「北陸電力サッカー部アローズ北陸」の版間の差分
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2012年10月15日 (月) 05:19時点における版
北陸電力サッカー部アローズ北陸 | |||
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原語表記 | アローズ北陸 | ||
愛称 | アローズ | ||
クラブカラー | |||
創設年 | 1990年 | ||
解散年 | 2007年 | ||
ホームタウン | 富山県富山市 | ||
ホームスタジアム | 富山県総合運動公園陸上競技場 | ||
収容人数 | 28,494 | ||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
アローズ北陸(アローズほくりく、ALO'S Hokuriku)は、かつて存在した日本のサッカークラブ。北陸電力のサッカー部として1990年に創部し、1996年からアローズ北陸へ名称を変更。富山県富山市を本拠地としていた。
YKK APサッカー部と共に、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するカターレ富山の前身となったクラブである。アローズ(ALO's)の語源はANTELOPES(アンテロープ:英語でカモシカの意)からの造語である。
歴史
創設~2004年
1990年に北陸電力サッカー部として創設。1996年に地域に根ざしたサッカークラブを目指すことを目標に現在の名称に変更。YKK APサッカー部とともに富山県を代表する社会人チームとして北信越フットボールリーグで活躍してきたが、1999年度地域リーグ決勝大会に優勝し2000年から日本フットボールリーグ(JFL)に参加。2004年までは最高順位が8位と振るわなかった。特に、2001年から2002年にかけての27試合連続未勝利はJFLリーグワースト記録である。
2005年
2005年シーズン序盤は中位に甘んじていたが、徳島ヴォルティスから原田慎太郎を期限付き移籍で獲得してからチームの調子が急激に上昇し、快進撃が始まる。
天皇杯県予選決勝戦ではYKK APサッカー部に2点を先取され、さらにMFの山本翔平がレッドカードで退場するという苦しい展開でありながらも後半ロスタイムにDF三好拓児のゴールで追いつく。そして延長前半にFW石橋直希が値千金の勝ち越しゴールを挙げ、大逆転勝利を挙げる。
その後も勢いは止まらず、天皇杯ではJリーグ ディビジョン2の湘南ベルマーレに延長戦の末2-1で劇的勝利を挙げた。
しかし、天皇杯4回戦ではJリーグ ディビジョン1の名古屋グランパスエイトに0-1で惜敗。後半には北川佳男のシュートがゴールポストを直撃するなど惜しい場面もあり、最後までJ1の名古屋相手に見せ場もつくったが、あと一歩及ばなかった。なお、富山県総合運動公園陸上競技場には雨の中10,312人の観客が訪れた(JFLの試合では入場者は500人強ほど)。
その後、JFLリーグ戦では残り2試合の段階まで優勝の可能性を残したが、上位2チームにかわされて、結局愛媛FC、YKK APに次ぐ3位となった。
2006年
愛媛FCがJ2に昇格し、格上のライバルは同じ富山県のチームであるYKK APだけとなった2006年シーズンは初優勝を射程圏内にとらえてスタートした。 開幕戦は関東リーグから昇格のジェフ・クラブに1-0と辛勝であったが、その後は安定した戦いで開幕6連勝を飾った。 その後も無敗記録は9節に佐川急便大阪SCに敗れるまで続いた。この期間で喫した失点は僅か4失点、さらに9試合中7試合で完封試合を記録するなどリーグNo.1の守備力には磨きがかかっていた。 しかし、リーグ後半は思うように白星を重ねられなくなり最終順位は8位に。天皇杯も県予選決勝でYKK APに延長戦で敗れて出場を逃すなど、悔しい1年となった。 FWの北川佳男が22得点を挙げたものの、最後まで決定力不足が響くことになった。 このシーズン限りで草木克洋監督が退任。また、主力選手数人が退団や引退した。
2007年
レギュラークラスの選手が大幅に抜け、24人中12人の新加入選手を迎えてスタートすることになったアローズ。したがって、課題は連携面の問題を早く解消できるかということであった。
9月10日、富山県サッカー協会の要請に応じ、同じ富山を本拠地とするYKK APサッカー部と2008年度より統合し、新たなクラブチームとしてJリーグ入りを目指すことが発表された。そして11月12日に、新チームの名称が「カターレ富山」に決まった。これにより、2007年度をもってアローズ北陸は廃部されることとなった。
成績面では、佐川印刷サッカー部から移籍した石田英之が17得点を挙げ、さらに若手選手の躍進により、連携不足を解消させた。見事4位に入賞した。
戦績
年 | 所属 | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 差 | 天皇杯 | 備考 |
1990 | 富山県3部 | 優勝 | 0 | |||||||||
1991 | 富山県2部 | 優勝 | 0 | |||||||||
1992 | 富山県1部 | 優勝 | ||||||||||
1993 | 北信越 | 2位 | 15 | 9 | 6 | 3 | 0 | 28 | 12 | 16 | 1回戦 | |
1994 | 優勝 | 18 | 9 | 9 | 0 | 0 | 33 | 4 | 29 | 1回戦 | ||
1995 | 2位 | 24 | 9 | 8 | 0 | 1 | 29 | 7 | 22 | 1回戦 | 国体優勝 | |
1996 | 2位 | 25 | 9 | 8 | 1 | 0 | 37 | 4 | 33 | |||
1997 | 2位 | 22 | 9 | 7 | 1 | 1 | 35 | 5 | 30 | 1回戦 | ||
1998 | 優勝 | 22 | 8 | 6 | 2 | 0 | 26 | 7 | 19 | |||
