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参考:柴田常恵、稲村坦元編『埼玉叢書 第3巻』(三明社、1929年) |
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2022年7月23日 (土) 15:46時点における版
无邪志国造 | |
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本姓 | 武蔵氏のち笠原氏のち大部氏 |
家祖 | 兄多毛比命 |
種別 | 神別(天孫) |
主な根拠地 |
无邪志国 (のちの武蔵国(秩父除く)) |
著名な人物 | #人物を参照 |
支流、分家 |
(#一族記載以外の氏族を記載) 菊麻国造 相武国造 上海上国造 下海上国造 千葉国造 大島国造 伯岐国造 矢田部氏 刑部氏 野与氏 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
无邪志国造(むざしのくにのみやつこ、むざしこくぞう)は、のちに武蔵国東部となる地域(无邪志国)を支配した国造である。
『先代旧事本紀』の「国造本紀」において无邪志国造条の次に胸刺国造条があるが、この2国造は同一のものであるとする説と別であるとする説がある。
概要
表記
- 无謝志国造
- 『古事記』での表記。
- 武蔵国造
- 無邪志国造
- 牟邪志国造
祖先
- 『古事記』によれば、天之菩卑能命の子建比良鳥命が无邪志国造などの祖であるという。出雲国造・上菟上国造・下菟上国造・伊自牟国造・遠江国造などと同系。
- 『日本書紀』によれば、天穂日命が武蔵国造などの遠祖であるという。
- 『高橋氏文』によれば、磐鹿六獦命に従って景行天皇(第12代天皇)に料理を献上した大多毛比(大多毛比命は下記兄多毛比命の別名である[1])は「無邪国造」の上祖であるという。この「無邪国造」については、『先代旧事本紀』「国造本紀」(下記)に「无邪志国造」とあるのにより「邪」のあとに「志」を補って「無邪志国造」が本来の表記であったとされている。これは无邪志国造の別名である(#別名参照)。
- 『先代旧事本紀』の「国造本紀」によれば、成務天皇(第13代天皇)の時代に出雲氏(姓は臣。出雲国造の氏族。)の祖、名は二井之宇迦諸忍之神狭命[注 1]の10世孫の兄多毛比命が初代无邪志国造に任命されたという。ただし「兄多毛比命」は度会延佳本による表記で[2]、神宮文庫本は「兄多比命」と表記している[3]。この国造任命は成務天皇5年秋9月のことと考えられている[1]。
- 「角井家系」[4]では、天穂日命(天菩比命)―天夷鳥命(建比良鳥命)―出雲建子命―神狭命(二井之宇迦諸忍之神狭命)―身狭耳命―五十根彦命―天速古命―天日古曽乃己呂命―忍兄多毛比命―若伊志治命―兄多毛比命となっており、これに従えば兄多毛比命は神狭命の10世孫ではなく7世孫となる。
氏族
无邪志氏(むさしうじ、姓は直)で、出雲臣と同系であり、同族に相武国造、上海上国造、下海上国造、千葉国造、新治国造等がいる。『日本後紀』弘仁二年九月条に出羽国人の无邪志直膳大伴部廣勝の名が見える。
- 大部氏(おおともうじ)
- 武蔵氏
一族
以下に記載する氏族などが一族である。
本拠
支配領域
无邪志国造の支配領域は当時无邪志国と呼ばれていた地域である。无邪志国はのちの令制国の武蔵国にあたる[6]。ただし、秩父(知々夫国造の支配する知々夫国だった)を除いた範囲をさすとする説もある。現在の埼玉県と東京都の境界周辺、荒川流域にある[7]北足立郡・入間郡・旧大宮市[6]に当たる。
地名の起源については、武蔵国#「武蔵」の国名を参照。
无邪志国は知々夫国造の支配した知々夫国と合わさって7世紀に令制国の武蔵国となった。当初武蔵国は東山道に所属していたが、771年に東海道に移管された。
氏神
- 大國魂神社(おおくにたまじんじゃ、北緯35度40分02.87秒 東経139度28分44.19秒 / 北緯35.6674639度 東経139.4789417度)
- 東京都府中市(旧多摩郡)にある神社。武蔵国総社。祭神は大国主命と同神とされる大國魂大神。景行天皇41年(111年)5月5日に大神の託宣に依って造られたのが起源である[8]。出雲氏(姓は臣。出雲国造の氏族。)の祖神天穂日命の後裔が武蔵国造に任ぜられ社の奉仕を行ってから、代々の国造が奉仕してその祭務を行ったと伝承されている[9]。摂社に坪宮[注 2](つぼのみや、府中市本町2-12[10]。大國魂神社#摂社を参照。)があり、坪宮社・国造神社ともいう。坪宮の祭神は初代无邪志国造兄多毛比命であるが、出雲臣天穂日命の後で初代武蔵国造兄多気比命であるともいう[10]。命が国造に任ぜられ、以来代々の国造が当社に奉仕してその国造の霊を祀ったという[10]。大國魂神社の例大祭(くらやみ祭)中の5月5日に御旅所へ神輿が渡御する折に当社より奉幣を献ずる式は「国造代奉幣式」と称されている[10]。
関連神社
- 氷川神社(ひかわじんじゃ、北緯35度55分0.30秒 東経139度37分47.04秒 / 北緯35.9167500度 東経139.6297333度)
