行田市
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ぎょうだし 行田市 | |||
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古代蓮の里 | |||
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国 | 日本 | ||
地方 | 関東地方 | ||
都道府県 | 埼玉県 | ||
市町村コード | 11206-2 | ||
法人番号 | 2000020112062 | ||
面積 |
67.49km2 | ||
総人口 |
76,361人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||
人口密度 | 1,131人/km2 | ||
隣接自治体 | 群馬県:邑楽郡千代田町、邑楽郡明和町 | ||
市の木 | イチョウ | ||
市の花 | キク・古代蓮 | ||
その他 |
市の日:5月3日 市の歌:「行田市歌」(NCS-263) 歌:ボニー・ジャックス | ||
行田市役所 | |||
市長 | 行田邦子 | ||
所在地 |
〒361-8601 埼玉県行田市本丸2番5号 | ||
外部リンク | 行田市 | ||
ウィキプロジェクト |
行田市(ぎょうだし)は、埼玉県北部にある人口約8万4000人の市である。
地理
北は利根川を境に群馬県と接する。ほぼ全域が利根川と荒川の沖積平野である。
歴史
近世以前
行田市大字埼玉(さきたま)は、古くは『万葉集』に「さきたまの津」という記述があり、『風土記』にも「武蔵国埼玉郡(さきたまごおり)」とあるように、「埼玉県」という地名の発祥地であるとされる。
古墳時代には稲荷山古墳などが造成され、これらからは金文字の入った金錯銘鉄剣など貴重な文化財が出土している。
室町時代には忍城(おしじょう)が築かれ、成田氏を中心とする武士団の本拠地として周辺に勢力を拡大していた。
戦国時代には後北条氏と結んだため、豊臣秀吉の小田原征伐の際には石田三成に攻撃を受けることとなる。
江戸時代には阿部氏、後に松平氏の城下町。石高は十万石。江戸時代中期より、下級武士の内職として足袋の生産が始まり、明治時代を迎えて機械化され一大産地となる。戦後は洋装化が進んだため衰退したが、今でも生産は行われているほか、足袋から転じた繊維産業が地場産業として一定の地位を占めている。
近代以後
- 1889年(明治22年)4月1日 - 北埼玉郡成田町・行田町・佐間村が合併し、忍町(おしまち)となる。
- 1902年(明治35年)6月 - 行田馬車鉄道が創業。
- 1910年(明治43年)9月 - 行田電灯が設立。
- 1937年(昭和12年)4月1日 - 北埼玉郡長野村・星河村・持田村が忍町に編入合併。
- 1949年(昭和24年)4月23日 - 市章を制定する。[1]
- 1949年(昭和24年)5月3日 - 忍市として市制施行、即時改称し行田市となる。
- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年)
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 北足立郡吹上町から堤根・樋上および下忍の一部が分離し、行田市に編入される。
- 1957年(昭和32年)3月31日 - 北埼玉郡太田村が行田市に編入合併。
- 2001年 - さいたま市の合併の際に行田市は「埼玉」という地名の発祥の地は行田市内の旧埼玉村であることを理由として「さいたま市」という新市名に難色を示した。
- 2006年(平成18年)1月1日 - 北埼玉郡南河原村が行田市に編入合併。
人口
行田市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
行政
歴代首長
代(旧忍町) | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
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初 | 村上多熊 | 1889年5月8日 | 1890年12月28日 |
2 | 古市直之進 | 1891年3月24日 | 1899年4月11日 |
3 | 村上多熊 | 1899年5月4日 | 1903年5月3日 |
4 | 吉田謹蔵 | 1903年8月26日 | 1911年9月11日 |
5 | 森脩 | 1911年11月8日 | 1913年4月7日 |
6 | 古市直之進 | 1913年10月11日 | 1921年10月18日 |
7 | 水谷麻之助 | 1921年11月9日 | 1928年1月24日 |
8 | 高城駿 | 1928年1月25日 | 1945年12月15日 |
9 | 原田俊郎 | 1946年3月8日 | 1946年12月24日 |