1999 | 2位 | 22 | 9 | 8 | 1 | 0 | 31 | 7 | 24 | 2回戦 | うち1勝はPK勝ち 国体準優勝 | |
2000 | JFL | 8位 | 22 | 22 | 8 | 0 | 14 | 26 | 49 | -23 | とやま国体優勝 | |
2001 | 15位 | 19 | 30 | 4 | 7 | 19 | 28 | 57 | -29 | 2回戦 | リーグ最小得点 | |
2002 | 14位 | 15 | 17 | 3 | 6 | 8 | 16 | 34 | -18 | |||
2003 | 14位 | 27 | 30 | 7 | 6 | 17 | 23 | 47 | -24 | 3回戦 | リーグ最小得点 | |
2004 | 10位 | 37 | 30 | 10 | 7 | 13 | 46 | 52 | -6 | 3回戦 | ||
2005 | 3位 | 61 | 30 | 19 | 4 | 7 | 52 | 26 | 26 | 4回戦 | リーグ最小失点 | |
2006 | 8位 | 57 | 34 | 16 | 9 | 9 | 53 | 30 | 23 | 国体優勝 | ||
2007 | 4位 | 59 | 34 | 16 | 11 | 7 | 50 | 35 | 15 |
2007年所属メンバー
Pos. | No. | 選手名 | 生年月日 | 身長体重 | 出身地 | 前所属 | 備考 |
GK | 1 | 森本悠馬 | 1982.07.26 | 175cm 66kg | 千葉県 | 東京学芸大学 | |
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21 | 藤川 康司 | 1978.10.07 | 180cm 78kg | 大分県 | サガン鳥栖 | [※ 1] | |
26 | 石川扶 | 1984.07.02 | 178cm 70kg | 神奈川県 | 桐蔭横浜大学 | ||
DF | 2 | 渡辺勇気 | 1980.07.16 | 180cm 71kg | 岡山県 | 三菱自動車水島FC | |
3 | 橋元圭一郎 | 1983.05.18 | 184cm 70kg | 三重県 | M.I.E.ランポーレFC | [※ 1] | |
4 | 柳澤宏太 | 1982.04.08 | 180cm 75kg | 群馬県 | ザスパ草津 | ||
5 | 金明輝 | 1981.05.08 | 186cm 77kg | 兵庫県 | 佐川急便大阪SC | [※ 1] | |
7 | 谷田悠介 | 1983.09.22 | 173cm 65kg | 埼玉県 | 法政大学 | ||
8 | 渡辺誠 | 1980.09.25 | 170cm 68kg | 静岡県 | ヴァンフォーレ甲府 | [※ 1] | |
14 | 高向隼人 | 1982.11.24 | 176cm 68kg | 北海道 | ザスパ草津チャレンジチーム | ||
19 | 西野誠 | 1984.07.03 | 172cm 65kg | 兵庫県 | 立命館大学 | [※ 1] | |
22 | 吉田慶三 | 1984.07.31 | 172cm 65kg | 千葉県 | 静岡産業大学 | ||
MF | 6 | 長山一也 | 1982.04.01 | 165cm 64kg | 鹿児島県 | 静岡FC | [※ 1] |
10 | 上園和明 | 1981.11.28 | 174cm 66kg | 神奈川県 | 水戸ホーリーホック | [※ 1] | |
16 | 上赤坂佳孝 | 1979.05.07 | 164cm 64kg | 和歌山県 | 佐川印刷SC | ||
17 | 木本敬介 | 1984.08.23 | 168cm 61kg | 大分県 | 関西大学 | [※ 1] | |
18 | 田丸誠 | 1984.04.17 | 166cm 57kg | 神奈川県 | 桐蔭横浜大学 | ||
20 | 今井大悟 | 1984.02.19 | 164cm 60kg | 岡山県 | 佐川急便大阪SC | [※ 1] | |
23 | 菅野将太 | 1984.01.06 | 170cm 65kg | 神奈川県 | 流通経済大学 | [※ 1] | |
24 | 岩切ケン | 1987.12.23 | 168cm 63kg | 京都府 | 京都両洋高校 | ||
FW | 9 | 松下和磨 | 1982.06.25 | 170cm 66kg | 大阪府 | 静岡産業大学 | [※ 1] |
11 | 永冨裕也 | 1982.07.30 | 185cm 75kg | 福岡県 | 愛媛FC | [※ 1] | |
13 | 小林羊汰 | 1982.09.12 | 166cm 63kg | 静岡県 | ジュビロ磐田ユース | ||
15 | 石田英之 | 1982.04.15 | 169cm、64kg | 京都府 | 佐川印刷SC | [※ 1] | |
12 | サポーター |
特徴
2006年までは、かつて水戸ホーリーホックやサガン鳥栖に所属していた選手が多く在籍していた。 これは、前・監督の草木克洋が以前にサガン鳥栖でコーチを務めていたことや、水戸ホーリーホック前・社長の小林寛が監督を務めていたことから、そのコネクションを生かして補強をしているものと思われた。 しかし、2007年は選手の半分が入れ替わり、これまでの人脈にとらわれない補強が行われた。
ユニフォームサプライヤ
本拠地
- 富山県総合運動公園陸上競技場(28494人収容)
- 富山県岩瀬スポーツ公園サッカー・ラグビー場(5000人収容)
- 富山県五福公園陸上競技場(20000人収容)
※他に高岡スポーツコア球技場(3000人収容)で試合を行う場合もあり、石川県と福井県でも年間1試合ずつ試合が行われていた。
関連項目
外部リンク
- 富山県民サッカークラブチーム構想への参画について (PDF) 北陸電力株式会社