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[[麻布中学校・高等学校|麻布高校]]卒業後、[[東京大学]]を二回受験するもいずれも不合格で、その後[[慶應義塾大学大学院経済学研究科・経済学部|慶應義塾大学経済学部]][[経済学部|経済学科]]へ入学。[[1970年]]に卒業し、[[慶應義塾大学大学院法学研究科・法学部|同大学法学部]][[法学部|法律学科]]に[[学士入学]]<ref>[https://www.mita-hyoron.keio.ac.jp/3-person-chat/201805-1.html 【三人閑談】折り紙の愉しみ] 三田評論</ref>。[[1972年]]に卒業。[[日本放送協会|NHK]]に入局し[[NHK福岡放送局|福岡放送局]]記者を皮切りに主に社会部畑を歩く。特に『[[NHKニュースTODAY]]』の社会部門キャスターとしての活躍が目覚しく、[[昭和天皇]]の闘病と[[崩御]]を始めとした[[皇室]]報道で有名になった。 |
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[[1991年]](平成3年)、NHKを退職、高知県知事選挙に立候補し、高知県知事選挙史上最多の31万6968票を獲得して初当選(当時全国最年少知事で、44歳での初当選だった)。 |
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[[1995年]](平成7年)には当時の[[流行語]]になるほど問題になった[[接待#提供する側・受ける側|官官接待]]を、全国の[[地方公共団体|地方自治体]]に先駆けて廃止した<ref>[http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20140125-1248564.html 橋本大二郎氏キャスター復帰テレ朝昼の顔 - 芸能ニュース : nikkansports.com]</ref>。 |
[[1995年]](平成7年)には当時の[[流行語]]になるほど問題になった[[接待#提供する側・受ける側|官官接待]]を、全国の[[地方公共団体|地方自治体]]に先駆けて廃止した<ref>[http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20140125-1248564.html 橋本大二郎氏キャスター復帰テレ朝昼の顔 - 芸能ニュース : nikkansports.com]</ref>。 |
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[[2001年]](平成13年)[[1月8日]]、[[高知市]]が開催した[[成人式]]での挨拶の際、知事に「帰れ」などと言って騒ぐ新成人を「静かにしろ!」「出て行け!」と怒鳴った<ref>その際に「お前が出て行け!」と言い返され、「みなさん、どう思いますか」と他の出席者に意見を聴いた。野次を飛ばした新成人たちは後日、[[森田益子]]県議に連れられて知事の元を訪れ、「帰れ」と言ったのは地元の出身者でないにもかかわらず、知事だからというだけで出てきたことへ反感を抱いたためであり、マスコミに大きく報道されたことは遺憾であるとしたうえで、騒いだことを謝罪している。これに対して橋本は「わかりました。ただ、私の話を聴いている人たちもいたのです」と返した。</ref>。なお、翌年以降の成人式は全て欠席している<ref>ただし[[2003年]](平成15年)の高知市成人式にはゲストとして出席している。</ref>。 |
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[[2002年]](平成14年)に開催された[[第57回国民体育大会|よさこい高知国体]]では、他県からの選手の引き抜きを行わない方針を貫き<ref>「国体のあり方 見直しを」([[東京新聞]]2020年9月29日付)</ref>、高知は男子・女子総合とも優勝とはならなかった。これは開催地優勝が常態化していた国体で39年ぶりのことである<ref>[https://www.japan-sports.or.jp/kokutai/tabid692.html 第57回大会の概要‐国民体育大会]([[日本スポーツ協会]]ホームページ)</ref>。 |
[[2002年]](平成14年)に開催された[[第57回国民体育大会|よさこい高知国体]]では、他県からの選手の引き抜きを行わない方針を貫き<ref>「国体のあり方 見直しを」([[東京新聞]]2020年9月29日付)</ref>、高知は男子・女子総合とも優勝とはならなかった。これは開催地優勝が常態化していた国体で39年ぶりのことである<ref>[https://www.japan-sports.or.jp/kokutai/tabid692.html 第57回大会の概要‐国民体育大会]([[日本スポーツ協会]]ホームページ)</ref>。 |
