コンテンツにスキップ

ヴァレリ・ボジノフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2022年5月30日 (月) 05:38; Gafgarion (会話 | 投稿記録) による版(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
ヴァレリ・ボジノフ
親善試合・ウクライナ戦(2011年)
名前
本名 ヴァレリ・エミロフ・ボジノフ
Valeri Emilov Bozhinov
愛称 ブージエ
ラテン文字 Valeri Bozhinov
ブルガリア語 Валери Емилов Божинов
基本情報
国籍  ブルガリア
イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1986-02-15) 1986年2月15日(38歳)
出身地 ゴルナ・オリャホヴィツァ
身長 180cm
体重 80kg
選手情報
在籍チーム ブルガリアの旗 PFKセプテムヴリ・ソフィア
ポジション FW (CF)
背番号 9
利き足 左足
ユース
1998-2000 マルタの旗 ピエタ英語版
2000-2002 イタリアの旗 レッチェ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002-2005 イタリアの旗 レッチェ 65 (16)
2005-2007 イタリアの旗 フィオレンティーナ 36 (8)
2006-2007 イタリアの旗 ユヴェントス (loan) 18 (5)
2007-2010 イングランドの旗 マンチェスター・シティ 11 (1)
2009-2010 イタリアの旗 パルマ (loan) 30 (8)
2010-2011 イタリアの旗 パルマ 31 (3)
2011-2013 ポルトガルの旗 スポルティングCP 8 (2)
2012 イタリアの旗 レッチェ (loan) 10 (1)
2012 イタリアの旗 エラス・ヴェローナFC (loan) 13 (1)
2013 イタリアの旗 ヴィチェンツァ (loan) 18 (4)
2014 ブルガリアの旗 レフスキ・ソフィア 19 (7)
2014-2015 イタリアの旗 テルナーナ 27 (6)
2015-2017 セルビアの旗 パルチザン 51 (23)
2017 中華人民共和国の旗 梅州五華英語版 10 (5)
2017 スイスの旗 ローザンヌ 7 (1)
2018 クロアチアの旗 リエカ 1 (1)
2018 ブルガリアの旗 ボテフ・ヴラツァ 11 (7)
2019 ブルガリアの旗 レフスキ・ソフィア 11 (4)
2019 ブルガリアの旗 ボテフ・ヴラツァ 9 (0)
2020 イタリアの旗 ペスカーラ 3 (0)
2020-2021 ブルガリアの旗 レフスキ・ソフィア 12 (1)
2022- ブルガリアの旗 セプテムヴリ・ソフィア 12 (1)
代表歴2
2004-2015 ブルガリアの旗 ブルガリア 43 (6)
1. 国内リーグ戦に限る。2022年5月13日現在。
2. 2016年6月3日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ヴァレリ・エミロフ・ボジノフブルガリア語: Валери Емилов Божинов, ラテン文字転写: Valeri Emilov Bozhinov又はBojinov, 1986年2月15日 - )は、ブルガリアヴェリコ・タルノヴォ州ゴルナ・オリャホヴィツァ出身のサッカー選手。ポジションはフォワードPFKセプテムヴリ・ソフィア所属。

ボイノフとも表記される(後述)。

経歴

[編集]

キャリア初期

[編集]

ブルガリアゴルナ・オリャホヴィツァに生まれたボジノフは、元バスケットボールブルガリア代表の母ペパ (Pepa) と1990年代にブルガリア代表としてプレーしたディフェンダーの義父サショ・アンゲロフ英語版と共に12歳の時にマルタへと移住した[1]

当時USレッチェのスポーツディレクターを務めていたパンタレオ・コルヴィーノに13歳の時に見出され、ピエタ・ホットスパーズFCから3000万リラ(約1万5000ユーロ)でレッチェの下部組織に入団した[1]

レッチェ

[編集]

レッチェに移住したボジノフは、2002年1月22日に15歳11か月でセリエAの外国人選手の最年少出場記録を更新するプロデビューを飾る[2]と、2004年1月11日のボローニャFC戦 (1-2) で待望の初得点にしてセリエAの外国人選手として最年少得点記録をも更新した[3]。以降は定位置を確保していき、翌2004-05シーズンズデネク・ゼーマン監督が就任すると、ボジノフは彼の標榜する攻撃サッカーにフィットし前半戦だけで11得点を挙げる活躍を見せ、2004年12月2日に契約を2009年までの1年延長した[4]

フィオレンティーナ

[編集]

2005年1月の移籍市場で移籍金1300万ユーロ+ハイメ・バルデスACFフィオレンティーナと契約[5]。だが、レッチェ時代の活躍は鳴りを潜め、ファブリツィオ・ミッコリの相方を同時期に加入したジャンパオロ・パッツィーニと争うこととなり、翌2005-06シーズンになるとミッコリは退団したものの、今度は新加入のルカ・トーニの相方を再度パッツィーニと争っていた。

ユヴェントス

[編集]

2006年7月10日にアドリアン・ムトゥと交換で2部ユヴェントスFCへ1年間のレンタル移籍で加入した[6]。リーグ優勝を果たしたものの、18試合で5得点を力をフルに示すことが出来ず、シーズン終了後には再びフィオレンティーナへ戻った。

マンチェスター・シティ

[編集]

2007年8月3日に移籍金非公開でマンチェスター・シティFCと4年契約を締結[7]。移籍後程なくの8月にマンチェスター・ユナイテッドFCとのマンチェスター・ダービーで膝の十字靱帯を断裂したため5ヶ月の離脱となった[8]。2008年1月22日に全体練習に復帰し、2月11日のリザーブ試合で途中出場するとエミール・ムペンザのクロスから頭で得点を挙げた。2月25日にエヴァートンFC戦でスヴェン・ゴラン・エリクソン監督はボジノフ起用を試みたが叶わず、最終的に2007-08シーズン残りをリザーブで過ごし、数試合の出場にとどまった。

