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「20世紀のクラシック音楽」の版間の差分

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'''20世紀のクラシック音楽'''は、それ以前の世紀の[[クラシック音楽|西洋古典音楽]]と比較すると極めて多様になった。19世紀までの作曲家は、出身国が違っていても、よく似た音楽の様式で作曲した。例えば、[[ウィーン古典派]]の時代(1740年-1820年ごろ)の作曲家は、楽曲形式に何を用いるか(例えば[[ソナタ形式]])、[[オーケストラ]]には何の楽器を採用するか、良い響きの音とはどのようなものかといった問題について、概ね似たことを考えていた。


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コンテンポラリー音楽の作曲家たちの一部に、非常に宗教的な音楽が見られることもコンテンポラリー音楽の特徴の一つである。[[ジョン・タヴナー]]や[[アルヴォ・ペルト]]がそうした傾向を見せる作曲家として知られる。
コンテンポラリー音楽の作曲家たちの一部に、非常に宗教的な音楽が見られることもコンテンポラリー音楽の特徴の一つである。[[ジョン・タヴナー]]や[[アルヴォ・ペルト]]がそうした傾向を見せる作曲家として知られる。

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2018年2月27日 (火) 02:37時点における版

20世紀のクラシック音楽は、それ以前の世紀の西洋古典音楽と比較すると極めて多様になった。19世紀までの作曲家は、出身国が違っていても、よく似た音楽の様式で作曲した。例えば、ウィーン古典派の時代(1740年-1820年ごろ)の作曲家は、楽曲形式に何を用いるか(例えばソナタ形式)、オーケストラには何の楽器を採用するか、良い響きの音とはどのようなものかといった問題について、概ね似たことを考えていた。

これに対して20世紀のクラシックは多様である。これまでに試されてきたものとは異なる形式、音の響き、音楽美を追求した作曲法について、異なる考え方を持った作曲家がたくさんいたので、多くの「楽派」が生まれた。20世紀のクラシック音楽の「楽派」の名称には、単語末に「主義」をつけるものが多い。「セリアル主義」「表現主義」「新古典主義」「印象主義」等々。また、ジャズワールドミュージック(非西洋古典音楽)、フォークソング(俗謡)の影響を受けたものもある。さらに「電子音楽」が生まれ、のちには「ミニマル」「ポストモダン」といった音楽も生まれた。

一般的に時代の名称はその時代が過ぎ去ってから名づけられる(例えば、「中世」は中世に相当する時代が過ぎ去ってから、そう呼ばれるようになる)。そのため20世紀のクラシック音楽をなんと呼ぶかは難しい問題である。一方で、1900年以後の音楽は「現代音楽」とひとくくりに呼ばれることが多く、おおむね1975年以後、21世紀現在までの音楽は「コンテンポラリー(同時代の)音楽」と呼ばれることがある。

本項では、1900年から1999年までに作曲された音楽について述べる。

ロマン主義への応答

20世紀初頭の作曲家の中には、調性に基づいた音楽の体系は古くなってしまったので、異なるアプローチを試し、何か新しいことに挑戦しようと感じた者が多かった。アルノルト・シェーンベルクイーゴリ・ストラヴィンスキーは当時の作曲家の中で最も重要な2人である。そして2人は音楽の理論についても非常に異なった考えを持っていた。

シェーンベルクの音楽はとても無調的(調に依存しない)になった。彼はその傾向をさらに押し進めて、最終的に「十二音技法」と呼ばれる作曲理論を発展させた。これは、楽曲の中でさまざまなかたちに変形しうる、特定の順序で並んだ1群の音符により構成された、一種の無調音楽を作曲するための技法である。十二音技法を用いる作曲法を「セリアル主義」という(セリアルとは「一続きの」を意味する)。シェーンベルクに影響を受けた作曲は数多い。例えば、アントン・ヴェーベルンアルバン・ベルクがいる。

ストラヴィンスキーはロシア出身の作曲でありロシアの文化に着想を得て「春の祭典」という題のバレエ付属音楽を書いた。春の祭典は、踊り手が当初困惑するほど不規則なリズムに満ちており、一部、複調になる部分もあった。複調とは異なる2以上の調の音が響くことである。その後、ストラヴィンスキーは、18世紀に書かれた音楽のメロディーに不協和音を加え、斬新な和声をつけたような音楽を作曲するようになった。このような作曲法を「新古典主義」と呼ぶ。ストラヴィンスキーの音楽はセリアル主義の音楽に反対するものと捉える人が多いが、ストラヴィンスキー自身は晩年に十二音技法の使用を始めている。

印象主義

フランスでは、絵画の分野で「印象主義」と呼ばれる美術運動が興隆しており、これに関心を示す作曲家もいた。クロード・ドビュッシーは、しばしば「印象主義(絵画)的」と呼ばれる音楽を作曲した。彼はジャワ島の音楽に着想を得て、全音音階五音音階を自身の音楽の要素に入れ込んだ。ドビュッシーの音楽は、曲全体の調性は明瞭であるものの、随所で調性があいまいに、ぼかされる。モーリス・ラヴェルの音楽は、ドビュッシーに似たところもあるが、まったく独自の様式になった。その後のフランスの作曲家としては例えば、オリヴィエ・メシアンがいる。メシアンは「移調の限られた旋法」と呼ばれる、新しい音階に基づいた体系を使って作曲した。メシアンはまた、非西洋世界の音楽にも興味を持ち、鳥のさえずりや鳴き声を曲の中に取り込んだりもした。

