コンテンツにスキップ

本多忠直 (大和国郡山藩主)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。218.219.224.131 (会話) による 2007年1月27日 (土) 14:23個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (細部)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

本多 忠直ほんだ ただなお寛文10年(1670年) - 享保2年5月8日1717年6月16日))は、大和郡山藩の第3代藩主。第2代藩主・本多忠常の兄に当たる本多忠晴の子。正室は石井氏。官位は従五位下。越中守。信濃守。

幼名は大藤。1702年12月18日、従五位下、越中守を叙任する。1707年10月10日、先代藩主の忠常の養嗣子となり、同年12月12日に信濃守を叙任する。1709年の忠常の死去により後を継いだ。 1717年5月8日、48歳で死去し、後を子の本多忠村が継いだ。法号:遷妙院殿顕忠日直大居士。墓所:山梨県南巨摩郡身延町身延山久遠寺

先代
本多忠常
本多氏(郡山藩3代)藩主
1709~1717
次代
本多忠村