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「北陸電力サッカー部アローズ北陸」の版間の差分

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成績などいろいろ
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{{サッカークラブ|
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'''アローズ北陸'''(アローズほくりく、''ALO'S Hokuriku'')は、かつて存在した[[日本]]の[[サッカー]]クラブ。[[北陸電力]]のサッカー部として[[1990年]]に創部し、1996年から'''アローズ北陸'''へ名称を変更。[[富山県]][[富山市]]を本拠地としていた。
'''アローズ北陸'''(アローズほくりく、''ALO'S Hokuriku'')は、かつて存在した[[日本]]の[[サッカー]]クラブ。[[北陸電力]]のサッカー部として[[1990年]]に創部し、1996年から'''アローズ北陸'''へ名称を変更。[[富山県]][[富山市]]を本拠地としていた。


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== 歴史 ==
== 歴史 ==
=== 創設~2004年 ===
=== 創設~2004年 ===
[[1990年]]に北陸電力サッカー部として創設。[[1996年]]に地域に根ざしたサッカークラブを目指すことを目標に現在の名称に変更。[[YKK APサッカー部]]とともに富山県を代表する社会人チームとして[[北信越フットボールリーグ]]で活躍してきたが、1999年度[[全国地域サッカーリーグ決勝大会|地域リーグ決勝大会]]に優勝し[[2000年]]から[[日本フットボールリーグ]](JFL)に参加している。[[2004年]]までは最高順位が8位と振るわなかった。特に、[[2001年]]から[[2002年]]にかけての27試合連続未勝利はJFLリーグワースト記録である。
[[1990年]]に北陸電力サッカー部として創設。[[1996年]]に地域に根ざしたサッカークラブを目指すことを目標に現在の名称に変更。[[YKK APサッカー部]]とともに富山県を代表する社会人チームとして[[北信越フットボールリーグ]]で活躍してきたが、1999年度[[全国地域サッカーリーグ決勝大会|地域リーグ決勝大会]]に優勝し[[2000年]]から[[日本フットボールリーグ]](JFL)に参加。[[2004年]]までは最高順位が8位と振るわなかった。特に、[[2001年]]から[[2002年]]にかけての27試合連続未勝利はJFLリーグワースト記録である。


=== 2005年 ===
=== 2005年 ===
[[2005年]]シーズン序盤は中位に甘んじていたが、[[徳島ヴォルティス]]から[[原田慎太郎_(サッカー選手)|原田慎太郎]]を[[レンタル移籍]]で獲得してからチームの調子が急激に上昇。ここから快進撃が始まる。
[[2005年]]シーズン序盤は中位に甘んじていたが、[[徳島ヴォルティス]]から[[原田慎太郎_(サッカー選手)|原田慎太郎]]を[[期限付き移籍]]で獲得してからチームの調子が急激に上昇し、快進撃が始まる。


[[第85回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]県予選[[決勝戦]]では[[YKK APサッカー部]]に2点を先取され、さらに[[ミッドフィールダー|MF]]の[[山本翔平]]が[[レッドカード]]で退場するという苦しい展開でありながらも後半[[ロスタイム]]に[[ディフェンダー (サッカー)|DF]][[三好拓児]]のゴールで追いつく。そして延長前半に[[フォワード (サッカー)|FW]][[石橋直希]]が値千金の勝ち越しゴールを挙げ、大逆転勝利を挙げる。
[[第85回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]県予選[[決勝戦]]では[[YKK APサッカー部]]に2点を先取され、さらに[[ミッドフィールダー|MF]]の[[山本翔平]]が[[レッドカード]]で退場するという苦しい展開でありながらも後半[[ロスタイム]]に[[ディフェンダー (サッカー)|DF]][[三好拓児]]のゴールで追いつく。そして延長前半に[[フォワード (サッカー)|FW]][[石橋直希]]が値千金の勝ち越しゴールを挙げ、大逆転勝利を挙げる。


