コンテンツにスキップ

トレヴァー・ラビン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トレヴァー・ラビン
Trevor Rabin
アンダーソン、ラビン&ウェイクマン - ドイツ・マンハイム公演(2018年6月)
基本情報
出生名 Trevor Charles Rabin
生誕 (1954-01-13) 1954年1月13日(70歳)
出身地 南アフリカの旗 南アフリカ連邦
ハウテン州ヨハネスブルグ
ジャンル ハードロック
ポップ・ロック
プログレッシブ・ロック
ジャズ・ロック
フュージョン
映画音楽
職業 ミュージシャンシンガーソングライターギタリスト音楽プロデューサー
担当楽器 ボーカルギターキーボードベース
活動期間 1972年 - 現在
レーベル RPM
クリサリス・レコード
エレクトラ・レコード
Voiceprint Records
ヴァレーズ・サラバンド・レコーズ
共同作業者 ラビット
イエス
イエス feat. ジョン・アンダーソン、トレヴァー・ラビン、リック・ウェイクマン
公式サイト TrevorRabin.net

トレヴァー・ラビン英語: Trevor Rabin1954年1月13日 - )は、南アフリカ共和国出身のロックミュージシャンシンガーソングライターギタリスト

主な実績はソロ活動であるが、プログレッシブ・ロックバンドイエス」のメンバーとしての活動も知られる。マルチプレイヤーの才能も開花し、映画音楽プロデューサーなども務める。

経歴

[編集]

南アフリカ時代 - ソロ活動(1972年 - 1982年)

[編集]

ヨハネスブルグで、シンフォニー第一ヴァイオリン奏者の父親、ピアノ教師の母親の間のユダヤ系リトアニア人移民の家庭に生まれる。両親が音楽家という環境の中で、自然に音楽に親しみ、5歳でピアノ、12歳でギターを始めた。

1972年、母国でアイドル性の強いハードロックバンドラビット」(Rabbitt)に在籍して活動を始める。2枚のアルバムを発表した後に解散。ラビンはイギリスに渡り、ソロ活動で認知度を広めていく。

1982年エイジアのプロジェクトをきっかけ[注釈 1]で、バグルズプログレッシブ・ロック・バンド「イエス」の元メンバーだったトレヴァー・ホーンハンス・ジマーの知己を得る。

イエス時代(1983年 - 1994年)

[編集]
イエス時代(1994年)

1983年、ホーンらの縁で、活動停止していたイエスのクリス・スクワイア(ベース)から新しいバンド「シネマ」(Cinema)の結成に誘われて参加。彼等が作り始めたデビュー・アルバムに元イエスのジョン・アンダーソン(ボーカル)が客演したことがイエスの再始動に発展。11thアルバム『ロンリー・ハート』(1983年)を発表し、全米で大ヒットを記録する。

12thアルバム『ビッグ・ジェネレイター』(1987年)発表後、アンダーソンがイエスを脱退して旧メンバーと「アンダーソン・ブルーフォード・ウェイクマン・ハウ」を結成。紆余曲折を経て1990年に両バンドが再統合し、13thアルバム『結晶』(1992年)を発表。ラビンは14thアルバム『トーク』が発表された1994年までイエスに在籍した。

ソロ活動復帰(1995年 - 2015年)

[編集]

ハンス・ジマー率いるメディア・ベンチャーズに参加し、映画音楽の道に転身、『アルマゲドン』や『ディープ・ブルー』、『タイタンズを忘れない』、『ナショナル・トレジャー』、『スネーク・フライト』、『リベンジ・マッチ』、『ロック・スター』など、数々の作品を手がけている。

2004年11月にウェンブリーで行われたトレヴァー・ホーンの25周年記念コンサート「Produced By Trevor Horn: A Concert For Prince Trust」にイエスの元メンバーとして現役メンバーで旧知のスクワイア、スティーヴ・ハウアラン・ホワイトと出演。イエス関連の活動はほぼ10年ぶりで、「ロンリー・ハート」ではギターと共にボーカルを披露して健在振りをアピールした。

2012年、23年ぶりとなるソロ・アルバム『Jacaranda』をリリース[1]

アンダーソン、ラビン&ウェイクマン(ARW)時代 - 以降(2016年 - )

[編集]

