「シェカー・メッタ」の版間の差分
m: →経歴: 直訳文直し、日本語ページの存在するページへのリンク移行 |
m 曖昧さ回避ページ日産へのリンクを解消、リンク先をダットサンに変更(DisamAssist使用) |
||
(7人の利用者による、間の7版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
{{WRCドライバー |
{{WRCドライバー |
||
| 氏名 = シェカー・メッタ |
| 氏名 = シェカー・メッタ |
||
| Image = <!--Shekhar Mehta.jpg--> |
| Image = <!--Shekhar Mehta.jpg--> |
||
| Caption = |
| Caption = |
||
12行目: | 12行目: | ||
| ステージ勝利数 = 13 |
| ステージ勝利数 = 13 |
||
| 通算獲得ポイント = 229 |
| 通算獲得ポイント = 229 |
||
| 初戦 = 1973 サファリ |
| 初戦 = 1973 サファリラリー |
||
| 初勝利 = 1973 サファリ |
| 初勝利 = 1973 サファリラリー |
||
| 最終勝利 = 1982 サファリ |
| 最終勝利 = 1982 サファリラリー |
||
| 最終戦 = 1987 コートジボワールラリー |
| 最終戦 = 1987 コートジボワールラリー |
||
}} |
}} |
||
'''シェカー・メッタ'''、本名'''チャンドラシェカー・メッタ''' |
'''シェカー・メッタ'''(''Shekhar Mehta'' )、本名'''チャンドラシェカー・メッタ'''(''Chandrashekhar "Shekhar" Mehta'' 、[[1945年]][[6月20日]] – [[2006年]][[4月12日]])は、[[ウガンダ]]で生まれた[[ケニア]]の[[ラリー]]・ドライバー。日本プレスの当時からの表記では「'''シェーカー・メッタ'''」と表記される場合が多い。 |
||
== |
== 戦歴 == |
||
ラリーストとしてはサファリやコート |
ラリーストとしては[[サファリラリー]]や[[コートジボワール]]といったマディ(「Mud」=泥)ラウンドでスポット的に託される場合が多かったドライバーである。[[サファリラリー]]5回優勝([[1973年]]、[[1979年]]-[[1982年]])、うち4回は連続優勝という記録を残し<ref>[http://www.rallybase.nl/index.php?type=rally&rallytype=Ken Safari Rally Roll of Honour], Rallybase.nl</ref>、[[1981年]][[世界ラリー選手権|WRC]]個人ランキング5位と言う結果に繋がっている<ref>[http://www.rallybase.nl/index.php?type=standing&standingid=wcd1981 1981 World Rally Championship for Drivers Final classification], Rallybase.nl</ref>。 |
||
日本メーカーワークス勢の、地元勢に載せた方が地の利を活かせるという判断でサファリで起用されることが多く、後にはコートジボワールなど他のマッドイベントでも起用されるようになり、他カテゴリーでも幅広い活躍を見せた。 |
|||
[[サファリラリー]]5回優勝([[1973年]]、[[1979年]]-[[1982年]])、うち4回は連続優勝という記録を残し<ref>[http://www.rallybase.nl/index.php?type=rally&rallytype=Ken Safari Rally Roll of Honour], Rallybase.nl</ref>、[[1981年]][[世界ラリー選手権|WRC]]個人ランキング5位と言う結果に繋がっている<ref>[http://www.rallybase.nl/index.php?type=standing&standingid=wcd1981 1981 World Rally Championship for Drivers Final classification], Rallybase.nl</ref>。 |
|||
== プロフィール == |
|||
⚫ | [[1945年]]、 |
||
===デビュー=== |
|||
⚫ | |||
===活躍=== |
|||
⚫ | |||
[[BMW%E3%83%BB1500/1600/1800/2000|BMW1800]]を駆っての地元ローカル[[ヒルクライム]]やナイルラリーでの活躍が認められ、[[1969年]]に東アフリカモーター スポーツマンオブザイヤー(''East African Motor sportsman of the Year'' )に選ばれた<ref>[http://kenyapage.net/commentary/?p=81 Keniya Page Shekhar Mehta]2012年8月26日閲覧</ref>。 |
|||
⚫ | |||
⚫ | |||
===全盛期=== |
|||
全盛期のメッタは |