その後も勢いは止まらず、天皇杯では[[Jリーグ ディビジョン2]]の[[湘南ベルマーレ]]に延長戦の末2-1で劇的勝利を挙げた。
その後も勢いは止まらず、天皇杯では[[Jリーグ ディビジョン2]]の[[湘南ベルマーレ]]に延長戦の末2-1で劇的勝利を挙げた。
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== 戦績 ==
== 戦績 ==
{| class="wikitable" style="text-align: center;"
{| class="wikitable" style="text-align: center; white-space:nowrap; border:double #343D55; {{box-shadow|4px|4px|4px|#006AB6}}"
|- style="background-color:#006AB6; color:#FFF; font-weight:bold;"
|年||所属||順位||勝点||試合||勝||分||敗||得点||失点||差||天皇杯||備考
|-
|-
|1990||富山県3部||'''優勝'''||||||||||0||||||||||
!年
!所属
!順位
!勝点
!勝
!分
!負
!得点
!失点
!備考
|-
|-
|1999||北信越||2位||22||8||1||0||31||7||うち1勝はPK勝ち
|1991||富山県2部||'''優勝'''||||||||||0||||||||||
|-
|-
|1992||富山県1部||'''優勝'''||||||||||||||||||||
|[[日本フットボールリーグ2000|2000]]||rowspan=8|[[日本フットボールリーグ|JFL]]||8位||22||8||0||14||26||49||とやま国体開催
|-
|-
|[[日本フットボールリーグ2001|2001]]||15位||19||4||7||19||28||57||リーグ最小得点
|[[1993年の地域リーグ_(サッカー)|1993]]||rowspan=7|北信越||2位||15||9||6||3||0||28||12||16||1回戦||
|-
|-
|[[日本フットボールリーグ2002|2002]]||14位||15||3||6||8||16||34||残留争い
|[[1994年の地域リーグ_(サッカー)|1994]]||'''優勝'''||18||9||9||0||0||33||4||29||1回戦||
|-
|-
|[[日本フットボールリーグ2003|2003]]||14位||27||7||6||17||23||47||残留争い、リーグ最小得点
|[[1995年の地域リーグ_(サッカー)|1995]]||2位||24||9||8||0||1||29||7||22||1回戦||国体優勝
|-
|-
|[[日本フットボールリーグ2004|2004]]||10位||37||10||7||13||46||52||
|[[1996年の地域リーグ_(サッカー)|1996]]||2位||25||9||8||1||0||37||4||33||||
|-
|-
|[[日本フットボールリーグ2005|2005]]||3位||61||19||4||7||52||26||リーグ最小失点
|[[1997年の地域リーグ_(サッカー)|1997]]||2位||22||9||7||1||1||35||5||30||1回戦||
|-
|-
|[[日本フットボールリーグ2006|2006]]||8||57||16||9||9||53||30||
|[[1998年の地域リーグ_(サッカー)|1998]]||'''優勝'''||22||8||6||2||0||26||7||19||||
|-
|-
|[[日本フットボールリーグ2007|2007]]||4位||59||16||11||7||50||35||
|[[1999年の地域リーグ_(サッカー)|1999]]||2位||22||9||8||1||0||31||7||24||2回戦||うち1勝はPK勝ち<br />国体準優勝
|-
|[[日本フットボールリーグ2000|2000]]||rowspan=8|[[日本フットボールリーグ|JFL]]||8位||22
||22||8||0||14||26||49||-23||||とやま国体優勝
|-
|[[日本フットボールリーグ2001|2001]]||15位||19||30||4||7||19||28||57||-29||2回戦||リーグ最小得点
|-
|[[日本フットボールリーグ2002|2002]]||14位||15||17||3||6||8||16||34||-18||||
|-
|[[日本フットボールリーグ2003|2003]]||14位||27||30||7||6||17||23||47||-24||3回戦||リーグ最小得点
|-
|[[日本フットボールリーグ2004|2004]]||10位||37||30||10||7||13||46||52||-6||3回戦||
|-
|[[日本フットボールリーグ2005|2005]]||3位||61||30||19||4||7||52||26||26||4回戦||リーグ最小失点
|-
|[[日本フットボールリーグ2006|2006]]||8位||57||34||16||9||9||53||30||23||||国体優勝
|-
|[[日本フットボールリーグ2007|2007]]||4位||59||34||16||11||7||50||35||15||||
|}
|}


