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「国鉄EF30形電気機関車」の版間の差分

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'''EF30形電気機関車'''(イーエフ30がたでんききかんしゃ)は、[[日本国有鉄道]](国鉄)が製造した[[交直流電車|交直流両用]][[電気機関車]]である。
'''EF30形電気機関車'''(イーエフ30がたでんききかんしゃ)は、[[日本国有鉄道]](国鉄)が製造した[[交直流電車|交直流両用]][[電気機関車]]である。

== 製造の経緯 ==
== 製造の経緯 ==
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[[関門鉄道トンネル|関門トンネル]]を挟む[[山陽本線]][[下関駅|下関]]-[[門司駅|門司]]間では、[[1942年]]の開通以来、直流専用の[[国鉄EF10形電気機関車|EF10形電気機関車]]が専用機関車として用いられていた。しかし、[[1961年]][[10月1日]]、[[鹿児島本線]]が[[交流電化]]される際に[[門司駅]]構内も交流電化し、下関寄りにある関門トンネル入り口付近に[[デッドセクション]]を設置することになったため、交直流電気機関車が必要となった。
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== 運用 ==
== 運用 ==
試作車1号機が製造された際、九州島内の交流電化は工事が終わっていなかったため、まず九州と同一周波数(60Hz)の交流電化区間である[[北陸本線]]で試運転が行われた。続いて九州でも試運転を行い、その成績を踏まえて改良を施した量産型が投入された。全車とも、配置は[[門司機関区]]であった。
試作車1号機が製造された際、九州島内の交流電化は工事が終わっていなかったため、まず九州と同一周波数(60Hz)の交流電化区間である[[北陸本線]]で試運転が行われた。続いて九州でも試運転を行い、その成績を踏まえて改良を施した量産型が投入された。全車とも、配置は[[門司機関区]]であった。


下関-門司間を走るすべての[[客車]]・[[貨物列車]]を牽引し、貨物列車運用では近隣の[[幡生駅|幡生操車場]]や[[東小倉駅]]にも入線したが、特殊な性能のためこれ以外の区間に出ることはなかった。
下関-門司間を走るすべての[[客車]]・[[貨物列車]]を牽引し、貨物列車運用では近隣の[[幡生駅|幡生操車場]]や[[東小倉駅]]にも入線したが、特殊な性能のためこれ以外の区間に出ることはなかった。

2008年2月8日 (金) 23:24時点における版

国鉄EF30形電気機関車
全長 16560mm
全幅 2800mm
全高 3780mm
重量 96t
軸配置 B-B-B
1時間定格出力 1800kW(直流)

346kW(交流)

1時間定格引張力 13900kg(直流)

4700kg(交流)

最高運転速度 85km/h

EF30形電気機関車(イーエフ30がたでんききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が製造した交直流両用電気機関車である。

製造の経緯

関門トンネルを挟む山陽本線下関門司間では、1942年の開通以来、直流専用のEF10形電気機関車が専用機関車として用いられていた。しかし、1961年10月1日鹿児島本線交流電化される際に門司駅構内も交流電化し、下関寄りにある関門トンネル入り口付近にデッドセクションを設置することになったため、交直流電気機関車が必要となった。

そこで、直流電化区間である関門トンネルと交流電化区間の門司駅を直通できる新形式交直流電気機関車としてEF30形が開発された。本形式は世界初の実用交直流電気機関車でもある。

構造

制御方式は直並列制御、抵抗制御、バーニア制御の3種類。主電動機はMT51形を使用している。車体は関門トンネルの海水による塩害)を防ぐためステンレス製で、無塗装となっている。重連で使用されることが多いため、重連総括制御用のジャンパ連結器を持ち、前面に貫通扉を設けている。駆動方式はWNドライブを採用し、1959年に試作された交直流電機ED46形(後にED92形)や、翌1962年に常磐線用に量産が開始されたEF80形同様に、1台車1モーター2軸駆動方式を取るなど特異な構造を持つ。

直流側の1時間定格出力は1800kWだが、交流区間を走行するのは門司駅構内のわずかな区間だけであるため、交流側の出力は部分出力の450kWとなっている。また、整流器は当初からシリコン整流器を採用している。

製造

合計22両製造された。まず三菱電機新三菱重工業により1960年に先行試作車として1号機が製造され、続いて三菱電機・新三菱重工業、東京芝浦電気日立製作所により、量産型として1961年から1968年の間に2~22号機が製造された。

量産型では1号機に比べ、次のような変更がなされた。

  • 機器類
    • 交流側出力向上のため、主電動機をMT102からMT51に変更
    • バーニア制御器をCS13からCS13Bに
    • 主変圧器をTM4XからTM4に
    • シリコン整流器を素子数192個のものから素子数80個のものに
    • 電動発電機・電動送風機の変更
  • 車体
    • 車体長さを17.86mから16.56mに短縮
    • 外板を「コルゲート板」と呼ばれる波形プレス加工を施した板に変更
    • 窓配置の変更
    • 機関車番号を切り抜き文字による表示から、独立したナンバープレートを取り付ける方式に変更
    • 赤帯を廃止

なお、1号機は後年、量産化改造が実施され、量産型と同一の機器類に取り替えられた。

運用

試作車1号機が製造された際、九州島内の交流電化は工事が終わっていなかったため、まず九州と同一周波数(60Hz)の交流電化区間である北陸本線で試運転が行われた。続いて九州でも試運転を行い、その成績を踏まえて改良を施した量産型が投入された。全車とも、配置は門司機関区であった。

下関-門司間を走るすべての客車貨物列車を牽引し、貨物列車運用では近隣の幡生操車場東小倉駅にも入線したが、特殊な性能のためこれ以外の区間に出ることはなかった。

特筆すべき運用としては1964年10月1日から1年間実施された電車特急「つばめ」「はと」の牽引があげられる。これは直流専用の151系電車を交流電化区間内で走行させるため、同車が自力で走行できない下関以西で電気機関車を用いて牽引するというものであった。下関-門司間の牽引機として本形式のうち2~8号機が対象となり、ジャンパ線に改造を施して電車制御用の各種回路が装備され、ナンバープレートを赤色に塗り非対応機と区別した。

1978年に試作車1号機が廃車された。その後、田端機関区に転属していたEF81形300番台2両が門司機関区に戻り、加えてEF81形0番台を改造した400番台が投入されたため、量産型もJR発足前の1984年から1987年にかけて動態保存の3号機を除きすべて廃車となった。

保存車

3号機が動態保存として九州旅客鉄道(JR九州)に引き継がれ、大分運転所(現・豊肥久大運輸センター)で保管されていたが、1995年に除籍されたのち、2006年3月に前頭部を残して解体された。

静態保存としては1号機が福岡県北九州市小倉北区の勝山公園で、20号機が群馬県安中市碓氷峠鉄道文化むらで保存されている。

関連商品

トミックスNゲージ鉄道模型で量産型を発売しているほか、同社の30周年記念の車両セットにて試作機タイプの車両を販売していた。

関連項目