全盛期のメッタは日本でもその活躍は馴染み深く、[[ダットサン]]ワークスで[[1976年]]には[[キプロスラリー]]に優勝し<ref>[http://www.cyprusrally.com.cy/en/pastrallies.htm Cyprus Rally - past events]</ref>、[[1981年]]には[[アフリカ・ラリー選手権]]([[:en:African Rally Championship|''African Rally Championship'' ]])で初代優勝者となり<ref>African Rally Championship [http://www.africanrallychampionship.com/index.php?option=com_content&task=view&id=65&Itemid=80 Past Winners]</ref>、その後の[[アルゼンチンラリー]]([[:en:Rally Argentina|''Rally Argentina'' ]])では表彰台、[[アクロポリスラリー]]では2回、[[コートジボワールラリー]]([[:en:Rallye Côte d'Ivoire|''Rallye Côte d'Ivoire'' ]])では3回、それぞれ入賞を果たしている。 |
||
[[1986年]]、[[プジョー]]から[[パリダカールラリー]]や翌年の[[パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム]]等でもプジョーワークスの[[ジャン・トッド]]により幅広く起用されることが多くなるが、[[1987年]][[ファラオラリー]]における事故で瀕死の重傷を負い、ラリー競技から惜しまれつつも引退する。 |
[[1986年]]、[[プジョー]]から[[パリダカールラリー]]や翌年の[[パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム]]等でもプジョーワークスの[[ジャン・トッド]]により幅広く起用されることが多くなるが、[[1987年]][[ファラオラリー]]における事故で瀕死の重傷を負い、ラリー競技から惜しまれつつも引退する。 |
||
===引退後=== |
|||
⚫ | ドライバーとしての役目を終えたその後として[[国際自動車連盟]](FIA)の様々な役職を務めるようになった。[[1997年]]には、FIAのラリー委員会の代表となり、亡くなる直前には臨時の[[世界ラリー選手権]]委員会代表に任命されていた。しかし、[[2006年]][[4月12日]]に[[ロンドン]]で、[[肝臓# |
||
⚫ | |||
⚫ | ドライバーとしての役目を終えたその後として[[国際自動車連盟]](FIA)の様々な役職を務めるようになった。[[1997年]]には、FIAのラリー委員会の代表となり、亡くなる直前には臨時の[[世界ラリー選手権]]委員会代表に任命されていた。しかし、[[2006年]][[4月12日]]に[[ロンドン]]で、[[肝臓#疾患|肝機能障害]]、[[肝炎]]に加え、古傷に由来する合併症によって亡くなった<ref>[http://eastandard.net/hm_news/news_s.php?articleid=1143950939 "Shekhar Mehta dies in London"], Eastandard.net, April 13, 2006</ref><ref>[http://uk.sports.yahoo.com/12042006/29/shekhar-mehta-loses-battle-illness.html "Shekhar Mehta Loses Battle With Illness"], Yahoo UK & Ireland Sports, April 12, 2006</ref>。 |
||
⚫ | |||
⚫ | |||
<div class="references-small"> |
<div class="references-small"> |
||
<references/> |
<references/> |
||
45行目: | 52行目: | ||
* [http://www.datsunhistory.com/Safari1.html "Datsun and The East African Safari Rally"], Datsunhistory.com |
* [http://www.datsunhistory.com/Safari1.html "Datsun and The East African Safari Rally"], Datsunhistory.com |
||
{{ |
{{デフォルトソート:めつた しえか}} |
||
[[Category:ラリードライバー]] |
[[Category:ラリードライバー]] |
||
[[Category:世界ラリー選手権のドライバー]] |
|||
[[Category:ケニアの人物]] |
[[Category:ケニアの人物]] |
||
[[Category:ウガンダ出身の人物]] |
[[Category:ウガンダ出身の人物]] |
||
[[Category:1945年生]] |
[[Category:1945年生]] |
||
[[Category:2006年没]] |
[[Category:2006年没]] |
||
[[Category:日産自動車のモータースポーツ関係者]] |
|||
[[ca:Shekhar Mehta]] |
|||
[[cs:Shekhar Mehta]] |
|||
[[de:Shekhar Mehta]] |
|||
[[en:Shekhar Mehta]] |
|||
[[es:Shekhar Mehta]] |
|||
[[et:Shekhar Mehta]] |
|||
[[fi:Shekhar Mehta]] |
|||
[[fr:Shekhar Mehta]] |
|||
[[hr:Shekhar Mehta]] |
|||
[[hu:Shekhar Mehta]] |
|||
[[it:Shekhar Mehta]] |
|||
[[nl:Shekhar Mehta]] |
|||
[[ru:Мехта, Шекхар]] |
|||
[[sv:Shekhar Mehta]] |
