コンテンツにスキップ

佐竹義明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。シェーラ (会話 | 投稿記録) による 2005年8月27日 (土) 02:45個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

佐竹 義明さたけ よしあき1723年1758年)は、出羽国久保田藩の第7代藩主。父は佐竹義道。母は佐竹義長の娘・明鏡院。官位は従四位下。侍従。右京大夫。

1723年11月5日生まれ。幼名は延寿丸。初名は佐竹義局。1753年、先代藩主・佐竹義真が死去したために後を継いで藩主となる。しかし5年後の1758年3月18日、36歳で死去し、後を長男の佐竹義敦が継いだ。法号:恭温院徳岩玄光。墓所:秋田市の天徳寺。