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[[2004年]](平成16年)9月に[[高知県議会]][[百条委員会]]が「1991年(平成3年)の知事選において元後援会事務局長が1億円を借り、県工事受注業者からの資金で借金を返済したと判断できる」との報告書をまとめた。この問題に関して[[10月8日]]、知事[[辞職勧告決議]]が提出され可決(賛成22票、反対15票)。この結果を受けて知事を辞任した。[[11月28日]]、[[出直し選挙]]が行われ、橋本が再選された。出直し選挙の背景には、次男による強制わいせつ事件への批判も挙げられている。 |
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[[2007年]](平成19年)[[8月1日]]、同年[[11月]]執行の高知県知事選挙に出馬せず、引退することを記者会見にて発表した。同年[[12月6日]]、任期満了に伴い高知県知事を退任した。 |
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=== 知事退任後 === |
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知事退任時に、次回[[2009年]](平成21年)の[[第45回衆議院議員総選挙|(第45回)衆議院議員総選挙]]への無所属での出馬([[高知県第1区]])を表明した。当初は与野党の別を問わず、既存政党から距離を置く姿勢を表明していたが、後に[[鳩山由紀夫]]([[国民民主党幹事長|民主党幹事長]])と会談し、同党と選挙協力関係を構築することで一致、総選挙告示前の新党結成に含みを持たせた<ref>鳩山幹事長と橋本前高知県知事、選挙協力へ([[日テレNEWS24]])</ref>。しかし、選挙戦では民主党も対抗馬として候補者を擁立した。当初は橋本の当選が確実視されていたが、選挙直前に民主党が大きく支持率を伸ばして票を奪われたこともあり、[[福井照]]([[自由民主党 (日本)|自民党]]公認候補・現職)に破れ、落選した。以降、選挙への立候補歴は無い。 |
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[[2010年]](平成22年)4月に[[公共経営研究科|早稲田大学大学院公共経営研究科]]客員教授、[[2011年]](平成23年)4月に慶應義塾大学大学院[[システムデザイン・マネジメント研究科]]特別招聘教授、[[2013年]](平成25年)4月に武蔵野大学客員教授に就任した。 |
2021年11月27日 (土) 10:16時点における版
橋本 大二郎 はしもと だいじろう | |
---|---|
生年月日 | 1947年1月12日(77歳) |
出生地 | 日本 東京都 |
出身校 |
慶應義塾大学経済学部経済学科卒業 慶應義塾大学法学部法律学科卒業 |
前職 | NHK職員 |
所属政党 | 無所属 |
称号 |
経済学士(慶應義塾大学・1970年) 法学士(慶應義塾大学・1972年) |
親族 |
橋本卯太郎(祖父) 若宮貞夫(祖父) 橋本龍伍(父) 橋本龍太郎(兄) 橋本岳(甥) |
公式サイト | 橋本大二郎 公式サイト |
公選第13-16代 高知県知事 | |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1991年(平成3年)12月7日 - 2007年(平成19年)12月6日 |
橋本 大二郎(はしもと だいじろう、1947年(昭和22年)1月12日 - )は、日本の政治家。第13 - 16代高知県知事、元NHK職員(記者、キャスター)、東アジア共同体研究所理事、武蔵野大学法学部政治学科客員教授。
経歴
生い立ち
麻布高校卒業後、東京大学を二回受験するもいずれも不合格で、その後慶應義塾大学経済学部経済学科へ入学。1970年に卒業し、同大学法学部法律学科に学士入学[1]。1972年に卒業。NHKに入局し福岡放送局記者を皮切りに主に社会部畑を歩く。特に『NHKニュースTODAY』の社会部門キャスターとしての活躍が目覚しく、昭和天皇の闘病と崩御を始めとした皇室報道で有名になった。
高知県知事
1991年(平成3年)、NHKを退職、高知県知事選挙に立候補し、高知県知事選挙史上最多の31万6968票を獲得して初当選(当時全国最年少知事で、44歳での初当選だった)。
1995年(平成7年)には当時の流行語になるほど問題になった官官接待を、全国の地方自治体に先駆けて廃止した[2]。
