船越優蔵
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名前 | ||||||
愛称 | 国見タワー | |||||
カタカナ | フナコシ ユウゾウ | |||||
ラテン文字 | FUNAKOSHI Yuzo | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1977年6月12日(47歳) | |||||
出身地 | 兵庫県神戸市 | |||||
身長 | 194cm[1] | |||||
体重 | 88kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1990-1992 | 神戸市立高倉中学校 | |||||
1993-1995 | 国見高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1996-1998 | ガンバ大阪 | 3 | (0) | |||
1996-1997 | → テルスター (loan) | 18 | (2) | |||
1999-2000 | 湘南ベルマーレ | 20 | (1) | |||
2001 | 大分トリニータ | 27 | (9) | |||
2002-2006 | アルビレックス新潟 | 71 | (12) | |||
2007-2009 | 東京ヴェルディ | 44 | (9) | |||
2010 | SC相模原 | |||||
通算 | 183 | (33) | ||||
代表歴 | ||||||
1993 | 日本U-17 | 4 | (1) | |||
監督歴 | ||||||
2023- | 日本 U18 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2009年12月8日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
船越 優蔵(ふなこし ゆうぞう、1977年6月12日 - )は、兵庫県神戸市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションは、フォワード(FW) 。S級指導者ライセンス所持)。
来歴
1993年、U-17世界選手権で初のベスト8に入ったU-17日本代表の中心選手。中田英寿・宮本恒靖・松田直樹・戸田和幸などメンバーが揃うチームのエースストライカーであった。1995年サンフレッチェ広島の今西和男総監督は、高木琢也の後継者として船越に目をつけスカウトしようとしていた。その際、船越は海外留学を強く希望していたが、今西には「コミュニケーション能力が備わってない状況で海外留学させる気はない」ポリシーがあったため手を引いた[2]。
選手時代
1996年、ガンバ大阪に加入。同年途中よりオランダ・エールステ・ディヴィジ(2部)のFCテルスターにサッカー留学[3]。給与をG大阪側が負担していたためテルスターが賃金を支払っていないことが規約面で問題となり、シーズン終盤は出場停止になった[3]。G大阪に復帰後、1997年7月5日のJリーグ1stステージ第13節浦和レッズ戦で途中出場によりJリーグ初出場[4]。1998年まで在籍したG大阪ではリーグ戦3試合のみの出場にとどまった。
1999年、ベルマーレ平塚(翌年より湘南ベルマーレ)に移籍。開幕戦から先発起用され[5]、1999年3月27日のJ1リーグ1stステージ第4節ジュビロ磐田戦でJリーグ初ゴールを記録[6]。同年2ndステージは試合出場がなく[7]、同シーズン限りで一旦戦力外となる[3]。2000シーズンより湘南の新監督に就任した加藤久の声掛けで練習生として復帰し、2000年3月に再契約した[8]。
2001年、大分トリニータに移籍。J2リーグ戦27試合に出場してキャリアハイとなる9ゴールをあげる。2002年、アルビレックス新潟に移籍。新潟でもコンスタントに出場機会を得ていたが、10月23日の大分戦でアキレス腱を断裂する[3]。2005年5月28日のナビスコカップ大宮アルディージャ戦で再びアキレス腱を断裂し[3]、さらにリハビリ中に再断裂して復帰が遅れた[3][9]。2006年に復帰したが、同年限りで新潟との契約が満了となる[3]。
2007年、東京ヴェルディに移籍。先発起用されたJ2開幕戦にて開始45秒でゴールを記録したのをはじめ、開幕からの5試合で3ゴールを決める[3]。シーズン途中からはチームの戦術変更により出場機会を失ったが[3]、出場停止のフッキの代役として13試合ぶりの出場となった第51節愛媛FC戦では全2ゴールをあげた[10][3]。この試合に2-1で勝利したことにより東京VはJ1復帰を決定的なものとした[3]。同シーズン限りでの契約満了に伴う退団が発表されたが[11]、新監督の高木琢也の強い希望により[3]2009年1月17日に再契約が発表された[12]。2009シーズン終了後、契約満了に伴い退団[13]。
2010年より、将来のJリーグ参入を目指すS.C.相模原へ完全移籍したが、同年をもって現役を引退[1]。
引退後
2011年より、アルビレックス新潟・U-13監督に就任。
2015年、JFAアカデミー福島男子U-14監督に就任[15][16]。
2023年7月、U-18日本代表監督に就任[17]。
所属クラブ
- ユース経歴
・高倉台サッカークラブ(神戸市)
- 神戸市立高倉中学校
- 長崎県立国見高等学校
- プロ経歴
- 1996年 - 同年7月 ガンバ大阪
- 1996年7月 - 1997年6月 テルスター
- 1997年6月 - 1998年 ガンバ大阪
- 1999年 - 2000年 ベルマーレ平塚 / 湘南ベルマーレ
- 2001年 大分トリニータ
- 2002年 - 2006年 アルビレックス新潟
- 2007年 - 2009年 東京ヴェルディ
- 2010年 S.C.相模原
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1996 | G大阪 | - | J | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | |
オランダ | リーグ戦 | リーグ杯 | KNVBカップ | 期間通算 | |||||||
1996-97 | テルスター | 2部 | 18 | 2 | 1 | 0 | 19 | 2 | |||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1997 | G大阪 | 18 | J | 2 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 5 | 1 |
