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北陸電力サッカー部アローズ北陸

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北陸電力サッカー部アローズ北陸
原語表記 アローズ北陸
呼称 アローズ北陸
クラブカラー  
創設年 1990年
解散年 2007年
ホームタウン 富山県富山市
ホームスタジアム 富山県総合運動公園陸上競技場
収容人数 28,494
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

アローズ北陸(アローズほくりく、英語: ALO'S Hokuriku)は、かつて存在した日本サッカークラブ。北陸電力のサッカー部として1990年に創部。1996年から「アローズ北陸」の愛称を用いた。富山県富山市を本拠地としていた。

YKK APサッカー部と共に、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するカターレ富山の前身となったクラブである。アローズ(ALO's)の語源はアンテロープ(英語: ANTELOPESカモシカの意)からの造語である。

歴史

創設~2004年

1990年に北陸電力サッカー部として創設。1996年に地域に根ざしたサッカークラブを目指すことを目標に、アローズ北陸の愛称を制定。YKK APサッカー部とともに富山県を代表する社会人チームとして北信越フットボールリーグで活躍してきたが、1999年度地域リーグ決勝大会に優勝し2000年から日本フットボールリーグ(JFL)に参加。2004年までは最高順位が8位と振るわなかった。特に、2001年から2002年にかけての27試合連続未勝利はJFLリーグワースト記録。

2005年

2005年シーズン序盤は中位に甘んじていたが、徳島ヴォルティスから原田慎太郎期限付き移籍で獲得してからチームの調子が上昇した。

天皇杯県予選決勝戦ではYKK APサッカー部に2点を先取され、さらにMF山本翔平レッドカードで退場するという苦しい展開でありながらも後半ロスタイムDF三好拓児のゴールで追いついた。そして延長前半にFW石橋直希が値千金の勝ち越しゴールを挙げ、大逆転勝利を挙げた。

その後も勢いは止まらず、天皇杯ではJリーグ ディビジョン2湘南ベルマーレに延長戦の末2-1で劇的勝利を挙げた。

しかし、天皇杯4回戦ではJリーグ ディビジョン1名古屋グランパスエイトに0-1で惜敗。後半には北川佳男シュートがゴールポストを直撃するなど惜しい場面もあり、最後までJ1の名古屋相手に見せ場もつくったが、あと一歩及ばなかった。なお、富山県総合運動公園陸上競技場には雨の中10,312人の観客が訪れた(JFLの試合では入場者は500人強ほど)。

その後、JFLリーグ戦では残り2試合の段階まで優勝の可能性を残したが、上位2チームにかわされて、結局愛媛FCYKK APに次ぐ3位となった。

2006年

愛媛FCがJ2に昇格し、格上のライバルは同じ富山県のチームであるYKK APだけとなった2006年シーズンは初優勝を射程圏内にとらえてスタートした。 開幕戦は関東リーグから昇格のジェフ・クラブに1-0と辛勝であったが、その後は安定した戦いで開幕6連勝を飾った。 その後も無敗記録は9節に佐川急便大阪SCに敗れるまで続いた。この期間で喫した失点は僅か4失点、さらに9試合中7試合で完封試合を記録するなどリーグNo.1の守備力には磨きがかかっていた。 しかし、リーグ後半は思うように白星を重ねられなくなり最終順位は8位に。天皇杯も県予選決勝でYKK APに延長戦で敗れて出場を逃すなど、悔しい1年となった。 FWの北川佳男が22得点を挙げたものの、最後まで決定力不足が響くことになった。 このシーズン限りで草木克洋監督が退任。また、主力選手数人が退団や引退した。

2007年

レギュラークラスの選手が大幅に抜け、24人中12人の新加入選手を迎えてスタートすることになったアローズ。したがって、課題は連携面の問題を早く解消できるかということであった。

9月10日、富山県サッカー協会の要請に応じ、同じ富山を本拠地とするYKK APサッカー部と2008年度より統合し、新たなクラブチームとしてJリーグ入りを目指すことが発表された。そして11月12日に、新チームの名称が「カターレ富山」に決まった。これにより、2007年度をもってアローズ北陸は廃部されることとなった。

成績面では、佐川印刷サッカー部から移籍した石田英之が17得点を挙げ、さらに若手選手の躍進により、連携不足を解消させて、リーグ戦は4位。

成績

所属 順位 勝点 試合 得点 失点 天皇杯 備考
1990 富山県3部 優勝 0
1991 富山県2部 優勝 0
1992 富山県1部 優勝
1993 北信越 2位 15 9 6 3 0 28 12 16 1回戦
1994 優勝 18 9 9 0 0 33 4 29 1回戦
1995 2位 24 9 8 0 1 29 7 22 1回戦 国体優勝
1996 2位 25 9 8 1 0 37 4 33
1997 2位 22 9 7 1 1 35 5 30 1回戦
1998 優勝 22 8 6 2 0 26 7 19
1999 2位 22 9 8 1 0 31 7 24 2回戦 うち1勝はPK勝ち
国体準優勝
2000 JFL 8位 22 22 8 0 14 26 49 -23 とやま国体優勝
2001 15位 19 30 4 7 19 28 57 -29 2回戦 リーグ最小得点
2002 14位 15 17 3 6 8 16 34 -18
2003 14位 27 30 7 6 17 23 47 -24 3回戦 リーグ最小得点
2004 10位 37 30 10 7 13 46 52 -6 3回戦
2005 3位 61 30 19 4 7 52 26 26 4回戦 リーグ最小失点
2006 8位 57 34 16 9 9 53 30 23 国体優勝
2007 4位 59 34 16 11 7 50 35 15

特徴

2006年までは、かつて水戸ホーリーホックサガン鳥栖に所属していた選手が多く在籍していた。 これは、前・監督の草木克洋が以前にサガン鳥栖コーチを務めていたことや、水戸ホーリーホック前・社長の小林寛が監督を務めていたことから、そのコネクションを生かして補強をしているものと思われた。 しかし、2007年は選手の半分が入れ替わり、これまでの人脈にとらわれない補強が行われた。

ユニフォームサプライヤ

本拠地

関連項目

外部リンク