「デボラ・ハリー」の版間の差分
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== 外部リンク == |
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2021年6月23日 (水) 23:28時点における版
デボラ・ハリー Debbie Harry | |
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1977年 | |
基本情報 | |
出生名 | デボラ・アン・ハリー(Deborah Ann Harry) |
生誕 |
1945年7月1日(79歳) アメリカ合衆国・フロリダ州マイアミ |
出身地 | アメリカ合衆国・ニュージャージー州ホウソーン |
ジャンル |
ロック ポップス パンク・ロック ニュー・ウェイヴ ダンスミュージック |
職業 | ミュージシャン、ヴォーカリスト、シンガーソングライター、女優 |
担当楽器 | ボーカル、パーカッション、タンバリン、フィンガーシンバル、クラリネット |
活動期間 | 1968年 - 現在 |
レーベル |
クリサリス・レコード ゲフィン・レコード サイアー・レコード Eleven Seven Music |
共同作業者 | ブロンディ |
公式サイト | Blondie.net |
デボラ・ハリー(Deborah Harry、1945年7月1日 - )は、アメリカ合衆国出身の女性ミュージシャン、シンガーソングライター、女優。
デビー・ハリー(Debbie Harry)の名でも知られ、同国のロック・バンドである「ブロンディ」のボーカルを務めている。ブロンドと赤い唇が特徴[1]。
略歴
フロリダ州マイアミに、アンジェラ・トリンブル(Angela Trimble)として生まれた[2]。生後3か月で、ニュージャージー州ホーソーンに住むリチャード・ハリーとキャサリン・ハリー夫妻のもとへ養子に出された[3]。ハリー夫妻はみやげ屋を営んでおり、アンジェラの名前はは「デボラ・アン・ハリー」となった。
1963年にホーソーン高校を卒業し[4]、1965年に同州ハケッツタウンにあるセンテナリー大学を卒業した[5]。1960年代後半にニューヨークに移った。BBCラジオに秘書として1年勤務。その後、ナイトクラブ「マクシズ・カンザス・シティ(Max's Kansas City)」でウェイトレスをしたり、ユニオンシティのディスコでゴーゴーダンサーをしたり、プレイボーイのバニーガールをしたりして生計を立てた。
フォーク・グループ「ウインド・イン・ザ・ウィロウズ (The Wind in the Willows)」のバックシンガーを経て、1970年代初頭に3人組のガールグループ「スティレットーズ」に参加。そのバックバンドのメンバーだったクリス・スタインらとともに1974年、ブロンディを結成。バンドは成功を収め、デボラ自身も自らの唇に保険がかけられるほどの人気を得る。バンドが成功を収めた後はソロ活動も活発化させる。5枚のソロ・アルバムを発表。また、女優としても活動している。1997年にはブロンディを再結成させた。
ディスコグラフィ
- ブロンディとしてのものは当該項のディスコグラフィを参照のこと。
ソロ・アルバム
- スタジオ・アルバム
- 『予感』 - KooKoo (1981年)
- 『ロックバード』 - Rockbird (1986年)
- 『デフ、ダム・アンド・ブロンド』 - Def, Dumb & Blonde (1989年)
- 『デブラベーション』 - Debravation (1993年)
- Necessary Evil (2007年)
- コンピレーション・アルバム
- 『スーパー・ダンス・ヒット・リミックス!』 - Once More into the Bleach (1988年) ※ブロンディ時代も含む編集盤
- 『ザ・コンプリート・ピクチャー』 - The Complete Picture: The Very Best of Deborah Harry and Blondie (1991年) ※ブロンディ時代も含む編集盤
- Deborah Harry Collection (1998年)
- Most of All: The Best of Deborah Harry (1999年)
映画出演
- 『ヴィデオドローム』 - Videodrome (1982年、カナダ)
- 『ヘアスプレー』 - Hairspray (1988年、アメリカ)
- 『ニューヨーク・ストーリー』 - New York Stories (1989年、アメリカ)
- 『フロム・ザ・ダークサイド 3つの闇の物語』 - Tales from the Darkside (1990年、アメリカ)
- 『真夜中の殺人コール』 - Intimate Stranger (1991年、アメリカ)
- 『ウイッグストック』 - Wigstock: The Movie (1995年、アメリカ)
- 『君に逢いたくて』 - Heavy (1995年、アメリカ)
- 『ハードコア・デイズ』 - The Fluffer (2001年、アメリカ)
- 『デュースワイルド』 - Deuces Wild (2002年、アメリカ)
- 『死ぬまでにしたい10のこと』 - My Life without Me (2003年、アメリカ)
- 『エレジー』 - Elegy(2008年、アメリカ)
脚注
- ^ “まさに美魔女!「ブロンディ」のデボラ・ハリー、72歳の美貌に絶賛の声!”. ニュースウォーカー (2018年2月13日). 2018年9月27日閲覧。
- ^ Harry 2019, p. 8.
- ^ Kane, Pat (July 16, 2007). “Feeling right at home”. The Scotsman. January 9, 2019閲覧。
- ^ Rohan, Virginia (June 18, 2007). “North Jersey-bred and talented too”. The Record. June 25, 2007閲覧。 “Debbie Harry: Class of 1963, Hawthorne High School” [リンク切れ]
- ^ “Centenary College Honors Deborah Harry as a Distinguished Alumna”. March 4, 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。October 20, 2012閲覧。
参考文献
- Harry, Debbie (2019). Face It: A Memoir. New York: Dey Street Books. ISBN 978-0-063-00957-8
- Porter, Dick; Needs, Kris (2012). Blondie: Parallel Lives. Music Sales Group. ISBN 978-0-857-12780-8
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- Debbie Harry/BLONDIE (@blondieofficial) - X(旧Twitter)
- debbie-harry.net/Oracle of WiFi
- Official Debbie Harry Myspace - Myspace
- デボラ・ハリー - IMDb