10 | 奥貫賢一 | 1947年4月5日 | 1949年5月2日 |
代(市) | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
初 | 奥貫賢一 | 1949年5月3日 | 1951年4月5日 |
2 | 馬場秀夫 | 1951年4月24日 | 1955年4月30日 |
3 | 奥貫賢一 | 1955年5月1日 | 1959年4月30日 |
4〜11 | 中川直木 | 1959年5月1日 | 1991年4月30日 |
12〜14 | 山口治郎 | 1991年5月1日 | 2003年4月30日 |
15 | 横田昭夫 | 2003年5月1日 | 2007年4月30日 |
16 | 工藤正司 | 2007年5月1日 | 現職 |
経済
- 当市内に本社を置く企業
- 当市内に工場・営業所を置く会社
姉妹都市・提携都市
公共施設
市の施設
- 行田市役所
- 南河原支所
- 保健センター
- 環境課
- 小針クリーンセンター
- 環境センター
- 勤労会館
- 商工センター
- 行田市立図書館(教育文化センター「みらい」内)
- 教育研修センター(教育文化センター「みらい」内)
- 中央公民館(教育文化センター「みらい」内)
- 行田市斎場
- 老人福祉センター大堰永寿荘
- 老人福祉センター南河原荘
- 老人ホーム大寿荘
- 児童センター
- 行田市産業文化会館
- 男女共同参画推進センターVIVAぎょうだ
- 郷土博物館
- 古代蓮会館
- 総合公園プール
- 地域交流センター
- 南河原隣保館
- コミュニティセンターみずしろ
- コミュニティセンター南河原
- 南河原公民館
- 地域文化センター
- 太田公民館
- 下忍公民館
- 太井公民館
- 星宮公民館
- 埼玉公民館
- 北河原公民館
- 児童交通公園
- 須加公民館
- 荒木公民館
- 持田公民館
- 星河公民館
- 長野公民館
- 佐間公民館
- 忍・行田公民館
- 史料館
- 総合体育館(行田グリーンアリーナ)
- 市民プール
- はにわの館
- 教育研修センター(下忍分室)
- 学校給食センター(ひまわり)
県の施設
- 埼玉県立総合教育センター
- 利根地域振興センター
- 行田県税事務所
- 行田県土整備事務所
- 荒川左岸北部下水道事務所
- 埼玉県企業局行田浄水場
- 水質管理センター
- 熊谷建築安全センター行田駐在
国の施設
- 行田税務署
- 行田労働基準監督署
- 行田公共職業安定所
その他施設
消防
警察
広域行政
- 彩北広域清掃組合(当市と鴻巣市の2市で可燃ごみの処理を行っている)
- 妻沼南河原環境施設組合(熊谷市妻沼地区と当市南河原地区の2市でし尿処理を行っている)
- 荒川北縁水防事務組合(熊谷市、当市、鴻巣市の3市で水防事務を行っている)
教育
高等学校
中学校
- 行田市立忍中学校
- 行田市立行田中学校
- 行田市立長野中学校
- 行田市立見沼中学校
- 行田市立太田中学校
- 行田市立埼玉中学校
- 行田市立西中学校
- 行田市立南河原中学校
小学校
- 行田市立中央小学校
- 行田市立南小学校
- 行田市立東小学校
- 行田市立西小学校
- 行田市立北小学校
- 行田市立星宮小学校
- 行田市立太田東小学校
- 行田市立太田西小学校
- 行田市立荒木小学校
- 行田市立下忍小学校
- 行田市立北河原小学校
- 行田市立埼玉小学校
- 行田市立須加小学校
- 行田市立泉小学校
- 行田市立桜ヶ丘小学校
- 行田市立南河原小学校
特別支援学校
- 埼玉県立行田特別支援学校
大学
住宅団地
- 佐間団地
- 行田下忍住宅
- 行田佐間住宅
- 行田持田住宅
- 行田門井住宅
- 行田第二地産団地
交通
鉄道
市内南西のはずれを高崎線が通っており、行田駅がある。都心方面への直接アクセスは主に高崎線が担っている。
市内中心部を通るのは秩父鉄道だが、秩父鉄道から都心にアクセスするには一度熊谷方面(高崎線)か羽生方面(東武伊勢崎線)に出る必要がある。市内中心部からは吹上駅まで朝日バス、行田駅まで市内循環バスが出ている。
中心となる駅:行田市駅
バス
タクシー
タクシーの営業区域は県北交通圏で、熊谷市・深谷市・本庄市・加須市・羽生市などと同じである。
道路
観光
観光地
祭事
ご当地グルメ
出身有名人
- 小宮山友晴(戦国武将)
- 小宮義孝(寄生虫学者。野口英世記念医学賞受賞)
- 根本要(音楽グループ「スターダストレビュー」メンバー)
- 矢内理絵子(将棋女流棋士)
- 飯島俊行(モータージャーナリスト、写真家)
- 猪爪義治(元プロ野球埼玉西武ライオンズ投手)
- 高松あい(女優)
- 河原和寿(プロサッカー選手、愛媛FC)
- 東翔(プロスイマー)
- 濱梨花枝(歌人・作詞家)
- 細川貂々(漫画家・イラストレーター)
- 内田英輔(お笑い芸人・あかいらか)
ゆかりのある人物
脚注
- ^ 図典 日本の市町村章 p73