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バスガイド

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バスの車掌、昭和9年頃 (日本)

バスガイドは、団体貸切バスや観光バス定期観光バスに同乗する案内係で、観光地や名所旧跡など、旅のガイドを務めたり乗客の世話(主に車内サービス・下車誘導・下車説明等)をする乗務員(車掌)を指す和製英語で、戦後観光バスが再開された際、当時日本乗合自動車協会理事だった沢辺正明が「バスガイド」と名付けたといわれる[1]

団体は、必ずしも観光旅行とは限らず、スポーツ少年団から企業研修や学校研修の研修地への移動、冠婚葬祭にまつわるものなど多種多様である。

バスガイドは日本発祥の団体観光向けのバスにおけるサービスであり、日本以外ではバスツアーにバスガイドが付くことはあまりない[2]。日本以外のパックツアーでは目的地ごとに現地ガイドと契約して観光地の案内を依頼する形態が多い。ただし、パックツアーによっては現地ガイドが初日から最終日まで同行するスルーガイドと呼ばれる形態が存在する。

資格

バスガイドは旅程の管理などを職務とする添乗員とは本質的に仕事の内容は異なる。

観光案内をしない運転者以外の乗務員をツアーメイト、バスメイト又は単にメイト、車掌、ボーイと呼ぶ。バック誘導・横断・乗降注意・清掃が主な仕事で、旅行業界ではこれらの乗務員をバスガイドと呼ぶことは無い。

雇用

雇用形態は、バス会社の正社員(公営事業者の場合は常勤一般職地方公務員)、もしくは嘱託など。最近では小規模観光バス会社の増加にともない、バスガイド派遣業者の設立もみられ、派遣ガイドが増えている。

ほとんどは女性であるが、近年、男性ガイドの例もみられる(山梨交通や沖縄が有名)。観光専門学校を卒業して就業する場合もあるが、一般に採用段階で特定の資格は必要ない。

1960年代から70年代にかけて、幼稚園教諭、看護婦(看護師)、スチュワーデス(客室乗務員)などと並び、女性の憧れの職業で上位にランクしたこともあるが、最近は他の職業に比べ相対的な待遇の低下、ガイド無し運行、女性の社会進出の拡大により、以前ほどの人気はない。

定年は各社の就業規則によるが、定年後の嘱託や再任用により、高年齢での活躍も可能である。

昭和40年代位まで人手不足で中卒採用もみられたが、近年は大卒でも採るバス会社がいくつか増えてきた。一般的には高卒で18歳から就職する事が多い職業。ガイドクラブと呼ばれる職業紹介組織で一人前にプロの仕事をこなす為には、最低でも観光バスガイド経験5年以上必要。[要出典]

運転士とペアで乗務すること、台数口運行がある以上、服務管理は厳格な職場である。女性の多い職種柄、寮制度などを備える事業場も多い。

料金体系

かつてのバスガイド料金はバス貸切料金に含まれており、観光バス・貸切バスには必ずバスガイドが全行程において乗務していたが、2000年2月1日に実施された道路運送法改正により、バス貸切料金とバスガイド料金は別料金とする制度に改められたため、バスガイドが乗務せず、あるいは行程において必要な部分だけガイドが乗務するケースが増えてきている。

案内する場所に特化したバスガイドもある。例えば、他地方のバスが、四国に入る直前に四国専門のガイドを乗せ、あるいは、東京のバスが京都に夜行で走り、京都で現地のガイドを乗せる、というように、その地方に特化したガイドを乗せることで、案内内容の充実を図り、現地に着くまでは運転手のみの運行で乗務に無駄を省く場合もある。下車観光地でも、バスガイドが全ての案内をせず、その観光地専門のガイドにゆだねる場合も多い。

一部の募集型企画旅行(格安ツアーなど)では、単価を抑える為にガイドの業務を添乗員が行う場合もある。

そのような現状もあり近年ではバスガイド自体が減少傾向にある。[要出典]

主な職務内容

後退するバスと安全確認するバスガイド 銀嶺バス

通常は観光バス・定期観光バス1台につき1名乗務する。就業規則等により、乗務中の制服着用を義務付ける企業が大半である。乗務中のほとんどで乗客と接するため、バスガイドの印象は会社のイメージを左右することから、制服のデザインは運転士に比べてファッション性を重視したものになっている[3]

  • 乗客への観光地や名所旧跡などの説明、案内 この際以前は立って案内していたが、2008年改正道路交通法により座席着席案内になった。
  • 地図によるナビゲーションや駐車時などのバスの誘導など、運転手の補助
    後方誘導は、バックカメラや拡大鏡等が付いていない場合、後方確認が運転手からは難しく、かつては二人乗務が法的義務となっていた。ホイッスルの吹鳴間隔によるバスの誘導技術は今では余り見ることができない[要出典]安房峠などの狭い峠道では、バスに先行して対向車を止める必要がある場合もあった。
  • ドアの開閉、集合時刻の告知
  • ビデオデッキカラオケなど車内娯楽機器の取り扱いや、湯茶や飲料水の配布を行う場合がある。
  • 事故発生時の乗客の誘導
  • 乗客降車後に車内の清掃