== 2007年所属メンバー ==
<!--(古いデータのため、コメントアウトしています。
{| class="wikitable" style="white-space:nowrap; border:double #343D55; {{box-shadow|4px|4px|4px|#006AB6}}"
== 選手 ==
|- style="text-align: center; background-color:#006AB6; color:#FFF; font-weight:bold;"
=== 選手(2007年) ===
|Pos.||No.||選手名||生年月日||身長体重||出身地||前所属||備考
{| bgcolor="#f7f8ff" cellpadding="3" cellspacing="0" border="1" style="font-size: 100%; border: #cccccc solid 1px; border-collapse: collapse;"
|- bgcolor="#fffacd"
! -align=center|背番号
! -align=center|名前
! -align=center|生年月日
! -align=center|身長、体重
! -align=center|出身
! -align=center|前所属
! -align=center|備考
|-
|-
!rowspan=3|GK
| 1
| [[森本悠馬|森本 悠馬]](GK)
|{{0}}1||[[森本悠馬]]||1982.07.26||175cm 66kg||[[千葉県]]||東京学芸大学
| 1982年7月26日
| 175cm、66kg
| [[千葉県]]
| [[東京学芸大学]]
|-
|-
|21||[[藤川康司|藤川 康司]]||1978.10.07||180cm 78kg||[[大分県]]||[[サガン鳥栖]]||<ref name="kt2008" group="※" />
| 2
| [[渡辺勇気|渡辺 勇気]](DF)
| 1980年7月16日
| 180cm、71kg
| [[岡山県]]
| [[三菱自動車水島FC]]
|-
|-
|26||[[石川扶]]||1984.07.02||178cm 70kg||[[神奈川県]]||桐蔭横浜大学||
| 3
| [[橋元圭一郎|橋元 圭一郎]](DF)
| 1983年5月18日
| 184cm、70kg
| [[三重県]]
| [[M.I.E.ランポーレFC]]
| 2008年:[[カターレ富山]]に加入
|-
|-
!rowspan=9|DF
| 4
|{{0}}2||[[渡辺勇気]]||1980.07.16||180cm 71kg||[[岡山県]]||[[三菱自動車水島FC]]
| [[柳澤宏太|柳澤 宏太]](DF)
| 1982年4月8日
| 180cm、75kg
| [[群馬県]]
| [[ザスパ草津]]
|-
|-
|{{0}}3||[[橋元圭一郎]]||1983.05.18||184cm 70kg||[[三重県]]||[[FC鈴鹿ランポーレ|M.I.E.ランポーレFC]]||<ref name="kt2008" group="※">2008年:[[カターレ富山]]に加入</ref>
| 5
| [[金明輝|金 明輝]](DF)
| 1981年5月8日
| 186cm、77kg
| [[兵庫県]]
| [[佐川急便大阪SC]]
| 2008年:[[カターレ富山]]に加入
|-
|-
|{{0}}4||[[柳澤宏太]]||1982.04.08||180cm 75kg||[[群馬県]]||[[ザスパ草津]]
| 6
| [[長山一也|長山 一也]](MF・主将)
| 1982年4月1日
| 165cm、64kg
| [[鹿児島県]]
| [[静岡FC]]
| 2008年:[[カターレ富山]]に加入
|-
|-
|{{0}}5||[[金明輝]]||1981.05.08||186cm 77kg||[[兵庫県]]||[[佐川急便大阪SC]]||<ref name="kt2008" group="※" />
| 7
| [[谷田悠介|谷田 悠介]](DF)
