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「トレド王国」の版間の差分

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[[画像:Location map Taifa of Toledo.svg |thumb|300px|1037年頃のトレド王国の版図]]
'''トレド王国'''は、[[トレド]]を首都とした[[タイファ]]。[[後ウマイヤ朝]]が崩壊して成立した。主な王朝は[[ズンヌーン朝]]。[[1085年]]、[[カスティーリャ王国]]により長期の包囲にあい、征服された。その後[[カスティーリャ王国]]の[[アルフォンソ6世 (カスティーリャ王)|アルフォンソ6世]]が5月26日に入城した。
'''トレド王国'''({{Lang|es|Taifa de Toledo}}、あるいは{{Lang|es|Reino de Toledo}})は、[[トレド]]を[[首都]]とした[[タイファ]]。[[後ウマイヤ朝]]が崩壊して成立した。主な王朝は{{仮リンク|ズンヌーン朝|en|Dhulnunid dynasty}}。[[1085年]]、[[カスティーリャ王国]]により長期の包囲にあい、征服された。その後[[カスティーリャ王国]]の[[アルフォンソ6世 (カスティーリャ王)|アルフォンソ6世]]が[[5月26日]]に入城した。

ズンヌーン朝の君主{{仮リンク|トレドのアル・マアムーン|en|Al-Mamun of Toledo|label=アル・マアムーン}}は図書館建設、重要な古典書物を収集し学者に研究にあたらせ、学術の発展に力を入れた。アルフォンソ6世はかつてズンヌーン朝治下のトレドに亡命していたこともあり、その際先進的なイスラーム文化に触れたと考えられる。アルフォンソ6世はムスリム、ユダヤ教徒の先進性を認めており、カスティーリャ王国治下のトレドも初期の頃は文化的多様性を保っていたと考えられる。<ref>{{Cite book|title=『古都トレド 異教徒・異民族共存の街』|year=2016|publisher=昭和堂|author=芝修身}}</ref><ref>{{Cite book|title=『アラブとしてのスペイン』|year=1992|publisher=第三書館|author=余部福三}}</ref>

トレドが征服されると、当時の君主{{仮リンク|ヤヒヤ・アル=カーディル|en|Yahya al-Qadir}}は[[バランシヤ王国]]に支配権を移した。

== 関連項目 ==

* [[レコンキスタ]]
* [[マアムーン (曖昧さ回避)]]
* [[ザルカーリー]]
* [[トレド翻訳学派]]

== 脚注 ==
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2024年2月23日 (金) 03:46時点における最新版

1037年頃のトレド王国の版図

トレド王国Taifa de Toledo、あるいはReino de Toledo)は、トレド首都としたタイファ後ウマイヤ朝が崩壊して成立した。主な王朝はズンヌーン朝英語版1085年カスティーリャ王国により長期の包囲にあい、征服された。その後カスティーリャ王国アルフォンソ6世5月26日に入城した。

ズンヌーン朝の君主アル・マアムーン英語版は図書館建設、重要な古典書物を収集し学者に研究にあたらせ、学術の発展に力を入れた。アルフォンソ6世はかつてズンヌーン朝治下のトレドに亡命していたこともあり、その際先進的なイスラーム文化に触れたと考えられる。アルフォンソ6世はムスリム、ユダヤ教徒の先進性を認めており、カスティーリャ王国治下のトレドも初期の頃は文化的多様性を保っていたと考えられる。[1][2]

トレドが征服されると、当時の君主ヤヒヤ・アル=カーディル英語版バランシヤ王国に支配権を移した。

関連項目

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脚注

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  1. ^ 芝修身 (2016). 『古都トレド 異教徒・異民族共存の街』. 昭和堂 
  2. ^ 余部福三 (1992). 『アラブとしてのスペイン』. 第三書館