エメ・モロー
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エメ・モロー Aimé Morot | |
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生誕 |
1850年6月16日 フランス,ナンシー |
死没 |
1913年8月12日 フランス,ディナール |
エメ・モロー(Aimé Nicolas Morot、1850年6月16日[1] - 1913年8月12日)はフランスの画家、彫刻家である。
略歴
フランス北部、ムルト=エ=モゼル県のナンシーで生まれた。12歳からナンシーの美術学校(l'Ecole Municipal de Dessin et de Peinture de Nancy)で学び[2][3]、10代の後半になってパリに出て、エコール・デ・ボザールのアレクサンドル・カバネルの教室で学んだが[1][4]、この学校にはなじめず、カバネルに絵を直されたりした後、退学した。その後2年間は独学で、パリ植物園で植物や、動物を写生して修行した[2] 。
1870年に普仏戦争が始まると、陸軍に召集され戦闘を目撃し、後年騎兵隊の突撃などの場面を描いた作品を残した[5]。
1873年にローマ賞に応募し、エコール・デ・ボザールを卒業していないにもかかわらず、大賞を受賞し、ローマ留学の資格を得た。ローマでも在ローマ・フランス・アカデミー(ヴィラ・メディチ)には、ほとんど滞在することなく[2]、独自に作品を描き、パリの展覧会に出展し、何度か入選した。
1880年にパリに戻り、画家ジャン=レオン・ジェロームの娘と結婚した。1880年代後半からパリの私立学校、アカデミー・ジュリアンで教え始め、1898年に弟子たちの個性を尊重した指導で、マティスとルオーを指導したギュスターヴ・モローが死去した後、モローのスタジオを継承した。1900年のパリ万国博覧会の展覧会に出展した作品で大賞を受賞し、その年、エコール・デ・ボザールの教授に任じられた[1]。
作品
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『善きサマリア人』(1880)
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『ナザレのイエスの殉教』 (1883)
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『和傘とヌード』
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(彫刻)ジェロームの像
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1870年のウェルトの会戦 (1887)
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『モロッコの思い出』(1911)
参考文献
- ^ a b c E. Benezit, 1976. Dictionnaire critique et documentaire des peintres, sculpteurs, dessinateurs et graveurs. Volume 7, p. 553. Librairie Gründ. Paris, France. ISBN 9782700001495.
- ^ a b c Aimé Nicolas Morot and Charles Moreau-Vauthier, 1906. L'oeuvre de Aimé Morot: membre de l'Académie des Beaux-Arts. Librairie Hachette et Cie., Paris. 7 p., 60 gravures, in folio.
- ^ M. S. (1907). L'oeuvre de Aimé Morot (Ch. Moreau-Vauthier). Gazette des Beaux-Arts. 49e Année, 595e Livraison, 3e Periode. Tome XXXVII, p. 87-88. January issue, Paris.
- ^ Dupont Vicars (Ed.), 1901. Master Painting's of the World. The White City Art Co. (Publ.), Chicago, Ill. 192 p.
- ^ E. Cameron (1901). Evolution of a Picture: A Chapter on Studies. Brush and Pencil 8(3):121-133.