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「上川郡 (天塩国)」の版間の差分

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2020年10月7日 (水) 08:57時点における版

北海道天塩国上川郡の位置(1.和寒町 2.剣淵町 3.下川町 黄:明治期)

上川郡(かみかわぐん)は、北海道天塩国上川総合振興局

人口8,427人、面積1,000.64km²、人口密度8.42人/km²。(2024年9月30日、住民基本台帳人口)

以下の3町を含む。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記3町に士別市および名寄市の大部分(智恵文を除く)を加えた区域にあたる。

郡名は天塩川の上流部にあたることから命名。南に隣接する石狩国上川郡とは塩狩峠で境界を成している。

歴史

郡発足までの沿革

江戸時代の上川郡域は西蝦夷地に属し、松前藩によって開かれていたテシホ場所に含まれた。江戸時代後期になると文化4年南下政策を強力に進めるロシアの脅威に備え、上川郡域は天領とされた。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり庄内藩が警固を行い、同6年の6藩分領以降は庄内藩領となっていた。

戊辰戦争箱館戦争)終結直後の1869年8月15日大宝律令国郡里制を踏襲して上川郡が置かれた。

郡発足以降の沿革

北海道一・二級町村制施行時の天塩国上川郡の町村(15.士別村 16.上名寄村 17.剣淵村 18.多寄村 橙:士別市 黄:名寄市 青:区域が発足時と同じ町村および合併を経ていない町村 水色:分立して現存する町村 34.和寒村 35.下川村)

参考文献

関連項目