニ- 民主党(2006年5月29日選出)
経済
イタリアの首都であることから、政治・経済の中心地であるが、ローマの経済は基本的に行政と観光によっており、労働者の大半はこの分野と卸売、小売業などのサービス業に従事している。ローマには、イタリアの大企業の本社や多国籍企業の本拠地、国営放送局(RAI)、大手新聞社などのマスコミの本社、在外公館が集中し、また国連食糧農業機関(FAO)、国際農業開発基金(IFAD)、世界食糧計画(WFP)の本部がおかれている。
市内には古代遺跡や美術館などが多く残り、世界各国から観光客が集まることから観光業界が重要な産業となっており、特にヴェネト通りやスペイン広場周辺には高級ホテルやレストラン、ブティックが立ち並び一年中賑わいを見せている。
郊外には独裁者ベニート・ムッソリーニが作った世界的に著名な映画撮影所「チネチッタ」があり、フェデリコ・フェリーニ監督の「甘い生活」や「インテルビスタ」など多数の名作が撮影された。イタリアの映画産業のみならずイタリアの近代文化にとっても重要な場所である。
観光
古代ローマ遺跡
広場・公園
教会
- サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂
- サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂
- サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂
- サン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂
- サンタ・マリア・イン・コスメディン教会(真実の口)
宮殿
美術館・博物館
その他の建造物
市内の他の場所
バチカン市国内の観光名所
文化
スポーツ
サッカーでは、セリエAのASローマと、SSラツィオ、セリエC2のチスコ・ローマの本拠地である。
ローマが舞台の映画、小説、音楽
- ローマの休日
- 終着駅
- 愛の泉
- ニュー・シネマ・パラダイス
- フェデリコ・フェリーニの映画
- 日本映画
- ローマ三部作(オットリノ・レスピーギ)
交通
市内・郊外
イタリア国鉄(トレニタリア Trenitalia)のローマ駅(ローマ・テルミニ駅)が市の中心駅である。市内の交通はローマ市の運営するバス網が中心である。イタリアの他都市同様、バスの乗車券は乗車前にキオスクなどで購入する。また、ローマ地下鉄が2路線(A、B)あり、ローマ・テルミニ駅や、チネチッタなど郊外を結んでいる。他にもタクシーが安価な交通手段として多用されている。
長距離
長距離交通は、テルミニ駅を発着する長距離列車のほか、時速300キロで運行されているユーロスター・イタリア(ES*)などの高速鉄道、航空便や高速道路を使用する長距離バスなどで結ばれている。
なお、日本を含む長距離国際線とEU内国際線、国内線はフィウミチーノ空港(レオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港)を使用し、EU内国際線と国内線は主にチャンピーノ空港(ジョヴァン・バッティスタ・パスティーネ空港)が使われる。フィウミチーノまではテルミニ駅から直通列車「Leonardo Express」が運行され、所要時間は30分ほどである。
日本から
日本からはアリタリア航空と日本航空が成田国際空港からフィウミチーノ空港へ直行便を飛ばしている他、ミラノをはじめ欧州主要都市経由で行くことができる。
その他
関連項目
外部リンク
- 公式
- 日系機関・団体
- その他
- MILLEBACI - イタリア・ローマ情報サイト
- Terracina - ローマとナポリ間の海の都市
- 古代ローマの模型
- Trip to Rome daily photo - ローマの写真