コンテンツにスキップ

「ジョン・サルストン」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
 
(9人の利用者による、間の18版が非表示)
1行目: 1行目:
{{Infobox scientist
|name = John Sulston<br>ジョン・サルストン
|image = John_Sulston.jpg
|image_size = 200px
|caption =
|birth_date = {{Birth date|df=yes|1942|03|27}}
|birth_place = {{GBR}} [[ケンブリッジ]]
|death_date = {{Death date and age|2018|03|06|1942|03|27|df=yes}}
|death_place = {{GBR}} [[サウス・イースト・イングランド]]
|citizenship =
|nationality = {{GBR}}
|fields = [[分子生物学]]
|workplaces = [[ケンブリッジ大学]]<br>[[ソーク研究所]]<br>[[MRC分子生物学研究所]]<br>[[マンチェスター大学]]
|alma_mater = [[ケンブリッジ大学]]
|thesis_title = Aspects of oligoribonucleotide synthesis
|thesis_url = http://ethos.bl.uk/OrderDetails.do?uin=uk.bl.ethos.648083
|thesis_year = 1966
|known_for =
|influences =
|influenced =
|awards = [[ガードナー国際賞]](1991, 2002)<br>[[ノーベル生理学・医学賞]](2002)  
|signature =
|footnotes =
}}
{{Thumbnail:begin}}
{{Thumbnail:begin}}
{{thumbnail:画像|John_Sulston.jpg}}
{{Thumbnail:ノーベル賞受賞者|2002年|ノーベル生理学・医学賞|器官発生と、プログラムされた細胞死の遺伝制御に関する発見}}
{{Thumbnail:ノーベル賞受賞者|2002年|ノーベル生理学・医学賞|器官発生と、プログラムされた細胞死の遺伝制御に関する発見}}
{{Thumbnail:end}}
{{Thumbnail:end}}


'''ジョン・エドワード・サルストン'''('''John Edward Sulston'''、[[1942年]][[3月27日]] - )は、[[イギリス]]の[[生物学者]]。[[ケンブリッジ大学]]の分子生物学研究所にて共同で研究をしていた[[シドニー・ブレナー]]及び[[ロバート・ホロビッツ]]と共に[[2002年]]の[[ノーベル生理学・医学賞]]を受賞した。
'''ジョン・エドワード・サルストン'''(John Edward Sulston, {{post-nominals|country=GBR|CH|FRS|MAE}}、[[1942年]][[3月27日]] - [[2018年]][[3月6日]])は、[[イギリス]]の[[生物学者]]。[[ケンブリッジ大学]]の分子生物学研究所にて共同で研究をしていた[[シドニー・ブレナー]]及び[[ロバート・ホロビッツ]]と共に[[2002年]]の[[ノーベル生理学・医学賞]]を受賞した。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
ケンブリッジ大学[[ペンブルックカレッジ]]で学び、[[1963年]]に卒業した。彼はケンブリッジ大学の化学部に入り、[[ヌクレオチド]]の化学的な研究を行い、[[Ph.D.]]を取得。彼の人生を[[生物学]]への研究、特に[[分子生物学]]の分野に捧げた。彼は[[博士研究員]]として[[アメリカ合衆国]]にある[[ソーク研究所]]でしばらく働いた後、[[シドニー・ブレナー]]の元で、[[MRC分子生物学研究所]] (MRC Laboratory of Molecular Biology)で働くためにケンブリッジ大学に戻った。
[[ケンブリッジ]]生まれ。[[ケンブリッジ大学]][[ペンブルックカレッジ]]で学び、[[1963年]]に卒業した。彼はケンブリッジ大学の化学部に入り、[[ヌクレオチド]]の化学的な研究を行い、[[Ph.D.]]を取得。彼の人生を[[生物学]]への研究、特に[[分子生物学]]の分野に捧げた。彼は[[博士研究員]]として[[アメリカ合衆国]]にある[[ソーク研究所]]でしばらく働いた後、[[シドニー・ブレナー]]の元で、[[MRC分子生物学研究所]] (MRC Laboratory of Molecular Biology)で働くためにケンブリッジ大学に戻った。