| 1983年9月22日
| 173cm、65kg
| [[埼玉県]]
| [[法政大学]]
|-
|-
|{{0}}7||[[谷田悠介]]||1983.09.22||173cm 65kg||[[埼玉県]]||法政大学
| 8
| [[渡辺誠 (サッカー選手)|渡辺 誠]](DF)
| 1980年9月25日
| 170cm、68kg
| [[静岡県]]
| [[ヴァンフォーレ甲府]]
| 2008年:[[カターレ富山]]に加入
|-
|-
|{{0}}8||[[渡辺誠 (サッカー選手)|渡辺誠]]||1980.09.25||170cm 68kg||[[静岡県]]||[[ヴァンフォーレ甲府]]||<ref name="kt2008" group="※" />
| 9
| [[松下和磨|松下 和磨]](FW)
| 1982年6月25日
| 170cm、66kg
| [[大阪府]]
| [[静岡産業大学サッカー部|静岡産業大学]]
| 2008年:[[カターレ富山]]に加入
|-
|-
|14||[[高向隼人]]||1982.11.24||176cm 68kg||[[北海道]]||[[ザスパ草津U-23|ザスパ草津チャレンジチーム]]
| 10
| [[上園和明|上園 和明]](MF)
| 1981年11月28日
| 174cm、66kg
| [[神奈川県]]
| [[水戸ホーリーホック]]
| 2008年:[[カターレ富山]]に加入
|-
|-
|19||[[西野誠 (サッカー選手)|西野誠]]||1984.07.03||172cm 65kg||[[兵庫県]]||立命館大学||<ref name="kt2008" group="※" />
| 11
| [[永冨裕也|永冨 裕也]](FW)
| 1982年7月30日
| 185cm、75kg
| [[福岡県]]
| [[愛媛FC]]
| 2008年:[[カターレ富山]]に加入
|-
|-
|22||[[吉田慶三]]||1984.07.31||172cm 65kg||[[千葉県]]||[[静岡産業大学サッカー部|静岡産業大学]]
| 12
| [[サポーター]]
|
|
|
|
|-
|-
!rowspan=8|MF
| 13
|{{0}}6||[[長山一也]][[ファイル:NYCS-bull-trans-C.svg|18px|captain]]||1982.04.01||165cm 64kg||[[鹿児島県]]||[[静岡FC]]||<ref name="kt2008" group="※" />
| [[小林羊汰|小林 羊汰]](FW)
| 1982年9月12日
| 166cm、63kg
| [[静岡県]]
| [[ジュビロ磐田]]ユース
|-
|-
|10||[[上園和明]]||1981.11.28||174cm 66kg||[[神奈川県]]||[[水戸ホーリーホック]]||<ref name="kt2008" group="※" />
| 14
| [[高向隼人|高向 隼人]](DF)
| 1982年11月24日
| 176cm、68kg
| [[北海道]]
| [[ザスパ草津]]チャレンジチーム
|-
|-
|16||[[上赤坂佳孝]]||1979.05.07||164cm 64kg||[[和歌山県]]||[[佐川印刷サッカー部|佐川印刷SC]]||
| 15
| [[石田英之|石田 英之]](FW)
| 1982年4月15日
| 169cm、64kg
| [[京都府]]
| [[佐川印刷サッカー部|佐川印刷SC]]
| 2008年:[[カターレ富山]]に加入
|-
|-
|17||[[木本敬介]]||1984.08.23||168cm 61kg||[[大分県]]||関西大学||<ref name="kt2008" group="※" />
| 16
| [[上赤坂佳孝|上赤坂 佳孝]](MF)
| 1979年5月7日
| 164cm、64kg
| [[和歌山県]]
| [[佐川印刷サッカー部|佐川印刷SC]]
|-
|-
|18||[[田丸誠]]||1984.04.17||166cm 57kg||[[神奈川県]]||桐蔭横浜大学
| 17
| [[木本敬介|木本 敬介]](MF)
| 1984年8月23日