1998 | 1 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1 | |||
1999 | 平塚 | 9 | J1 | 12 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 14 | 1 |
2000 | 湘南 | 32 | J2 | 8 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 |
2001 | 大分 | 12 | 27 | 9 | 0 | 0 | 3 | 0 | 30 | 9 | |
2002 | 新潟 | 28 | 34 | 7 | - | 0 | 0 | 34 | 7 | ||
2003 | 22 | 4 | - | 3 | 1 | 25 | 5 | ||||
2004 | J1 | 4 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 8 | 0 | ||
2005 | 7 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 9 | 1 | |||
2006 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | |||
2007 | 東京V | 19 | J2 | 26 | 8 | - | 1 | 0 | 27 | 8 | |
2008 | J1 | 7 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 10 | 1 | ||
2009 | J2 | 11 | 0 | - | 1 | 0 | 12 | 0 | |||
2010 | 相模原 | 11 | 神奈川1部 | - | - | ||||||
通算 | 日本 | J1 | 37 | 3 | 10 | 1 | 5 | 1 | 52 | 4 | |
日本 | J2 | 128 | 28 | 1 | 0 | 8 | 1 | 137 | 29 | ||
日本 | 神奈川1部 | - | 0 | 0 | |||||||
オランダ | 2部 | 18 | 2 | 1 | 0 | 19 | 2 | ||||
総通算 |
代表歴
- 1993年 U-17世界選手権
指導歴
- 2011年 - 2012年 アルビレックス新潟U-13 監督
- 2013年 - 2014年 ザスパクサツ群馬 コーチ
- 2015年 - 2020年 JFAアカデミー福島 U-14 監督
- 2020年 U-17サッカー日本代表 監督
- 2021年 - JFAアカデミー福島 チーフコーチ兼監督
- 2021年 - U-19~U-20サッカー日本代表 コーチ
- 2023年 - U-18サッカー日本代表 監督
脚注
- ^ a b c 船越優蔵選手 現役引退のお知らせ - ウェイバックマシン(2011年1月21日アーカイブ分) S.C.相模原 2011.01.17
- ^ GM考察 第1章 広島のドン:今西和男氏のクラブGM論、サッカー批評vol.33、2006年12月、ISBN 4575478938
- ^ a b c d e f g h i j k l 大泉実成 『Hard After Hard かつて絶望を味わったJリーガーたちの物語』 カンゼン、2013年、123-148頁。
- ^ https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=2970
- ^ https://data.j-league.or.jp/SS/jpn/team/1999010001_000012_W0707_J.html
- ^ https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=4543
- ^ https://data.j-league.or.jp/SS/jpn/team/1999010002_000012_W0707_J.html
- ^ 『新加入選手のおしらせ』(プレスリリース)2000年3月8日。オリジナルの2004年8月15日時点におけるアーカイブ 。2019年6月29日閲覧。
- ^ 森雅史 (2018年4月5日). “U-17でエースだったFWは22歳で練習生になっていた……船越優蔵が僕らに伝えたかったこと”. ぐるなび みんなのごはん。. 2019年6月29日閲覧。
- ^ “船越2発!ピンチにベテラン大暴れ”. スポニチ. (2007年11月26日). オリジナルの2008年2月4日時点におけるアーカイブ。 2019年6月29日閲覧。
- ^ 『契約満了選手のお知らせ(08.12.01)』(プレスリリース)東京ヴェルディ、2008年12月1日 。2019年6月29日閲覧。
- ^ 『船越優蔵選手 契約のお知らせ(09.01.17)』(プレスリリース)東京ヴェルディ、2009年1月17日 。2019年6月29日閲覧。
- ^ 『契約満了選手のお知らせ(09.11.19)』(プレスリリース)東京ヴェルディ、2009年11月29日 。2019年6月29日閲覧。
- ^ https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00147880
- ^ 船越優蔵氏 JFAアカデミー福島男子コーチ就任のお知らせ ザスパクサツ群馬 2015.01.27
- ^ “船越優蔵氏がJFAアカデミー福島男子コーチに就任”. ゲキサカ. (2015年1月27日) 2019年6月29日閲覧。
- ^ “U-18日本代表監督に船越優蔵氏が就任”. 日本サッカー協会. 2023年7月17日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 船越優蔵 - Soccerway.com
- 船越優蔵 - FootballDatabase.eu
- 船越優蔵 - WorldFootball.net
- 船越優蔵 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 船越優蔵 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 船越優蔵 - FIFA主催大会成績
- 船越優蔵 - J.League Data Siteによる選手データ
- ナショナルコーチングスタッフ|日本代表|JFA |日本サッカー協会
- Yuzo Funakoshi's Official Blog 『START』