彼は[[C. elegans|Caenorhabditis elegans]]と[[人間]]の[[ゲノム]]解析プロジェクト([[ヒトゲノム計画]])の両方で中心的な役割を果たした。彼はC. elegansの配列の成功は大規模なゲノム解析が可能であることを示すと主張した。
彼は[[C. elegans|Caenorhabditis elegans]]と[[人間]]の[[ゲノム]]解析プロジェクト([[ヒトゲノム計画]])の両方で中心的な役割を果たした。彼はC. elegansの配列解読の成功は大規模なゲノム解析が可能であることを示すと主張した。


C. elegansのゲノム解析が進むと共に、ヒトゲノム計画が始まった。このとき彼はイギリス、ケンブリッジのSanger Centre(現在のWellcome Trust Sanger Institute)のセンター長となっていた。
C. elegansのゲノム解析が進むと共に、ヒトゲノム計画が始まった。このとき彼はイギリス、ケンブリッジのSanger Centre(現在のWellcome Trust Sanger Institute)のセンター長となっていた。
15行目: 38行目:
[[2000年]]に、ヒトゲノム計画において、ゲノムのドラフトが公開され、彼はSanger Centreのセンター長を引退した。
[[2000年]]に、ヒトゲノム計画において、ゲノムのドラフトが公開され、彼はSanger Centreのセンター長を引退した。


彼のLMB時代の最も重要な研究の一つは、C. elegansの細胞の分裂を正確に解明したことである。実際、彼と彼のチームは[[線虫]]の胎児の細胞系統を完全に辿ることに成功した。彼は今、人間の遺伝子情報の特許取得に反対している。
彼のLMB時代の最も重要な研究の一つは、C. elegansの細胞の分裂を正確に解明したことである。実際、彼と彼のチームは[[線虫]]の胎児の細胞系統を完全に辿ることに成功した。彼は今、人間の遺伝子情報の特許取得に反対している。1986年[[王立協会フェロー]]選出


== 主な受賞歴 ==
== 主な受賞歴 ==
* [[1991年]]: [[ガードナ国際賞]]
* [[1986年]] - [[アルデン・スペンサー賞]]
* [[1996年]]: [[ウィン・メダル]]
* [[1991年]] - [[ガードナ国際賞]]
* [[1997年]]: [[ゼンステ]]
* [[1996年]] - [[ン・メダル]]
* [[2001年]]: [[アストゥリア皇太子賞]]学術・技術研究部門
* [[1997年]] - [[ローゼンティール賞]]
* [[2001年]] - [[アストゥリアス皇太子賞]]学術・技術研究部門
* 2002年: [[ガードナー国際賞]]ノーベル生理学・医学賞
* 2002年 - [[ダン・デイヴィッド賞]]、ガードナー国際賞(2回目)、ノーベル生理学・医学賞


== 出典 ==
== 出典 ==
* [http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/2002/sulston-bio.html John E. Sulston - Biographical]
* [http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/2002/sulston-bio.html John E. Sulston - Biographical]


{{ダーウィン・メダルの受賞者}}
{{ノーベル生理学・医学賞受賞者 (2001年-2025年)}}
{{ノーベル生理学・医学賞受賞者 (2001年-2025年)}}
{{Normdaten}}
{{典拠管理}}


