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橋本大二郎

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橋本 大二郎
はしもと だいじろう
2006年(平成18年)5月18日
橋本大二郎・高知県知事(当時、左、59歳)と
ダニエル・ラッセル(駐大阪・神戸アメリカ総領事)
生年月日 (1947-01-12) 1947年1月12日(77歳)
出生地 日本の旗 日本 東京都
出身校 慶應義塾大学経済学部経済学科卒業
慶應義塾大学法学部法律学科卒業
前職 NHK職員
所属政党 無所属
称号 経済学士(慶應義塾大学・1970年
法学士(慶應義塾大学・1972年
親族 橋本卯太郎(祖父)
若宮貞夫(祖父)
橋本龍伍(父)
橋本龍太郎(兄)
橋本岳(甥)
公式サイト 橋本大二郎 公式サイト

高知県の旗 公選第13-16代 高知県知事
当選回数 5回
在任期間 1991年(平成3年)12月7日 - 2007年(平成19年)12月6日
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橋本 大二郎(はしもと だいじろう、1947年(昭和22年)1月12日 - )は、日本政治家。第13 - 16代高知県知事、元NHK職員(記者キャスター)、東アジア共同体研究所理事、武蔵野大学法学部政治学科客員教授

兄は第82代第83代内閣総理大臣橋本龍太郎

経歴

生い立ち

大蔵官僚橋本龍伍の次男として東京にて生誕。

麻布高校卒業後、東京大学を二回受験するも不合格で、その後慶應義塾大学経済学部経済学科へ入学。1970年に卒業し、同大学法学部法律学科学士入学[1]1972年に卒業。NHKに入局し福岡放送局記者を皮切りに主に社会部畑を歩く。特に『NHKニュースTODAY』の社会部門キャスターとしての活躍が目覚しく、昭和天皇の闘病と崩御を始めとした皇室報道で有名になった。

高知県知事

1991年(平成3年)、NHKを退職、高知県知事選挙に立候補し、高知県知事選挙史上最多の31万6968票獲得して初当選(当時最年少知事で44歳での初当選だった)。

1995年(平成7年)には当時の流行語になるほど問題になった官官接待を、全国の地方自治体に先駆けて廃止した[2]

2000年(平成12年)、政治の透明化を目指し、高知県知事室にライブカメラを設置。

2001年(平成13年)1月8日高知市が開催した成人式での挨拶の際、知事に「帰れ」などと言って騒ぐ新成人を「静かにしろ!」「出て行け!」と一喝した[3]。なお、翌年以降の成人式は全て欠席している[4]

2002年(平成14年)に開催されたよさこい高知国体では、他県からの選手の引き抜きを行わない方針を貫き[5]、高知は男子・女子総合とも優勝とはならなかった。これは開催地優勝が常態化していた国体で39年ぶりのことである[6]

2004年(平成16年)9月に高知県議会百条委員会が「1991年(平成3年)の知事選において元後援会事務局長が1億円を借り、県工事受注業者からの資金で借金を返済したと判断できる」との報告書をまとめた。この問題に関して10月8日、知事辞職勧告決議が提出され可決(賛成22票、反対15票)。この結果を受けて知事を辞任した。11月28日出直し選挙が行われ、橋本が再選された。出直し選挙の背景には、次男による強制わいせつ事件への批判も挙げられている。

2007年(平成19年)8月1日、同年11月執行の高知県知事選挙に出馬せず、4期(5選)で退任する意向を固め記者会見にて発表した。同年12月6日、任期満了に伴い高知県知事を退任した。

知事退任後

知事退任時に次回2009年(平成21年)の(第45回)衆議院議員総選挙への出馬(高知県第1区)を表明した。当初は与野党の別を問わず、既存政党から距離を置く姿勢を表明していたが、鳩山由紀夫民主党幹事長)と会談し、同党と選挙協力関係を構築することで一致、総選挙告示前の新党結成に含みを持たせた[7]。しかし、選挙戦では民主党も候補者を擁立した。当初は橋本の圧勝が確定的だったが、選挙直前に民主党候補が伸張して反自民票を喰い合い、福井照自民党公認候補・現職)に競り負けた。以降、国政選挙への立候補歴は無い。

2010年(平成22年)4月に早稲田大学大学院公共経営研究科客員教授、2011年(平成23年)4月に慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別招聘教授、2013年(平成25年)4月に武蔵野大学客員教授に就任した。

2014年(平成26年)4月よりテレビ朝日ワイド!スクランブル』のメインキャスターを務める。24年ぶりのキャスター復帰となった。

2018年(平成30年)秋の番組改編に伴い、9月末をもって『ワイド!スクランブル』のメインキャスターを降板[8]

年譜

家族・親族

橋本家

岡山県総社市倉敷市東京都渋谷区港区
実家
左から大二郎、父・龍伍、母・正、兄・龍太郎
1956年(昭和31年)撮影
自家
  • 妻、息子(2人)
    2人の息子は大二郎の実子ではなく、妻が死別した夫(元NHKの職員)との間にもうけた子である[11]

出演

テレビ番組

ラジオ番組

  • 大二郎'Sワールド(高知放送、2000年)

映画

著書

脚注

  1. ^ 【三人閑談】折り紙の愉しみ 三田評論
  2. ^ 橋本大二郎氏キャスター復帰テレ朝昼の顔 - 芸能ニュース : nikkansports.com
  3. ^ その際に「お前が出て行け!」と言い返され、「みなさん、どう思いますか」と他の出席者に意見を聴いた。野次を飛ばした新成人たちは後日、森田益子県議に連れられて知事を訪れ、「帰れ」と言ったのは地元の出身者でないのに知事だからと出てきたことへ反感を抱いたためであると説明し、そのうえで、マスコミに報道されるなどの結果を遺憾であるとし、騒いだことを謝罪している。これに対して「わかりました。ただ、私の話を聴いている人たちもいたのです」と言った。
  4. ^ ただし2003年(平成15年)の高知市成人式にはサプライズゲストとして出席している。
  5. ^ 「国体のあり方 見直しを」(東京新聞2020年9月29日付)
  6. ^ 第57回大会の概要‐国民体育大会日本スポーツ協会ホームページ)
  7. ^ 鳩山幹事長と橋本前高知県知事、選挙協力へ(日テレNEWS24
  8. ^ “橋本大二郎氏 テレ朝「ワイド!スクランブル」9月末で降板、秋の改編伴い”. Sponichi Annex. (2018年7月11日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/07/11/kiji/20180710s00041000466000c.html 2018年7月11日閲覧。 
  9. ^ a b 『人事興信録 5版』(大正7年)は八五
  10. ^ 『衆議院会議録情報 第042回国会 本会議 第1号』
  11. ^ 橋本大二郎公式サイト/自分史:自分のこと

外部リンク