アブー・サイード (ティムール朝)
アブー・サイード(1424年 - 1469年)は、ティムール朝の第7代君主(在位:1451年 - 1469年)。初代君主・ティムールのひ孫で・アゼルバイジャンタブリーズのアミールであったミラン・シャーの孫。初代ムガール帝国皇帝、バーブルの祖父。
アブー・サイードは1424年にヘラートで生まれ、シャー・ルフ続いてウルグ・ベクのもとで養育されるが1448年に帝位簒奪を試みる。しかし、これは失敗し、ブハラで自立を図るもこれも失敗、サマルカンドにて獄につながれる。しかし、ウルグ・ベクが長男のアブドゥッラティーフに暗殺されると、サマルカンド有力者に湧出され、11450年に再度反乱を起こす。ウズベグ族のアブル・ハイルの援助を得てトランスオクシアナを征服。サマルカンドを占領し、アブドゥッラー(ティムール朝)を処刑し、ティムール帝国東部のサマルカンド政権の支配者となる。
アブー・サイードはその後アブー・クサイム・バーブルのヘラート政権と戦う。アブー・クサイム・バーブル死後の混乱に乗じ、黒羊朝のジャハン・シャーと同盟し、アブー・クサイム・バーブルの息子のシャー・マフムードを追放したティムールのひ孫イブラヒムを破る。1459年ヘラートを征服、ペルシャを東西でジャハン・シャーと分割し、その後61年までにアフガニスタンの大部分も征服し、ウルク・ベク以来サマルカンド政権とヘラート政権に分割されていたティムール帝国を再統合を成し遂げた。
しかし、1467年にジャハン・シャーが白羊朝のウズン・ハサンに破れると、彼はジャハン・シャーの息子たちを援助し、ウズン・ハサンと敵対する。そして1469年、ウズン・ハサンとの戦いに敗れ捉えられたアブー・サイードはシャー・ルフのひ孫で彼の政敵のジャディガル・ムハンマドにひきわたされ処刑された。
アブー・サイードは優れた王であり税制を改革し感慨を勧め農地を回復させ、内覧で疲弊した帝国のかつての繁栄と栄光を取り戻すために精力的に働いた。彼の突然の死により、ティムール帝国は完全に崩壊する。 彼の死後、ホラーサーンとホラズムそしてヘラートはティムールの子ウマル・シャイフのひ孫にあたるフサイン・バイカラ(フサイン・ミルザともよばれる)がジャディガル・ムハンマドを処刑しこれを確保、ヘラート政権を復活させた。残されたサマルカンド政権の領域はアブー・サイードの4にんの息子に分割相続された。長男アフマドはサマルカンドとブハラ、そしてティムール帝国の支配者の称号を相続し、次男のマフムードはバダフシャン、ハトロン、テルメズ、クンドゥズ、ヒサールを相続した。カブールとカザニは三男のウルグ・ベクを確保し、四男のウマル・シャイフ・ミールザーはフェルガナを相続した。このウマル・シャイフとチャガダイ王家出身のトルグ・ニガール・ハーニムの間に生まれた息子が、後にムガール帝国を建国するバーブルである
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