| 168cm、61kg
| [[大分県]]
| [[関西大学]]
| 2008年:[[カターレ富山]]に加入
|-
|-
|20||[[今井大悟]]||1984.02.19||164cm 60kg||[[岡山県]]||[[佐川急便大阪SC]]||<ref name="kt2008" group="※" />
| 18
| [[田丸誠|田丸 誠]](MF)
| 1984年4月17日
| 166cm、57kg
| [[神奈川県]]
| [[桐蔭横浜大学]]
|-
|-
|23||[[菅野将太]]||1984.01.06||170cm 65kg||[[神奈川県]]||[[流通経済大学サッカー部|流通経済大学]]||<ref name="kt2008" group="※" />
| 19
| [[西野誠 (サッカー選手)|西野 誠]](DF)
| 1984年7月3日
| 172cm、65kg
| [[兵庫県]]
| [[立命館大学]]
| 2008年:[[カターレ富山]]に加入
|-
|-
|24||[[岩切ケン]]||1987.12.23||168cm 63kg||[[京都府]]||京都両洋高校||
| 20
| [[今井大悟|今井 大悟]](MF)
| 1984年2月19日
| 164cm、60kg
| [[岡山県]]
| [[佐川急便大阪SC]]
| 2008年:[[カターレ富山]]に加入
|-
|-
!rowspan=4|FW
| 21
|{{0}}9||[[松下和磨]]||1982.06.25||170cm 66kg||[[大阪府]]||[[静岡産業大学サッカー部|静岡産業大学]]||<ref name="kt2008" group="※" />
| [[藤川康司|藤川 康司]](GK)
| 1978年10月7日
| 180cm、78kg
| [[大分県]]
| [[サガン鳥栖]]
| 2008年:[[カターレ富山]]に加入
|-
|-
|11||[[永冨裕也]]||1982.07.30||185cm 75kg||[[福岡県]]||[[愛媛FC]]||<ref name="kt2008" group="※" />
| 22
| [[吉田慶三|吉田 慶三]](DF)
| 1984年7月31日
| 172cm、65kg
| [[千葉県]]
| [[静岡産業大学サッカー部|静岡産業大学]]
|-
|-
|13||[[小林羊汰]]||1982.09.12||166cm 63kg||[[静岡県]]||[[ジュビロ磐田]]ユース
| 23
| [[菅野将太|菅野 将太]](MF)
| 1984年1月6日
| 170cm、65kg
| [[神奈川県]]
| [[流通経済大学サッカー部|流通経済大学]]
| 2008年:[[カターレ富山]]に加入
|-
|-
|15||[[石田英之]]||1982.04.15||169cm、64kg||[[京都府]]||[[佐川印刷サッカー部|佐川印刷SC]]||<ref name="kt2008" group="※" />
| 24
| [[岩切ケン|岩切 ケン]](MF)
| 1987年12月23日
| 168cm、63kg
| [[京都府]]
| [[京都両洋高等学校|京都両洋高校]]
|-
|-
!
| 26
|12||[[サポーター]]||colspan=4| ||
| [[石川扶|石川 扶]](GK)
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| 178cm、70kg
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|}
|}
{{Reflist|group="※"}}
-->
=== 特徴 ===
=== 特徴 ===
2006年までは、かつて[[水戸ホーリーホック]]や[[サガン鳥栖]]に所属していた[[選手]]が多く在籍していた。
2006年までは、かつて[[水戸ホーリーホック]]や[[サガン鳥栖]]に所属していた[[選手]]が多く在籍していた。
305行目: 174行目:
*[[北陸電力]]
*[[北陸電力]]
*[[YKK APサッカー部]]
*[[YKK APサッカー部]]