2000年(平成12年)、政治の透明化を目指し、高知県知事室にライブカメラを設置。
2001年(平成13年)1月8日、高知市が開催した成人式での挨拶の際、知事に「帰れ」などと言って騒ぐ新成人を「静かにしろ!」「出て行け!」と怒鳴った[3]。なお、翌年以降の成人式は全て欠席している[4]。
2002年(平成14年)に開催されたよさこい高知国体では、他県からの選手の引き抜きを行わない方針を貫き[5]、高知は男子・女子総合とも優勝とはならなかった。これは開催地優勝が常態化していた国体で39年ぶりのことである[6]。
2004年(平成16年)9月に高知県議会百条委員会が「1991年(平成3年)の知事選において元後援会事務局長が1億円を借り、県工事受注業者からの資金で借金を返済したと判断できる」との報告書をまとめた。この問題に関して10月8日、知事辞職勧告決議が提出され可決(賛成22票、反対15票)。この結果を受けて知事を辞任した。11月28日、出直し選挙が行われ、橋本が再選された。出直し選挙の背景には、次男による強制わいせつ事件への批判も挙げられている。
2007年(平成19年)8月1日、同年11月執行の高知県知事選挙に出馬せず、引退することを記者会見にて発表した。同年12月6日、任期満了に伴い高知県知事を退任した。
知事退任後
知事退任時に、次回2009年(平成21年)の(第45回)衆議院議員総選挙への無所属での出馬(高知県第1区)を表明した。当初は与野党の別を問わず、既存政党から距離を置く姿勢を表明していたが、後に鳩山由紀夫(民主党幹事長)と会談し、同党と選挙協力関係を構築することで一致、総選挙告示前の新党結成に含みを持たせた[7]。しかし、選挙戦では民主党も対抗馬として候補者を擁立した。当初は橋本の当選が確実視されていたが、選挙直前に民主党が大きく支持率を伸ばして票を奪われたこともあり、福井照(自民党公認候補・現職)に破れ、落選した。以降、選挙への立候補歴は無い。
2010年(平成22年)4月に早稲田大学大学院公共経営研究科客員教授、2011年(平成23年)4月に慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別招聘教授、2013年(平成25年)4月に武蔵野大学客員教授に就任した。
2014年(平成26年)4月よりテレビ朝日『ワイド!スクランブル』のメインキャスターを務める。24年ぶりのキャスター復帰となった。
2018年(平成30年)秋の番組改編に伴い、9月末をもって『ワイド!スクランブル』のメインキャスターを降板[8]。
年譜
- 1947年(昭和22年)1月 - 東京都に生まれる。
- 1959年(昭和34年)3月 - 学習院初等科卒業(同級生に鳩山由紀夫、水野誠一)。
- 1965年(昭和40年)3月 - 麻布高等学校卒業。
- 1970年(昭和45年)3月 - 慶應義塾大学経済学部経済学科卒業。
- 1972年(昭和47年)3月 - 慶應義塾大学法学部法律学科卒業。
- 1991年(平成3年)8月 - NHKを退職。
- 1995年(平成7年)12月 - 高知県知事選で再選。
- 1999年(平成11年)11月 - 高知県知事選で3選。
- 2003年(平成15年)11月 - 高知県知事選で4選。松尾徹人(前高知市長)を破る。
- 2004年(平成16年)10月 - 県議会の辞職勧告決議可決で知事を辞任。翌月の出直し高知県知事選で松尾徹人を破り5選。
- 2007年(平成19年)12月 - 任期満了に伴い高知県知事を退任。4期5選16年の職務であった。
- 2009年(平成21年)8月 - 第45回衆議院議員総選挙に無所属で高知1区より出馬するも落選。
- 2010年(平成22年)4月 - 早稲田大学大学院公共経営研究科客員教授。
- 2011年(平成23年)4月 - 慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別招聘教授。
- 2013年(平成25年)4月 - 武蔵野大学客員教授。
家族・親族
橋本家
- 祖父・卯太郎(東京府平民[9]、実業家・大日本麦酒の元常務)
- 祖母・マツ(熊本藩士石光真民の娘、恵比寿麦酒支配人石光真澄・陸軍少佐、諜報活動家石光真清・陸軍中将石光真臣の妹、陸軍主計総監男爵野田豁通の姪)
- 父・龍伍[10](大蔵官僚・政治家)
- 母・正(兵庫県、官僚・政治家若宮貞夫の四女)
- 異母兄・龍太郎(政治家・元首相)
- 自家
- 妻、息子(2人)
- 2人の息子は大二郎の実子ではなく、妻が死別した夫(元NHKの職員)との間にもうけた子である[11]。
出演
テレビ番組
- 料理の鉄人(フジテレビおよび同系列局(テレビ大分を除く)、1994年5月13日) - 美食アカデミー メンバー(審査員)
- ちちんぷいぷい(毎日放送、2012年夏 - 2014年3月) - 不定期出演