- 埼玉県さいたま市大宮区(旧足立郡)にある神社。武蔵国一宮または三宮[注 3]。祭神は須佐之男命・稲田姫命・大己貴命[11]。社記によると孝昭天皇3年(『日本書紀』に記述されている年を機械的に西暦に置き換えれば紀元前473年に当たる)4月未の日の創立と伝えられる[11]。景行天皇(第12代天皇)の時代に日本武尊は当神社に参拝し東夷鎮定の祈願をしたと伝わっている[11]。また成務天皇(第13代天皇)の時代に兄多毛比命は出雲族をひきつれてこの地に移住し[12]、祖神を祀って氏神として[12]、当社を奉崇した[11]という。この一帯は出雲族が開拓した地であり、武蔵国造は出雲国造と同族とされる。社名の「氷川」も出雲の「簸川」(ひかわ、現在の斐伊川(ひいかわ))に由来するという説がある。
- 物部天神社
- 埼玉県所沢市(旧入間郡)の北野天神社(きたのてんじんしゃ、北緯35度47分21.32秒 東経139度25分43.16秒 / 北緯35.7892556度 東経139.4286556度)を構成する三社のうちの一社。祭神は物部氏の祖神饒速日命。
墓
- 芝丸山古墳(しばまるやまこふん、北緯35度39分16.65秒 東経139度44分53.07秒 / 北緯35.6546250度 東経139.7480750度)
- 荏原台古墳群(えばらだいこふんぐん)
- 埼玉古墳群(さきたまこふんぐん、北緯36度07分42秒 東経139度28分46秒 / 北緯36.12833度 東経139.47944度)
人物
- 兄多毛比命(えたけひのみこと、大多毛比)
- 筑麻呂(つきまろ、ちくまろ)
- 宇那毘足尼の子。兄弟に丈部氏の祖・八背直がいる。
- 笠原使主(かさはら の おみ、おぬし[14])
- 物部兄麻呂(もののべ の えまろ)
- 武蔵不破麻呂
子孫
- 強頸直(こわくび の あたい、生年不詳 - 仁徳天皇11年(323年[注 4]))
- 小杵(おき・おぎ、生年不詳 - 安閑天皇元年(534年[注 5])閏12月)
- 大伴赤麻呂(おおとも の あかまろ、生年不詳 - 天平勝宝元年(749年、ただしこの場合750年))
- と書かれていたという。
- 武蔵武芝(むさし の たけしば、生没年不詳(天慶2年(939年)以降消息不明))
- 入間広成(いるま の ひろなり、生没年不詳)
- 奈良時代から平安時代にかけての官人。入間郡の人物で、物部直姓から入間宿禰姓に改姓した。授刀舎人。物部兄麻呂に始まる氏族。
- 野与氏
系譜
参考:柴田常恵、稲村坦元編『埼玉叢書 第3巻』(三明社、1929年)
天照大御神 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
天忍穂耳命 (皇室、多臣、阿多隼人等祖) | 天之菩卑能命 (侫媚於大己貴神) | 天津日子根命 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
伊怒比売命 (香用比売命、大年神后神) | 建比良鳥命 (天降于出雲国言治大己貴神矣) | 比売許曽命 (息長大姫刀自命、淡海比売命、天日矛命后神) | 天目一箇神 (天御影命、天津麻羅) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
出雲建子命 (櫛玉命、伊勢津彦) | 伊佐我命 | 意富伊我都命 (凡河内国造、山背国造、大縣主等祖) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
神狭命 (諸忍毘古命) | 美志印命 (神武朝定賜素賀国造) | 津狡命 | 彦建忍雄心命 (同朝近江国馬見丘、近江国出雲臣祖) | 彦伊賀津命 (彦稲勝命、於保加夜津日売命?、同朝居淡海国蒲生郡於馬見丘奉斎神社) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
身狭耳命 | 櫛𤭖前命 (出雲色命) | 出雲色多利姫 (物部連祖彦湯支命妻) | 阿目夷沙比止命 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
五十根彦命 | 櫛月命 | 沙麻奈姫 (大神君祖健飯勝命妻) | 川枯彦命 (近江国甲賀郡川枯神社) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
天速古命 | 櫛𤭖鳥海命 | 坂戸毘古命 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
天日古曽乃已呂命 | 櫛田命 (出雲国造、筑紫出雲臣、土師連、品治部臣、財部臣、日下部臣、日置部臣、物部臣等祖) | 出雲久志祢命 (宍道直祖) | 国忍富命 (御上祝、穴門国造、安国造、犬上県主、蒲生稲置、菅田首、川上舎人、白根造等祖) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
忍兄多毛比命 | 比奈良珠命 (崇神朝新治国造祖、成務朝定賜国造) | 比古曽乃凝命 | 筑箪命 (同朝遣于紀国故着己名伝于後世更日筑波国矣、筑波国造、茨城国造、額田部連等祖) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
若伊志治命 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
兄多毛比命 (大多毛比、成務朝定賜无邪志国造) | 弟武彦命 (同朝定賜相武国造) | 忍立毛比命 (同朝定賜上海上国造、下海上国造、千葉国造等祖) | 建御狭日命 (同朝定賜高国造、伊甚国造、阿波国造、岩城直、大伴直等祖) | 息長命 (景行朝供奉、針間国賀茂郡山直祖) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