新人バスガイドが受ける研修

ガイドのイメージはバス会社にとって重要な要素であるため、就職後の研修は厳しく、半年から一年の研修期間を経て乗務につくことが多い(研修期間はバス会社により異なる)。研修は発音練習から始まり、数百ページにものぼる観光地の地理や歴史関連資料の学習、歌唱指導、乗車教習、車両誘導など多岐にわたる。

内容はバス会社により異なるが、新人バスガイドは入社後本社において集合研修を受け、接客・言葉遣い・身だしなみ・挨拶の仕方・会社概要等を教わる。その後は配属先営業所毎に分かれ、車両の扱い方・バック誘導・発声・滑舌練習、事故発生時に乗客を安全に誘導する為の実習等が行われる。

バスガイドが案内する内容は各バス会社が独自に用意した「バスガイド・ブック」と呼ばれる専用資料[4]に基づいている。教本編集はバスガイドOGやバス会社役員等が編集委員となり、約2 - 3年毎に改訂する形を採っている。ページ数はバス会社により異なるが大体500 - 600ページあり、広範囲に及ぶ膨大な量の観光案内や地理等を限られた研修期間で暗記しなければならない。

(観光ピークの春と秋を避けシーズンオフ期に実施される)車上実習ではベテランのバスガイドが教官となり、教本の内容をもとに「どこでどの観光名所・車窓風景を案内すべきか」を体得していく。また宿泊を伴う郊外地区の実習では(新人バスガイド)各人が「確認帳」を作成し、教官が案内する観光名所等を確認帳に書き込んでいく(これは乗務本番における教本になる)。 

歴史

地獄めぐり定期観光バス(1945年)

1920年2月、東京市街自動車に女性車掌(白衿嬢)が乗務した[5]。1924年12月20日、東京市営バスに女性車掌(赤襟嬢)が乗務した[5][6]1925年12月東京乗合自動車(1922年東京市街自動車を改称)が遊覧自動車に観光案内のため乗務させたのがバスガイド(当時は案内係と呼ばれた)の最初である[1]。観光案内には豊富な知識が要するとされて、大学を卒業した男性のみを採用した。しかし案内能力は抜群に良かったが、それに見合う手当(当時帝国大学卒の初任給が60円、私大卒が50円だったところ、基本給60円、手当20円[1])や待遇を要し、かなりの高コストになってしまった。

今日の女性バスガイドは1928年1月[7]油屋熊八が、経営する大分県別府市の亀の井遊覧自動車(現・亀の井バス)が地獄巡り遊覧バスを運行する際に考案したのがはじまり。2009年3月30日に亡くなった村上アヤメは当時採用された第一号ガイドの一人である[8]。若い女性の採用と、七五調による観光案内[9]が大好評を博し、現在も別府温泉で運行されている国内で最も長い歴史を持つ定期観光バスである。現在の別府地獄めぐりコースでも当時の七五調ガイドが一部に用いられている。

同年7月[1]、東京乗合自動車でも女性ガイドに切り替え、全国に女性バスガイドが波及した。戦後の1949年(昭和24年)に運行を開始したはとバスも、当初から女性ガイドでスタートしている。

大阪市の中央観光バス(現ジパング (大阪府))において、観光ガイドは行わず、飲料の配布や客の接待のみに従事する、スチュワーデスと呼ばれる接待専門の乗務員も存在した(倒産後、現在はそのような事はない)。

1999年に改正された男女雇用機会均等法の施行で、男性バスガイドも採用されるようになったが、多くない。

なお、はとバスでは、1999年以前から外国人旅行者向けの定期観光バスに男性ガイドを採用していた[10]

バスガイド経験者の著名人

芸能人

政治家

著作家

楽曲

書籍

脚注

  1. ^ a b c d 西美智夫「ガイドの歴史は学生アルバイトで始まった」『クラリオンバス機器ニュース別冊・情報編』第9号、クラリオン、1984年10月5日、8頁。 
  2. ^ 大人の常識研究会『できる人は知っている 大人の常識国語』学研パブリッシング、2013年、231頁
  3. ^ エレベーターガールや案内嬢、キャンペーンレディーのようなスタイル。コーポレートカラーや社章を入れたレディーススーツ型に制帽
  4. ^ 資料は「社外秘」として厳重管理されているため、多くのバス会社では部外者へその内容を漏らす事を固く禁じている。
  5. ^ a b 西美智夫「制服今昔」『クラリオンバス機器ニュース別冊・情報編』第21号、クラリオン、1996年11月20日、7頁。 
  6. ^ 東京朝日新聞
  7. ^ 会社概要”. 亀の井バス. 2021年4月29日閲覧。
  8. ^ 日本初のバスガイド逝く 昭和初め、別府温泉PRに尽力”. 2009年4月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年3月31日閲覧。 - 朝日新聞(2009年3月31日)
  9. ^ 当時「不老暢人」のペンネームで文筆活動をしていた社員薬師寺知朧の作で、親交のあった菊池寛久米正雄が別府に来た時に読んでもらい一部を修正した。
  10. ^ バスジャパン6号のはとバス特集に掲載

関連項目