- やじうまテレビ!(テレビ朝日、2013年4月 - 9月) - 木曜コメンテーター
- グッド!モーニング(テレビ朝日、2013年10月 - 2014年3月) - 木曜コメンテーター
- ワイド!スクランブル(テレビ朝日、2014年4月 - 2018年9月) - メインキャスター
- くりぃむクイズ ミラクル9(テレビ朝日、2016年5月11日・2016年10月19日・2018年1月17日)
- 芸能人格付けチェック(テレビ朝日、2017年4月4日)
- 帯ドラマ劇場・トットちゃん!(テレビ朝日、2017年10月13日) - 有澤伯爵 役
ラジオ番組
- 大二郎'Sワールド(高知放送、2000年)
映画
- それいけ!アンパンマン ばいきんまんと3ばいパンチ(日本テレビ、映画、1996年) - シバテンの大ちゃん役(声の出演)
- 釣りバカ日誌14 お遍路大パニック!(松竹、映画、2003年) - よさこい祭りの見物人(孝子夫人と共にカメオ出演)
著書
- 橋本 大二郎『破天荒、大二郎がゆく』(ハードカバー)講談社、1993年1月。ISBN 9784062051569。
- 中川 和雄、橋本 大二郎『対談 知事として』(単行本)毎日新聞、1993年4月。ISBN 9784620309330。
- 橋本 大二郎『「政治家」無用論』(単行本)講談社、1995年7月。ISBN 9784062077682。
- 橋本 大二郎『土佐発 情報維新―「新いなか主義」が拓く地方からのマルチメディア革命』(単行本)徳間書店、1995年10月。ISBN 9784198603724。
- 橋本 大二郎『未来日本の構図―「情報生活維新」が示す個人と社会の新しい可能性』(単行本)くまざさ社、1999年6月。ISBN 9784938546465。
- 橋本 大二郎『知事―地方から日本が変わる』(新書)平凡社〈平凡社新書〉、2001年5月。ISBN 9784582850871。
- 浅野 史郎・北川 正恭・橋本 大二郎『知事が日本を変える』(新書)文藝春秋〈文春新書〉、2002年4月。ISBN 9784166602384。
- 橋本 大二郎『いつもハッピー』(単行本)講談社〈ヒューマンBOOKS〉、2002年11月12日。ISBN 9784062713528。
- 浅野 史郎・北川 正恭・橋本 大二郎 著、北海道大学大学院法学研究科附属高等法政教育研究センター編 編『地方から日本を変える : 改革派知事が語る新しい民主主義の実践』(単行本)北海道大学大学院法学研究科附属高等法政教育研究センター〈Academia juris booklet ; no.12〉、2004年3月。ISBN 4902066114。
- 橋本 大二郎『融通無碍』(単行本)ノブレスオブリージュ、2006年3月。ISBN 9784990289119。
- 橋本 大二郎『未来へ―「霞が関と永田町」大改革の処方箋』(単行本)プレジデント社、2009年6月。ISBN 9784833491150。
脚注
- ^ 【三人閑談】折り紙の愉しみ 三田評論
- ^ 橋本大二郎氏キャスター復帰テレ朝昼の顔 - 芸能ニュース : nikkansports.com
- ^ その際に「お前が出て行け!」と言い返され、「みなさん、どう思いますか」と他の出席者に意見を聴いた。野次を飛ばした新成人たちは後日、森田益子県議に連れられて知事の元を訪れ、「帰れ」と言ったのは地元の出身者でないにもかかわらず、知事だからというだけで出てきたことへ反感を抱いたためであり、マスコミに大きく報道されたことは遺憾であるとしたうえで、騒いだことを謝罪している。これに対して橋本は「わかりました。ただ、私の話を聴いている人たちもいたのです」と返した。
- ^ ただし2003年(平成15年)の高知市成人式にはゲストとして出席している。
- ^ 「国体のあり方 見直しを」(東京新聞2020年9月29日付)
- ^ 第57回大会の概要‐国民体育大会(日本スポーツ協会ホームページ)
- ^ 鳩山幹事長と橋本前高知県知事、選挙協力へ(日テレNEWS24)
- ^ “橋本大二郎氏 テレ朝「ワイド!スクランブル」9月末で降板、秋の改編伴い”. Sponichi Annex. (2018年7月11日) 2018年7月11日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 5版』(大正7年)は八五
- ^ 『衆議院会議録情報 第042回国会 本会議 第1号』
- ^ 橋本大二郎公式サイト/自分史:自分のこと
外部リンク
- 橋本大二郎 公式サイト
- 橋本大二郎です - 本人によるブログ(高知県知事時代のタイトルは「だいちゃんぜよ」)
- 橋本大二郎 (daichanzeyo) - X(旧Twitter)
- 橋本大二郎 (daichanzeyo) - Facebook