2023年6月25日 (日) 00:14時点における最新版
シェカー・メッタ | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | ケニア |
WRCでの経歴 | |
活動時期 | 1973 - 1987 |
所属チーム | アウディ、日産、プジョー、ランチア |
出走回数 | 47 |
チャンピオン回数 | 0 |
優勝回数 | 5 |
表彰台回数 | 11 |
ステージ勝利数 | 13 |
通算獲得ポイント | 229 |
初戦 | 1973 サファリラリー |
初勝利 | 1973 サファリラリー |
最終勝利 | 1982 サファリラリー |
最終戦 | 1987 コートジボワールラリー |
シェカー・メッタ(Shekhar Mehta )、本名チャンドラシェカー・メッタ(Chandrashekhar "Shekhar" Mehta 、1945年6月20日 – 2006年4月12日)は、ウガンダで生まれたケニアのラリー・ドライバー。日本プレスの当時からの表記では「シェーカー・メッタ」と表記される場合が多い。
戦歴
[編集]ラリーストとしてはサファリラリーやコートジボワールといったマディ(「Mud」=泥)ラウンドでスポット的に託される場合が多かったドライバーである。サファリラリー5回優勝(1973年、1979年-1982年)、うち4回は連続優勝という記録を残し[1]、1981年WRC個人ランキング5位と言う結果に繋がっている[2]。
日本メーカーワークス勢の、地元勢に載せた方が地の利を活かせるという判断でサファリで起用されることが多く、後にはコートジボワールなど他のマッドイベントでも起用されるようになり、他カテゴリーでも幅広い活躍を見せた。
プロフィール
[編集]デビュー
[編集]1945年、インド系ケニア人として、ウガンダの裕福な紅茶と砂糖プランテーションを営む実業家一家に生まれ、学生時代には当初ウガンダで家業を継ぐためにヨーロッパへ留学したが、呼び戻されるとその後1968年プジョー・204を駆ってラリーを始めた[3]。
活躍
[編集]BMW1800を駆っての地元ローカルヒルクライムやナイルラリーでの活躍が認められ、1969年に東アフリカモーター スポーツマンオブザイヤー(East African Motor sportsman of the Year )に選ばれた[4]。
ラリーでの活躍が開花していく過程であるサファリラリーで初優勝する前年の1972年、メッタの家族は、当時ウガンダのイディ・アミン政権下のインド/アジア人追放の際、ケニアに逃れることを余儀なくされている[5]。
全盛期
[編集]全盛期のメッタは日本でもその活躍は馴染み深く、ダットサンワークスで1976年にはキプロスラリーに優勝し[6]、1981年にはアフリカ・ラリー選手権(African Rally Championship )で初代優勝者となり[7]、その後のアルゼンチンラリー(Rally Argentina )では表彰台、アクロポリスラリーでは2回、コートジボワールラリー(Rallye Côte d'Ivoire )では3回、それぞれ入賞を果たしている。
1986年、プジョーからパリダカールラリーや翌年のパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム等でもプジョーワークスのジャン・トッドにより幅広く起用されることが多くなるが、1987年ファラオラリーにおける事故で瀕死の重傷を負い、ラリー競技から惜しまれつつも引退する。
引退後
[編集]メッタは、時々コ・ドライバーをしていたイヴォンヌ・プラット(Yvonne Pratt )と、ラリーの仕事が落ち着くまでの10年におよぶ求婚の末に結婚し、1991年には一人息子ヴィジャイ(Vijay )を儲けている[8]。
ドライバーとしての役目を終えたその後として国際自動車連盟(FIA)の様々な役職を務めるようになった。1997年には、FIAのラリー委員会の代表となり、亡くなる直前には臨時の世界ラリー選手権委員会代表に任命されていた。しかし、2006年4月12日にロンドンで、肝機能障害、肝炎に加え、古傷に由来する合併症によって亡くなった[9][10]。
脚注
[編集]- ^ Safari Rally Roll of Honour, Rallybase.nl
- ^ 1981 World Rally Championship for Drivers Final classification, Rallybase.nl
- ^ "Shekhar Mehta and John Large", Issue 4 Article 2, FIA News
- ^ Keniya Page Shekhar Mehta2012年8月26日閲覧
- ^ "Come, Let Us Now Praise Famous Ugandans...", Joachim Buwembo, The Daily Nation, September 2, 2002
- ^ Cyprus Rally - past events
- ^ African Rally Championship Past Winners
- ^ "Rally icon remembered", Sports Monthly, issue 52
- ^ "Shekhar Mehta dies in London", Eastandard.net, April 13, 2006
- ^ "Shekhar Mehta Loses Battle With Illness", Yahoo UK & Ireland Sports, April 12, 2006
外部リンク
[編集]- Driver profile, Rallybase.nl
- "Datsun and The East African Safari Rally", Datsunhistory.com