コンテンツにスキップ

西尾忠篤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。立志堂 (会話 | 投稿記録) による 2007年8月30日 (木) 01:59個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

西尾 忠篤にしお ただあつ)は、遠江国横須賀藩の第8代藩主。のちに安房国花房藩主。

{{{このテンプレートは廃止されました。}}}
時代 江戸時代末期(幕末)から明治時代
生誕 嘉永3年5月7日1850年6月16日
死没 明治43年(1910年11月5日
別名 藤十郎、益之助(幼名)
墓所 埼玉県上尾市原市の妙厳寺
官位 隠岐守、子爵
遠江横須賀藩主→安房花房藩主
氏族 西尾氏
父母 父:西尾忠受
兄弟 西尾忠篤本多忠恕
正室:松平親良の娘

嘉永3年(1850年)、第7代藩主・西尾忠受の子として生まれる。文久元年(1861年)の父の死去により、家督を継いで藩主となる。幕末の動乱期で藩内では佐幕派、尊王派が抗争を続け、慶応4年(1868年)の戊辰戦争においても両派の抗争が続いたが、八十美穂青山善一郎らによる佐幕派への説得もあって、横須賀藩は新政府に協力した。慶応4年(1868年)8月、徳川家達が東海地方に入ってきたため、忠篤は安房花房藩に移封となった。

明治2年(1869年)の版籍奉還藩知事となり、明治4年(1871年)の廃藩置県で免官となった。やがて東京へ移った。

明治43年(1910年)11月5日に死去。享年61。

なお、子孫だが現当主は西尾忠愛。水産会社に勤務する。

先代
西尾忠受
西尾氏(横須賀藩8代)藩主
1861~1868
次代
-
先代
-
西尾氏(花房藩)藩主
1868~1871
次代
-