後期ロマン主義

上述のようなロマン主義への異議申し立てというムーヴメントと同時並行的に、基本的に19世紀に確立されたロマン主義(前期ロマン派)の様式で作曲する音楽家もいた。イギリスのエドワード・エルガーの音楽はよく、「エドワード国王時代風」と呼ばれる。その他の大英帝国の作曲家たちは、帝国内各地の民謡(フォークソング)に着想を得た音楽を多く作曲した。そのような作曲家としては、ヴォーン・ウィリアムスバタワースクィルターフィンジがいる。フレデリック・ディーリアスは非常に印象主義的でありながら同時にロマン主義的でもある音楽を作曲した。ロシアのセルゲイ・ラフマニノフとドイツのリヒャルト・シュトラウスは、亡くなる1940年代までロマン主義楽派の様式を貫き通した。フィンランドのジャン・シベリウスとデンマークのカール・ニールセンは調性音楽の枠内で偉大な交響曲を作曲した。イタリアのプッチーニはロマン主義楽派の様式で、「ヴェリズモ」と呼ばれる写実主義的なオペラを作曲した。

交響楽的伝統

ロシアにおいては、1917年の革命後、ソビエト連邦が成立し、実験的な作曲が許されない時代もあった。ソ連の政治家は、作曲家たちに作品は「社会主義リアリズム」を反映したものでなくてはならぬと言い、作曲家は政治家たちを満足させるような音楽をなかなか作れなかった。ロシアでは19世紀的な楽曲形式である「交響曲」を作曲する伝統が継続していた。20世紀ソ連で交響曲を作曲した作曲家としては、セルゲイ・プロコフィエフドミトリ・ショスタコーヴィチがいる。

ハンガリーの作曲家、バルトーク・ベーラは、ハンガリーを中心とした東ヨーロッパの国々の民謡を収集し、これに着想を得た独自の近代的な様式を発展させた。

前衛的実験

20世紀中盤には「ダルムシュタット楽派」と呼ばれる一群の作曲家がセリアル主義に基づく音楽を作曲した。ピエール・ブレーズカールハインツ・シュトックハウゼンがこの楽派に含まれる。ダルムシュタットの名前は彼らがこの町でよく会合を開いていたため、そのように呼ばれる。ブレーズやシュトックハウゼンをはじめ、この楽派の多くの作曲家が電気信号に基づく音を楽曲の中で用いる実験を行った。彼らの音楽はよく、「前衛」(アヴァン・ギャルド)という言葉で形容される。チャールズ・アイヴズジョン・ケージといったアメリカの作曲家もよく、実験的作曲を行った。ケージは「プリペアド・ピアノ」という実験的音楽で知られる。

ジャズの影響

アメリカで生まれたジャズがクラシックの作曲家に与えた影響は大きい。ジョージ・ガーシュインはジャズとクラシックを折衷させたような音楽を作った。アーロン・コープランドレナード・バーンスタインは自作にジャズの要素を取り入れた。ヨーロッパにおいては、ラヴェル、クルト・ヴァイルダリウス・ミヨーなどがジャズのイディオムを使って作曲をした。

ミニマル主義

1960年代に入ると、同時代の音楽の多くが複雑すぎるという考えを持った一群の作曲家が現れた。当時、エドガー・ヴァレーズエリオット・カーターミルトン・バビットといった前衛派の音楽は、大衆にとってあまりにも数学的、主知主義的になっており、理解が難しいものになりつつあった。前衛に反発する、スティーヴ・ライヒフィリップ・グラステリー・ライリージョン・ケージジョン・アダムズといった作曲家たちは、情動を伴う音楽を志向した。彼らは、単純な楽想を何度も反復させると同時に、少しずつそれを変形するといった手法に基づいて楽曲を構成した。このような作曲技法は「ミニマル主義」(ミニマリズム)と呼ばれる。

伝統に基づいたその他の路線

上述のような異なる複数の楽派がそれぞれの音楽を追及している一方で、伝統的な作曲技法を守りながら、斬新な方法で、楽曲の中で調性を取り扱う作曲家も少なからずいた。そのような作曲家としては、イギリスでは、ベンジャミン・ブリテンマイケル・ティペットウィリアム・ウォルトンがおり、アメリカではサミュエル・バーバーロイ・ハリスアラン・ホヴァネスがいる。ドイツのパウル・ヒンデミットはロマン主義楽派の美学上の思考様式からの脱却を目指し、「新即物主義」を提唱した。

コンテンポラリー音楽の作曲家たちの一部に、非常に宗教的な音楽が見られることもコンテンポラリー音楽の特徴の一つである。ジョン・タヴナーアルヴォ・ペルトがそうした傾向を見せる作曲家として知られる。

脚注