==外部リンク==
*{{PDFlink|[http://www.rikuden.co.jp/press/attach/07091002.pdf 富山県民サッカークラブチーム構想への参画について]}} 北陸電力株式会社

{{Jリーグ加盟クラブの前身クラブ}}
{{Jリーグ加盟クラブの前身クラブ}}



2012年4月25日 (水) 17:20時点における版

北陸電力サッカー部アローズ北陸
原語表記 アローズ北陸
愛称 アローズ
クラブカラー  
創設年 1990年
解散年 2007年
ホームタウン 富山県富山市
ホームスタジアム 富山県総合運動公園陸上競技場
収容人数 28,494
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

アローズ北陸(アローズほくりく、ALO'S Hokuriku)は、かつて存在した日本サッカークラブ。北陸電力のサッカー部として1990年に創部し、1996年からアローズ北陸へ名称を変更。富山県富山市を本拠地としていた。

YKK APサッカー部と共に、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するカターレ富山の前身となったクラブである。アローズ(ALO's)の語源はANTELOPES(アンテロープ:英語カモシカの意)からの造語である。

歴史

創設~2004年

1990年に北陸電力サッカー部として創設。1996年に地域に根ざしたサッカークラブを目指すことを目標に現在の名称に変更。YKK APサッカー部とともに富山県を代表する社会人チームとして北信越フットボールリーグで活躍してきたが、1999年度地域リーグ決勝大会に優勝し2000年から日本フットボールリーグ(JFL)に参加。2004年までは最高順位が8位と振るわなかった。特に、2001年から2002年にかけての27試合連続未勝利はJFLリーグワースト記録である。

2005年

2005年シーズン序盤は中位に甘んじていたが、徳島ヴォルティスから原田慎太郎期限付き移籍で獲得してからチームの調子が急激に上昇し、快進撃が始まる。

天皇杯県予選決勝戦ではYKK APサッカー部に2点を先取され、さらにMF山本翔平レッドカードで退場するという苦しい展開でありながらも後半ロスタイムDF三好拓児のゴールで追いつく。そして延長前半にFW石橋直希が値千金の勝ち越しゴールを挙げ、大逆転勝利を挙げる。

その後も勢いは止まらず、天皇杯ではJリーグ ディビジョン2湘南ベルマーレに延長戦の末2-1で劇的勝利を挙げた。

しかし、天皇杯4回戦ではJリーグ ディビジョン1名古屋グランパスエイトに0-1で惜敗。後半には北川佳男シュートがゴールポストを直撃するなど惜しい場面もあり、最後までJ1の名古屋相手に見せ場もつくったが、あと一歩及ばなかった。なお、富山県総合運動公園陸上競技場には雨の中10,312人の観客が訪れた(JFLの試合では入場者は500人強ほど)。

その後、JFLリーグ戦では残り2試合の段階まで優勝の可能性を残したが、上位2チームにかわされて、結局愛媛FCYKK APに次ぐ3位となった。

2006年

愛媛FCがJ2に昇格し、格上のライバルは同じ富山県のチームであるYKK APだけとなった2006年シーズンは初優勝を射程圏内にとらえてスタートした。 開幕戦は関東リーグから昇格のジェフ・クラブに1-0と辛勝であったが、その後は安定した戦いで開幕6連勝を飾った。 その後も無敗記録は9節に佐川急便大阪サッカー部に敗れるまで続いた。この期間で喫した失点は僅か4失点、さらに9試合中7試合で完封試合を記録するなどリーグNo.1の守備力には磨きがかかっていた。 しかし、リーグ後半は思うように白星を重ねられなくなり最終順位は8位に。天皇杯も県予選決勝でYKK APに延長戦で敗れて出場を逃すなど、悔しい1年となった。 FWの北川佳男が22得点を挙げたものの、最後まで決定力不足が響くことになった。 このシーズン限りで草木克洋監督が退任。また、主力選手数人が退団や引退した。

2007年

レギュラークラスの選手が大幅に抜け、24人中12人の新加入選手を迎えてスタートすることになったアローズ。したがって、課題は連携面の問題を早く解消できるかということであった。

9月10日、富山県サッカー協会の要請に応じ、同じ富山を本拠地とするYKK APサッカー部と2008年度より統合し、新たなクラブチームとしてJリーグ入りを目指すことが発表された。そして11月12日に、新チームの名称が「カターレ富山」に決まった。これにより、2007年度をもってアローズ北陸は廃部されることとなった。