武曽宿禰 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宇那毘足尼 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
筑麻古 | 八背直 (応神朝為膳大伴部供奉、負大部直姓) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
牛頸直 | 強頸直 (仁徳朝入水) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
熊直 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
佐宜古直 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
馬養直 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
笠麿直 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
鯛執直 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
氷上万呂 (足立郡郡司大領 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
道足 (同郡司少領) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国守 (主政) | 古麿 (同郡司) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
不破麿 (同郡司大領、称徳朝賜武蔵宿禰姓、為武蔵国造) | 嶋足 | 武主 | 弟万呂 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
弟総 (同郡司大領、為武蔵国造) | 家刀自 (掌侍兼典掃) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
武総 (同郡司大領) | 稲麿 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g 『埼玉叢書. 第3巻』内「武州一宮氷川神社書上」内「西角井從五位物部忠正家系」442頁。
- ^ 『国史大系. 第7巻』
- ^ 『新訂増補國史大系 第7巻』
- ^ 「武州一宮氷川神社書上」内「西角井從五位物部忠正家系」『埼玉叢書. 第3巻』、441-442頁。
- ^ 武蔵国(平凡社 埼玉県) & 2004年.
- ^ a b 『日本歴史地図 原始・古代編 下』。
- ^ a b 无邪志国造 ( 武蔵 ) - 日本辞典(2018年3月1日 午前8時24分(JST)閲覧)
- ^ 由緒・歴史 - 大國魂神社(東京・府中)(2018年3月2日午前0時(夜)41分(JST)閲覧)
- ^ 東京府 (編)「大國魂神社」『東京府西多摩郡南多摩郡北多摩郡名所旧蹟及物産志』東京府、1912年、pp. 92f頁 。
- ^ a b c d 坪宮 - 大國魂神社(2018年2月1日午後3時28分(JST)閲覧)
- ^ a b c d 氷川神社について - 武蔵一宮 氷川神社(2018年7月2日午前10時54分(JST)閲覧)
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』。
- ^ 宝賀寿男「第三部 畿内・東国に展開した初期分岐の支族 二 武蔵国造と東国の諸国造族」『古代氏族の研究⑯ 出雲氏・土師氏 原出雲王国の盛衰』青垣出版、2020年。
- ^ 『中野区史. 上巻』。
- ^ 酒井清治「埼玉県寺谷廃寺から勝呂廃寺への変遷―素弁軒丸瓦から棒状子葉軒丸瓦へ―」(『駒沢史学』82号、2014年3月)
参考文献
- 「埼玉郡」『日本歴史地名大系 11 埼玉県の地名』平凡社、2004年。ISBN 4582910300。
- 『國史大辭典』(吉川弘文館)
- 坂本太郎・平野邦雄『日本古代氏族人名辞典』(吉川弘文館)
- 『日本史広辞典』(山川出版社)
- 『神道大辞典』(臨川書店)
- 経済雑誌社 編『国史大系. 第7巻』経済雑誌社、1901年、凡例1頁,本文407頁頁 。2017年12月25日閲覧。リンクは国立国会図書館デジタルコレクション。
- 黒板勝美 編『新訂増補國史大系 第7巻』(新装版)吉川弘文館、1998年、先代舊事本紀凡例1頁,先代舊事本紀本文142頁頁。ISBN 4642003088。
- 柴田常恵、稲村坦元 編『埼玉叢書. 第3巻』三明社、1929年、441-450頁 。2018年2月6日閲覧。リンクは国立国会図書館デジタルコレクション、234コマ目。
- 太田亮『姓氏家系大辞典. 第1巻』姓氏家系大辞典刊行会、1936年、1233頁 。2018年3月30日閲覧。リンクは国立国会図書館デジタルコレクション、690コマ目。
- 中野区東京都『中野区史. 上巻』東京都中野区、1943年、112頁 。2018年6月24日閲覧。リンクは国立国会図書館デジタルコレクション、100コマ目。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 竹内理三 編『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』(再版)角川書店、1988年7月1日、716頁。
- 竹内理三等 編『日本歴史地図 原始・古代編 下』柏書房、1982年、289頁。