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佐竹 義明(さたけ よしあき、1723年-1758年)は、出羽国久保田藩の第7代藩主。父は佐竹義道。母は佐竹義長の娘・明鏡院。官位は従四位下。侍従。右京大夫。
1723年11月5日生まれ。幼名は延寿丸。初名は佐竹義局。1753年、先代藩主・佐竹義真が死去したために後を継いで藩主となる。しかし5年後の1758年3月18日、36歳で死去し、後を長男の佐竹義敦が継いだ。法号:恭温院徳岩玄光。墓所:秋田市の天徳寺。