聖餐論
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聖餐(聖体)の聖礼典(秘跡)に関する教義上の捉え方は、キリスト教諸教派によって異なり、議論の対象となってきた。この神学的な議論のことを聖餐論と呼ばれる。ここでは、各キリスト教諸教派における聖餐論の相違について述べる。
カトリック教会と東方正教会との聖餐(聖体秘跡)論の捉え方ははほぼ同じである。例えば、聖体の秘跡において、パンとぶどう酒の実体がキリストの肉と血の実体に変化し、ゴルゴダの犠牲が再現されるという概念は、古代教父時代から認められている。しかしながら、カトリック教会のラテン的な文化的背景とと正教会のヘレニズム的な文化的背景との相違が若干みられる。例えば、カトリック教会では、無発酵パンを使用し、パンまたはぶどう酒の形態(形相)のみ(単形態)の拝領で、聖体秘跡として有効であるのに対し、正教会は発酵パンの使用とパンとぶどう酒の両方の両形態拝領が義務になっている。
カトリック教会と正教会は、パンとぶどう酒の実体がキリストの肉と血の実体に変化することを認めている。特にカトリック教会はトリエント公会議でパンとぶどう酒の形相のもとに、キリストの人性である肉と血と霊魂、および神性が現存すると説明した。これに対しルター派(シュマルカルデン条項)と聖公会(三十九箇条)は共在説、長老・改革派は象徴説(ウェストミンスター教会会議)を唱え、カトリックの聖餐論に反対した。また、ゴルゴダの犠牲の再現に関する概念も、プロテスタント諸教派から否定されている。