ロングエース
ロングエース | |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 黒鹿毛 |
生誕 | 1969年4月2日 |
死没 | 1994年3月3日 |
父 | ハードリドン |
母 | ウインジェスト |
生国 | 日本(北海道浦河町) |
生産者 | 岡崎牧場 |
馬主 | 中井長一 |
調教師 | 松田由太郎(栗東) |
競走成績 | |
生涯成績 | 10戦6勝 |
獲得賞金 | 6932万7800円 |
ロングエースは日本の競走馬。1972年の東京優駿(日本ダービー)が主な勝ち鞍である。代表産駒はテルテンリュウ、スピードヒーロー。半兄に重賞5勝のロングワン、半弟にスワンステークス優勝馬ロングフアスト(1975年のダービー2着)がいる。
概要
ロングエースはランドプリンス、タイテエムとともに1972年の日本ダービーで3強を形成した1頭。旧4歳の1月にデビューすると新馬、ヒヤシンス賞、フリージア賞と3連勝、さらにオープンではランドプリンスを破り4連勝、さらに弥生賞でも再びランドプリンスを下し5連勝で重賞初制覇を達成した。
皐月賞では1番人気に推されたがランドプリンスの雪辱を許し3着に敗れた。そしてロングエースは日本ダービーに向かう。人気順はロングエースが1番人気、ランドプリンスとタイテエムがそれに次ぐ人気を集めていた。(この年は馬インフルエンザが大流行し、日本ダービーが7月に行われたことから、「七夕ダービー」と呼ばれた)レースでは4コーナーでタイテエムが先頭に立つとランドプリンスがその後を追い、さらにロングエースが内から仕掛け3頭の激しい叩き合いになった。結果はロングエースがレコードで1着、その後をクビ、アタマでランドプリンス、タイテエムが入着した。騎手の武邦彦(現・調教師)は、これが嬉しい初の日本ダービー制覇となり、これ以降、名騎手としてその名を高めていくこととなる。
しかし、秋シーズンでのロングエースは精彩を欠いた上、インフルエンザを克服して秋に復活してきた関東のエース、イシノヒカルに菊花賞と有馬記念で共に敗れ、引退した。
引退後は種牡馬入りし宝塚記念優勝馬テルテンリュウ、スピードヒーロー(日経新春杯、神戸新聞杯)等4頭の重賞馬を輩出しこの時代の日本ダービー馬としては珍しく成功した。さらに日本初の白毛馬ハクタイユーを送り出したことで現在まで直系子孫が残った。
年度別競走成績
1972年(10戦6勝)
- 東京優駿、弥生賞
主な産駒
- テルテンリュウ(宝塚記念、NHK杯)
- スピードヒーロー(日経新春杯、神戸新聞杯)
- ロンゲット (東京障害特別(春))
- ワイドオー(京都4歳特別)
競走馬
ロングエースの血統(ファリス系/アウトブリード) | (血統表の出典) | |||
父 *ハードリドン Hard Ridden 1955 黒鹿毛 |
父の父 Hard Sauce1948 黒鹿毛 |
Ardan | Pharis | |
Adargatis | ||||
Saucy Bella | Bellacose | |||
Marmite | ||||
父の母 Toute Belle1947 黒鹿毛 |
Admiral Drake | Craig an Eran | ||
Plucky Liege | ||||
Chatelaine | Casterari | |||
Yssel | ||||
母 ウインジェスト 1963 黒鹿毛 |
*ティエポロ Tiepolo 1955 鹿毛 |
Blue Peter | Fairway | |
Fancy Free | ||||
Trevisana | Niccolo Dell'Arca | |||
Tofanella | ||||
母の母 *ノルマニアNormannia 1956 黒鹿毛 |
Norman | Norseman | ||
Macreuse | ||||
Sainte Mesme | Le Pacha | |||
Pereire F-No.5 |