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「ベトナムの国旗」の版間の差分

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'''[[ベトナム]]の[[国旗]]'''は、[[東南アジア]]にある[[ベトナム社会主義共和国]]が[[1976年]][[7月2日]]から使用している'''黄星紅旗'''(こうせいこうき:{{vie|v=Cờ đỏ sao vàng|hn=旗𣠶𣋀黃}})、または金星紅旗と呼ばれる[[旗]]である。[[社会主義国]]における{{仮リンク|国家の象徴|en|Natonal symbol}}を模したものとなっており、[[ベトナム民主共和国]]([[北ベトナム]])の国旗を引き続き使用している。[[中華人民共和国の国旗]](五星紅旗)との類似が見られる。


本項目では、[[1945年]]から1976年までのベトナムに存立した歴代国家の国旗についても併せて解説する。
本項目では、[[1945年]]から1976年までのベトナムに存立した歴代国家の国旗についても併せて解説する。

2020年11月22日 (日) 04:07時点における版

ベトナムの国旗
ベトナムの旗
用途及び属性 市民・政府陸上、市民・政府海上?
縦横比 2:3
制定日 1955年11月30日
使用色
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ベトナム国旗は、東南アジアにあるベトナム社会主義共和国1976年7月2日から使用している黄星紅旗(こうせいこうき:ベトナム語Cờ đỏ sao vàng / 旗𣠶𣋀黃)、または金星紅旗と呼ばれるである。社会主義国における国家の象徴を模したものとなっており、ベトナム民主共和国北ベトナム)の国旗を引き続き使用している。中華人民共和国の国旗(五星紅旗)との類似が見られる。

本項目では、1945年から1976年までのベトナムに存立した歴代国家の国旗についても併せて解説する。

概要

金星紅旗の描き方

現行の国旗は、ベトナム社会主義共和国憲法第1章第13条第1項によって規定されている。

金星紅旗は縦横比が2:3の長方形で、赤地の中央に黄色五芒星を配置したデザインとなっている。旗の地に使われる赤色は社会主義国によく見られる色で、独立の為に人民が流した血と社会主義を象徴する。また、旗中央の星は旧ソ連国旗赤い星と同様に共産党共産主義)による国家指導を表し、星の黄(金)色は革命を、星から出る五芒(五本の光)は、『労働者農民兵士青年知識人』を表している。

金星紅旗は、現在の統一ベトナムの原点であるベトミン(ベトナム独立同盟会)の旗が基になっている。ベトミン時代の金星紅旗は現在のものとほぼ同じであるか、五芒星のデザインが若干異なっていた。ベトミンの旗は1945年ベトナム民主共和国(北ベトナム)が成立すると国旗として引き継がれ、1955年に五芒星のデザインが修正され現在の金星紅旗が誕生した。その後、1976年7月2日に北ベトナムが南ベトナム南ベトナム共和国)を吸収統一してベトナム社会主義共和国が成立すると、国章と異なり国旗は北ベトナム時代の金星紅旗がそのまま流用され現在に至る。

なお、ベトナム人民軍軍旗は、金星紅旗に人民軍のスローガンベトナム語Quyết thắng / 決勝、「勝利を決する」という意味で、日本語では「必勝」にニュアンスが近い)を追加しただけのものである。また、かつて南ベトナムに存在した南ベトナム共和国の国旗は、金星紅旗の下地の下半分を南ベトナムを象徴する水色に置き換えたもので、ベトナム労働党の指導下にあったベトナム民族解放戦線の旗を流用したものだった。

金星紅旗とそれに関連する旗

黄底三線旗

黄色旗の描き方

ベトナムには、1949年から1975年にかけて自由主義陣営に属するベトナム国ベトナム共和国(自由ベトナム)が存在した。自由ベトナムはベトナム戦争によって滅亡したが、滅亡後もベトナム共産党共産党の指導下にある統一ベトナム(ベトナム社会主義共和国)の正統性を認めない反共主義の国外在住ベトナム人(越僑)は、今もデモ活動や日常の場で自由ベトナムの国旗だった黄底三線旗(こうていさんせんき:ベトナム語Cờ vàng ba sọc đỏ / 旗黃𠀧𥉮𣠶)を使っている。

沿革

チベットの人権問題に抗議するドイツのデモ。画像右側に黄底三線旗が写っている。
頑張れ日本!全国行動委員会主催の中国のアジア侵略・人権弾圧を阻止する抗議デモ(2010年11月13日APEC開催中の横浜にて)。日の丸と共に黄底三線旗が掲げられている。

ベトナムでは、古来より黄色旗ベトナム語Cờ vàng / 旗黃)がキン族権威を示す旗として使われており、阮朝でも王朝旗として使用されていた。そして、1945年日本軍仏印処理ベトナム帝国が成立すると、新たなデザインの黄色旗が国旗として採用された。黄色旗は、ベトナム八月革命によるベトナム民主共和国の成立で一旦使用されなくなったが、第一次インドシナ戦争の影響で成立したベトナム国の黄底三線旗として再び国旗に返り咲いた。その後、ベトナム国の体制変更によって成立したベトナム共和国も黄底三線旗を国旗として流用し、黄底三線旗は冷戦ベトナム戦争を通じて「ベトナムにおける自由主義の象徴」となっていった。

1975年4月30日サイゴン陥落によってベトナム共和国が消滅すると、黄底三線旗は国旗としての役割を終え、ベトナム国内での掲揚が禁じられた。だが、「ベトナムの共産化」への抵抗から国外へ難民ボートピープル)として脱出した人々が「共産主義でない自由なベトナムの象徴」として黄底三線旗を用いるようになり、ベトナム共和国消滅から40年以上たってもベトナム系アメリカ人ベトナム系オーストラリア人のコミュニティーでは「自由ベトナムの旗」として用いられている。また、反共的な思想に基づきベトナム国外を拠点にベトナムの民主化を実現させる運動(ベトナム民主化運動英語版)を展開しているベトナム革新党臨時ベトナム国家政府等の団体や個人によって使用されている。しかし一方で、現在のベトナムでは黄底三線旗の掲揚は法律によって依然として禁止されている。

黄底三線旗は、日本でも中国に対するデモ活動北京オリンピックの聖火リレー[1][2]2010年尖閣諸島抗議デモなど)で使用されている。(ベトナム共和国が領していた西沙諸島西沙諸島の戦いによって中国に占領された事や南海諸島を巡る領土問題での中国に対する批判[3]、及びに現在のベトナムの体制を批判する意味や現在のベトナム国旗である金星紅旗を国旗として認めないという意味などで使用されている。)[4][5]

関連項目