{{DEFAULTSORT:さるすとん しよん}}
{{DEFAULTSORT:さるすとん しよん}}
[[Category:イギリスの生物学者]]
[[Category:20世紀イギリスの生物学者]]
[[Category:ノーベル・医学賞受賞者]]
[[Category:21世紀イギリスの学者]]
[[Category:ヒトゲノム計画の科学者]]
[[Category:イギリスのノーベル賞受賞者]]
[[Category:アルデン・スペンサー賞の受賞者]]<!-- 1986年 -->
[[Category:ガードナー国際賞受賞者]]<!-- 1991、2002年 -->
[[Category:ダーウィン・メダルの受賞者]]<!-- 1996年 -->
[[Category:ローゼンスティール賞の受賞者]]<!-- 1997年 -->
[[Category:アストゥリアス皇太子賞受賞者]]<!-- 2001年 -->
[[Category:アルフレッド・P・スローン・ジュニア賞の受賞者]]<!-- 2002年 -->
[[Category:ダン・デイヴィッド賞の受賞者]]<!-- 2002年 -->
[[Category:ノーベル生理学・医学賞受賞者]]<!-- 2002年 -->
[[Category:ベイリー・メダルの受賞者]]<!-- 2003年 -->
[[Category:コンパニオン・オブ・オナー勲章]]
[[Category:王立協会フェロー]]
[[Category:ヨーロッパ・アカデミー会員]]
[[Category:ケンブリッジ大学の教員]]
[[Category:ケンブリッジ大学の教員]]
[[Category:欧州分子生物学機構会員]]
[[Category:イングランドの無神論者]]
[[Category:MRC分子生物学研究所の人物]]
[[Category:MRC分子生物学研究所の人物]]
[[Category:ソーク研究所の人物]]
[[Category:ソーク研究所の人物]]
[[Category:ケンブリッジ大学出身の人物]]
[[Category:ケンブリッジ大学ペンブルック・カレッジ出身の人物]]
[[Category:ケンブリッジ出身の人物]]
[[Category:1942年生]]
[[Category:1942年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:2018年没]]

2023年3月7日 (火) 14:02時点における最新版

John Sulston
ジョン・サルストン
生誕 (1942-03-27) 1942年3月27日
イギリスの旗 イギリス ケンブリッジ
死没 2018年3月6日(2018-03-06)(75歳没)
イギリスの旗 イギリス サウス・イースト・イングランド
国籍 イギリスの旗 イギリス
研究分野 分子生物学
研究機関 ケンブリッジ大学
ソーク研究所
MRC分子生物学研究所
マンチェスター大学
出身校 ケンブリッジ大学
博士論文 Aspects of oligoribonucleotide synthesis (1966)
主な受賞歴 ガードナー国際賞(1991, 2002)
ノーベル生理学・医学賞(2002)  
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示
ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:2002年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:器官発生と、プログラムされた細胞死の遺伝制御に関する発見

ジョン・エドワード・サルストン(John Edward Sulston, CH FRS 1942年3月27日 - 2018年3月6日)は、イギリス生物学者ケンブリッジ大学の分子生物学研究所にて共同で研究をしていたシドニー・ブレナー及びロバート・ホロビッツと共に2002年ノーベル生理学・医学賞を受賞した。

経歴

[編集]

ケンブリッジ生まれ。ケンブリッジ大学ペンブルック・カレッジで学び、1963年に卒業した。彼はケンブリッジ大学の化学部に入り、ヌクレオチドの化学的な研究を行い、Ph.D.を取得。彼の人生を生物学への研究、特に分子生物学の分野に捧げた。彼は博士研究員としてアメリカ合衆国にあるソーク研究所でしばらく働いた後、シドニー・ブレナーの元で、MRC分子生物学研究所 (MRC Laboratory of Molecular Biology)で働くためにケンブリッジ大学に戻った。

彼はCaenorhabditis elegans人間ゲノム解析プロジェクト(ヒトゲノム計画)の両方で中心的な役割を果たした。彼はC. elegansの配列解読の成功は大規模なゲノム解析が可能であることを示すと主張した。

C. elegansのゲノム解析が進むと共に、ヒトゲノム計画が始まった。このとき彼はイギリス、ケンブリッジのSanger Centre(現在のWellcome Trust Sanger Institute)のセンター長となっていた。

2000年に、ヒトゲノム計画において、ゲノムのドラフトが公開され、彼はSanger Centreのセンター長を引退した。

彼のLMB時代の最も重要な研究の一つは、C. elegansの細胞の分裂を正確に解明したことである。実際、彼と彼のチームは線虫の胎児の細胞系統を完全に辿ることに成功した。彼は今、人間の遺伝子情報の特許取得に反対している。1986年王立協会フェロー選出。

主な受賞歴

[編集]

出典

[編集]