2016年、元イエスのメンバーであるジョン・アンダーソン、リック・ウェイクマンと「アンダーソン、ラビン&ウェイクマン」(※以下 ARW 表記)を結成し、イエスの曲を演奏するライブ活動を開始。

2017年、イエス名義で「ロックの殿堂」入り[2]。以降、ARWは正式名称を「イエス feat. ジョン・アンダーソン、トレヴァー・ラビン、リック・ウェイクマン」へと変更した。同年、ARWの来日公演を開催[3]

2018年、イエスの結成50周年に連動して、ARWのワールド・ツアーを開始[4]

2020年、ARWの解散を発表[5]

評価

[編集]

ギタリストとして極めて優秀で、変拍子をものともせず、卓越したテクニックで弾きこなす華麗なソロが特徴的である。また、マルチプレーヤーであり、サンプリングなどの当時の最新機器に関しても明るい。ボーカリストとしての声量、音程、個性とも申し分ないものを持っており、イエスのアルバムでも数多くリード・ボーカルを取っている[注釈 2]

作曲家としても数多くの曲を書いている。アメリカや日本でも大ヒットしたイエスの『ロンリー・ハート』は、実質的にはラビンの作品である[独自研究?][注釈 3]

使用機材

[編集]

ギターは改造を施した60年代のフェンダー・ストラトキャスター。イエス時代にはウェストーンとの共同開発でパンテラというモデルのシグネイチャーモデルを使用していたことがある。 エフェクトはコルグのA-1。A-1についてはメインで使用していたアンプの電気的な特性をオシロスコープで解析し、その波形をA-1にプログラムするなどしていた[注釈 4]

アップル・コンピューターのマッキントッシュ(Macintosh)を愛用し、イエスのアルバム『トーク』では彼の所有する4台のマッキントッシュを使い、当時としてはまだ珍しいハードディスク・レコーディングが行われた。

エピソード

[編集]

イエスのアルバム『ロンリー・ハート』が大ヒットしてワールド・ツアーが計画されていた1984年、彼が泳いでいたプールに大柄な人物が飛び込んできて彼と激突したので大怪我を負った[注釈 5]。この為にツアーが大幅に延期されて、イエスはヒット曲を持参したツアーを逸してしまった。

同時期に日本公演も計画されていたが、アパルトヘイト問題で外務省が南アフリカ共和国の国籍を持つ彼の入国を拒否したため、実現しなかった[注釈 6]

ディスコグラフィ

[編集]

アルバム

[編集]
ラビット
  • 『青春の悪戯』 - Boys Will Be Boys (1975年)
  • 『裸の青春』 - A Croak and A Grunt in the Night (1977年)
  • Morning Light (1977年) ※マキシ・シングル
  • 1972–1978: Limited Souvenir Edition (1978年) ※EP
イエス
イエス feat. ジョン・アンダーソン、トレヴァー・ラビン、リック・ウェイクマン
ソロ・アルバム
  • 『ビギニングス』 - Beginnings (1977年) ※1978年に『誘惑の貴公子』 - Trevor Rabinとして再発
  • 『フェイス・トゥ・フェイス』 - Face to Face (1979年)
  • 『ウルフ』 - Wolf (1981年)
  • 『キャント・ルック・アウェイ』 - Can't Look Away (1989年)
  • Live in LA (2003年) ※ライブ・アルバム
  • 『90124』 - 90124 (2003年) ※コンピレーション・アルバム
  • Jacaranda (2012年)
  • 『リオ』 - Rio (2023年)

