クリス・ブリストウ
クリス・ブリストウ | |
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基本情報 | |
国籍 | イギリス |
出身地 | イングランド・ロンドンランベス |
生年月日 | 1937年12月2日 |
没年月日 | 1960年6月19日(22歳没) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 1959-1960 |
所属チーム | '59,'60 クーパー |
出走回数 | 4 |
通算獲得ポイント | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
最終戦 | 1960年ベルギーGP |
クリス・ブリストウ(Chris Bristow、1937年12月2日 - 1960年6月19日)は、イギリス出身のF1ドライバー。「クリス・ブライストウ」と表記されることもある。
略歴
[編集]1959年、ブリストウはBRP(この年はクーパー使用のプライベーター)から地元イギリスGPでF1デビュー。このレースはF2仕様のマシンでの出走だったが、決勝10位を記録。これは混走したF2マシン勢の中でも最上位の順位だった。
翌年も引き続きBRP(この年は「ヨーマン・クレジット・レーシング」として参戦、前年に引き続きクーパー使用のプライベーター)からF1に参戦。完走こそ無かったものの、第2戦モナコGPでは予選4位を記録するなど好調を見せていた。
事故死
[編集]しかしブリストウは、のちに「暗黒の週末」と呼ばれることとなる第5戦ベルギーGP(スパ・フランコルシャン)で命を落としてしまう。
前日の予選中、スターリング・モスやマイク・テイラーが重傷を負う事故を起こすという波乱の展開で迎えた決勝レース。「スパウェザー」と称される雨のなか、予選9位から順位を上げフェラーリのウィリー・メレスとバトルをしていたブリストウだったが、20周目にメレスに対してオーバーテイクを仕掛けた際にコースアウトしてしまい、そのままアームコ・バリア(二重構造のガードレール)に激突。さらにそのバリアを突き破って土手に衝突しマシンは大破した。ブリストウは、突き破った際に鋭利な凶器と化したアームコ・バリアによって下顎から上を切断され即死した。22歳没。ちなみにブリストウの事故は、前日の予選でモスが事故を起こした現場から数メートルと離れていない地点でのことだった。
さらにブリストウの事故から5周後にも、ロータスのアラン・ステイシーが顔面に鳥が直撃し死亡する事故が発生し、このグランプリはF1世界選手権開設後初となる「1グランプリで、出場ドライバーの中から2名以上の事故死者が出たレース」となってしまった(F1におけるこの例は、このレースと1994年サンマリノGPの2例だけである)。
F1での年度別成績
[編集]年 | 所属チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | WDC | ポイント |
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1959年 | クーパー/BRP | T51 F2 | MON | 500 | NED | FRA | GBR 10 |
GER | POR | ITA | USA | NC (36位) |
0 | |
1960年 | クーパー/ヨーマン・クレジット | T51 | ARG | MON Ret |
500 | NED Ret |
BEL Ret |
FRA | GBR | POR | ITA | USA | NC (59位) |
0 |