水島三一郎
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水島 三一郎(みずしま さんいちろう、1899年(明治32年)3月21日 - 1983年(昭和58年)8月3日[1])は、日本の化学者。東京大学名誉教授。専門は、構造化学・分子構造・分子科学。分子構造論の世界的先駆者。日本学士院会員。
研究
1899年東京・日本橋にて金襖問屋増見屋の子(9代目水島三右衛門良房の長男)として生まれる。日本の構造化学の先駆者。1,2-ジクロロエタンの立体配座を研究し、トランス型とゴーシュ型が存在することを実証した。これは回転異性体というコンセプトを打ち出したもので、国際的にも高く評価された。
研究分野は大変に広く、タンパク質の構造研究など生化学分野にも足跡を残している。生前、1962年と1964年のノーベル化学賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している[2]。墓所は多磨霊園(11-1-24)
家族・門下生
長男・水島恵一は心理学者で文教大学元学長・名誉教授、次男・水島昭二は生化学者で東京大学名誉教授、三男・水島裕は元参議院議員で医師。長女は薬学者の廣部千恵子で、その夫は廣部雅昭。次女・榊原節子の夫は榊原仟の長男。三女は井沢雅子。孫に生物学者の水島昇、元衆議院議員で精神科医の水島広子らがいる。妻は正田貞一郎の二女で、正田英三郎の妹である水島勅子。したがって、上皇后美智子は義理の姪に当たる。
作家の近藤富枝、森まゆみは遠戚[3]。水島恭愛(ハクビ京都きもの学院理事長)は近藤富枝の従兄弟で、やはり遠戚[4]。
弟子には森野米三、島内武彦、渡邊格、長倉三郎、野田春彦、今堀和友ら。
略歴
- 1923年 東京帝国大学理学部化学科卒業
- 1927年 東京帝国大学理学部助教授、のちライプツィヒ大学等に留学
- 1938年 同教授
- 1945年 同幅射線化学研究所所長
- 1959年 退官後、八幡製鐵東京研究所所長
受賞歴
栄典
脚注
- ^ 『水島三一郎』 - コトバンク
- ^ San-ichiro Mizushima - Nomination Database
- ^ 八代目・水島三衛門の次男・水島弁次郎が近藤富枝の祖父である『矢ノ倉は水の匂いにつつまれて 追憶の下町』P.34 https://hiroomikes20120501.blogspot.com/2014/03/2014324.html 森まゆみは近藤の妹の子。
- ^ 水島恭愛『女性が美しくなるとき―あなたが生かす2000年の文化』
参考文献
- 「回想の水島研究室-科学昭和史の一断面-」、馬場宏明、坪井正道、田隅三生編、共立出版、(1990年)ISBN 4-320-00870-7
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