映画音楽

[編集]
邦題
原題
監督 スタジオ 備考
1976 Death of a Snowman Christopher Rowley Martin Wragge Production
1995 フェア・ゲーム
Fair Game
アンドリュー・サイプス ワーナー・ブラザース 追加の音楽のみ
1996 グリマーマン
The Glimmer Man
ジョン・グレイ
1997 コン・エアー
Con Air
サイモン・ウェスト タッチストーン・ピクチャーズ マーク・マンシーナと共同で担当
1998 ワイルド・スモーカーズ
Homegrown
スティーヴン・ギレンホール トライスター ピクチャーズ
アルマゲドン
Armageddon
マイケル・ベイ タッチストーン・ピクチャーズ ハリー・グレッグソン=ウィリアムズと共同で担当
エネミー・オブ・アメリカ
Enemy of the State
トニー・スコット ハリー・グレッグソン=ウィリアムズと共同で担当
ジャック・フロスト
Jack Frost
トロイ・ミラー ワーナー・ブラザース
1999 ディープ・ブルー
Deep Blue Sea
レニー・ハーリン
2000 Whispers: An Elephant's Tale デレック・ジュベール ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ
60セカンズ
Gone in 60 Seconds
ドミニク・セナ タッチストーン・ピクチャーズ
タイタンズを忘れない
Remember the Titans
ボアズ・イェーキン ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ
シックス・デイ
The 6th Day
ロジャー・スポティスウッド コロンビア ピクチャーズ
2001 アメリカン・アウトロー
American Outlaws
レス・メイフィールド ワーナー・ブラザース
ロック・スター
Rock Star
スティーヴン・ヘレク
ザ・ワン
The One
ジェームス・ウォン コロンビア ピクチャーズ
テキサス・レンジャーズ
Texas Rangers
スティーヴ・マイナー ミラマックス
ディメンション・フィルムズ
2002 9デイズ
Bad Company
ジョエル・シュマッカー タッチストーン・ピクチャーズ
バンガー・シスターズ
The Banger Sisters
ボブ・ドルマン フォックス・サーチライト・ピクチャーズ
2003 カンガルー・ジャック
Kangaroo Jack
デヴィッド・マクナリー ワーナー・ブラザース
バッドボーイズ2バッド
Bad Boys II
マイケル・ベイ コロンビア ピクチャーズ ドクター・ドレー、ポール・リンフォード、スティーブ・ジャブロンスキー参加
2004 トルク
Torque
ジョセフ・カーン ワーナー・ブラザース
エクソシスト ビギニング
Exorcist: The Beginning
レニー・ハーリン
ナショナル・トレジャー
National Treasure
ジョン・タートルトーブ ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ
2005 コーチ・カーター
Coach Carter
トーマス・カーター パラマウント・ピクチャーズ
Dominion: Prequel to the Exorcist ポール・シュレイダー ワーナー・ブラザース
グレート・レイド 史上最大の作戦
The Great Raid
ジョン・ダール ミラマックス
2006 グローリー・ロード
Glory Road
ジェームズ・ガートナー ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ
スネーク・フライト
Snakes on a Plane
デヴィッド・エリス ニュー・ライン・シネマ
ギャングスターズ 明日へのタッチダウン
Gridiron Gang
フィル・ジョアノー コロンビア ピクチャーズ
フライボーイズ
Flyboys
トニー・ビル メトロ・ゴールドウィン・メイヤー
守護神
The Guardian
アンドリュー・デイヴィス タッチストーン・ピクチャーズ
2007 ホット・ロッド/めざせ!不死身のスタントマン
Hot Rod
アキヴァ・シェイファー パラマウント・ピクチャーズ
ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の日記
National Treasure: Book of Secrets
ジョン・タートルトーブ ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ
2008 ゲット スマート
Get Smart
ピーター・シーガル ワーナー・ブラザース
2009 12 ラウンド
12 Rounds
レニー・ハーリン 20世紀フォックス
ウィッチマウンテン/地図から消された山
Race to Witch Mountain
アンディ・フィックマン ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ
スパイアニマル・Gフォース
G-Force
ホイト・イェットマン
2010 魔法使いの弟子
The Sorcerer's Apprentice
ジョン・タートルトーブ
2011 アイ・アム・ナンバー4
I Am Number Four
D・J・カルーソー
5デイズ
5 Days of War
レニー・ハーリン Anchor Bay Films
The Movement: One Man Joins an Uprising Greg Hamilton, Kurt Miller Adaptive Adventures
2013 リベンジ・マッチ
Grudge Match
ピーター・シーガル ワーナー・ブラザース
2015 マックス
Max
ボアズ・イェーキン

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 詳細は不明。
  2. ^ イエスイヤーズ』に収録されたインタヴューによると、アリスタ・レコードから「その声ならTop 40を狙う歌手に転進するべきだ」と勧められたことがある。
  3. ^ 1980年代のイエスが成し遂げた成功に大きく貢献した。
  4. ^ アンプの特性をエフェクトに書きこむことで、当時のレコーディングではアンプを用いないレコーディングなどに用いていたらしい。
  5. ^ 彼は脾臓を摘出する手術を受けている。
  6. ^ 1988年に実現した。

出典

[編集]

外部リンク

[編集]