成績面では、佐川印刷サッカー部から移籍した石田英之が17得点を挙げ、さらに若手選手の躍進により、連携不足を解消させた。見事4位に入賞した。

戦績

所属 順位 勝点 試合 得点 失点 天皇杯 備考
1990 富山県3部 優勝 0
1991 富山県2部 優勝 0
1992 富山県1部 優勝
1993 北信越 2位 15 9 6 3 0 28 12 16 1回戦
1994 優勝 18 9 9 0 0 33 4 29 1回戦
1995 2位 24 9 8 0 1 29 7 22 1回戦 国体優勝
1996 2位 25 9 8 1 0 37 4 33
1997 2位 22 9 7 1 1 35 5 30 1回戦
1998 優勝 22 8 6 2 0 26 7 19
1999 2位 22 9 8 1 0 31 7 24 2回戦 うち1勝はPK勝ち
国体準優勝
2000 JFL 8位 22 22 8 0 14 26 49 -23 とやま国体優勝
2001 15位 19 30 4 7 19 28 57 -29 2回戦 リーグ最小得点
2002 14位 15 17 3 6 8 16 34 -18
2003 14位 27 30 7 6 17 23 47 -24 3回戦 リーグ最小得点
2004 10位 37 30 10 7 13 46 52 -6 3回戦
2005 3位 61 30 19 4 7 52 26 26 4回戦 リーグ最小失点
2006 8位 57 34 16 9 9 53 30 23 国体優勝
2007 4位 59 34 16 11 7 50 35 15

2007年所属メンバー

Pos. No. 選手名 生年月日 身長体重 出身地 前所属 備考
GK 01 森本悠馬 1982.07.26 175cm 66kg 千葉県 東京学芸大学
21 藤川 康司 1978.10.07 180cm 78kg 大分県 サガン鳥栖 [※ 1]
26 石川扶 1984.07.02 178cm 70kg 神奈川県 桐蔭横浜大学
DF 02 渡辺勇気 1980.07.16 180cm 71kg 岡山県 三菱自動車水島FC
03 橋元圭一郎 1983.05.18 184cm 70kg 三重県 M.I.E.ランポーレFC [※ 1]
04 柳澤宏太 1982.04.08 180cm 75kg 群馬県 ザスパ草津
05 金明輝 1981.05.08 186cm 77kg 兵庫県 佐川急便大阪SC [※ 1]
07 谷田悠介 1983.09.22 173cm 65kg 埼玉県 法政大学
08 渡辺誠 1980.09.25 170cm 68kg 静岡県 ヴァンフォーレ甲府 [※ 1]
14 高向隼人 1982.11.24 176cm 68kg 北海道 ザスパ草津チャレンジチーム
19 西野誠 1984.07.03 172cm 65kg 兵庫県 立命館大学 [※ 1]
22 吉田慶三 1984.07.31 172cm 65kg 千葉県 静岡産業大学
MF 06 長山一也captain 1982.04.01 165cm 64kg 鹿児島県 静岡FC [※ 1]
10 上園和明 1981.11.28 174cm 66kg 神奈川県 水戸ホーリーホック [※ 1]
16 上赤坂佳孝 1979.05.07 164cm 64kg 和歌山県 佐川印刷SC
17 木本敬介 1984.08.23 168cm 61kg 大分県 関西大学 [※ 1]
18 田丸誠 1984.04.17 166cm 57kg 神奈川県 桐蔭横浜大学
20 今井大悟 1984.02.19 164cm 60kg 岡山県 佐川急便大阪SC [※ 1]
23 菅野将太 1984.01.06 170cm 65kg 神奈川県 流通経済大学 [※ 1]
24 岩切ケン 1987.12.23 168cm 63kg 京都府 京都両洋高校
FW 09 松下和磨 1982.06.25 170cm 66kg 大阪府 静岡産業大学 [※ 1]
11 永冨裕也 1982.07.30 185cm 75kg 福岡県 愛媛FC [※ 1]
13 小林羊汰 1982.09.12 166cm 63kg 静岡県 ジュビロ磐田ユース
15 石田英之 1982.04.15 169cm、64kg 京都府 佐川印刷SC [※ 1]
12 サポーター
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 2008年:カターレ富山に加入

特徴

2006年までは、かつて水戸ホーリーホックサガン鳥栖に所属していた選手が多く在籍していた。 これは、前・監督の草木克洋が以前にサガン鳥栖コーチを務めていたことや、水戸ホーリーホック前・社長の小林寛が監督を務めていたことから、そのコネクションを生かして補強をしているものと思われた。 しかし、2007年は選手の半分が入れ替わり、これまでの人脈にとらわれない補強が行われた。

ユニフォームサプライヤ

本拠地

関連項目

外部リンク