心機一転で臨んだ2008-09シーズンは、シーズン前の親善試合であるストックポート・カウンティFC戦や8月9日のACミラン戦で得点を挙げ好調さを見せていたが、8月17日のアストン・ヴィラ戦前のウォーミングアップ中にアキレス腱断裂の重傷になったことで半年の離脱が決定した[9]。2009年2月中旬になると、マーク・ヒューズ監督はボジノフが復帰間近と伝え、2月17日にリザーブのマンチェスター・ユナイテッド戦で65分出場し、ペナルティーキックを決めた。

3月1日のウェストハム・ユナイテッドFC戦で89分に待望の復帰を果たし[10]、アストン・ヴィラ戦でエラーノに代わり83分から再び途中出場した。3月22日のサンダーランドAFC戦では先発出場し、負傷から復帰したクレイグ・ベラミーと65分に交代。5月16日のトッテナム・ホットスパーFC戦(アウェイ1-2)で61分に同胞のマルティン・ペトロフに代わり途中出場すると、その4分後にマンチェスター・シティ移籍後初得点を挙げた[11]。マンチェスター・シティ加入時に欧州サッカーレポーターのデイヴ・ファラーラは素晴らしい才能を持ち、ゲオルギ・キンクラーゼのようなスタイルでファンから人気を集めるだろうと評していた[12]ものの、2度の大怪我から出場機会は限られ、得点もトッテナム戦の1得点のみに終わった。

パルマ

[編集]

2009年7月29日にパルマFCへ1年間のレンタル移籍[13]で2年ぶりにセリエAの舞台へ復帰すると、9月23日のSSラツィオ戦(アウェイ2-1)で初得点を挙げ、さらにペナルティーキックを獲得して勝利に貢献。最終的にチーム最多得点となる8得点を挙げ、チームの8位躍進を牽引する活躍が認められて2010年7月4日にパルマへ完全移籍することに合意した[14]。翌2010-11シーズンは更なる飛躍が期待されたものの、前半戦にエルナン・クレスポ、後半戦にアマウリがチームの得点源として活躍したことで控えに甘んじ、途中出場での役割が主となり3得点にとどまった。

スポルティング

[編集]

2011年7月7日に保有権80%が買い取られ、移籍金260万ユーロ+インセンティブ350万ユーロでスポルティングCPと契約[15]。また、この取引の一環としてチリ代表ハイメ・バルデスが再度交換要員として使われ、パルマにレンタル移籍した[16]。8月25日にUEFAヨーロッパリーグ 2011-12予選プレイオフのFCノアシェラン戦で公式戦初出場、10月24日のジル・ヴィセンテFC戦 (6-1) でスーペル・リーガ初得点を記録した[17]

2012年1月20日にスポルティングCPは、前日に行われたタッサ・ダ・リーガモレイレンセFC戦でのボジノフの行動に対し、同選手を好ましからざる人物としてチームのトレーニングアカデミーやスタジアムへの入場を禁止した。1-1の引き分けの最中の試合終了間際にジェフレン・スアレスがペナルティーエリア内で倒されペナルティーキックを獲得した。普段はPKキッカーとしてマティアス・フェルナンデスが指名されていたものの、この時にボジノフは彼を押しのけボールを奪う行動に出たことでチーム内でのルールを無視したとして罰則を与えられることとなった[18]。なお、同試合で得たPKは相手GKに止められ、チームは1-1で引き分けに終わった[19]。以降の出場機会は訪れず、古巣レッチェからのオファーもあり、2月4日に同クラブへ貸し出された[20]。スポルティングCP時代はリッキー・ファン・ウォルフスウィンケルアンドレ・カリージョとの定位置争いに苦しみ、ドミンゴス・パシエンシア監督の下で主に交代要員として起用されていた[21]

期限付き移籍

[編集]

古巣レッチェで嘗ての輝きを取り戻せなかったボジノフは、2012年8月31日に1年間の期限付き移籍でイタリア・セリエBエラス・ヴェローナFCと契約[22]し、9月29日のASバーリ戦で初得点を記録した。

2013年1月24日に半年の期限付き移籍で同リーグのヴィチェンツァ・カルチョが決定[23]し、出場2試合目となった2月2日のSSユーヴェ・スタビア戦で初得点、USグロッセートFC戦(アウェイ2-1)で2得点目を記録した。

2012-13シーズン終了に伴いスポルティングCPに復帰したするも、チームの居場所は既になく、2013年9月7日に放出された[24]

レフスキ・ソフィア

[編集]

2014年2月、レフスキ・ソフィアに加入し、自身初の母国でのプレーとなった。

テルナーナ

[編集]

2014年9月テルナーナ・カルチョに移籍。再びイタリアに復帰した。同クラブには1シーズン所属。27試合に出場し6得点を記録した。

パルチザン

[編集]

2015年6月14日セルビア・スーペルリーガに属するパルチザン・ベオグラードに移籍した。1シーズン目ではリーグ戦31試合に出場し18得点8アシストを記録した。 

梅州五華

[編集]

2017年2月22日梅州五華足球倶楽部に移籍した。

ローザンヌ

[編集]

2017-18シーズンよりスイス・スーパーリーグFCローザンヌ=スポールへ加入したが、2017年10月4日にクラブとの契約を解除しフリーとなった[25]

リエカ

[編集]

2018年2月7日、プルヴァHNLHNKリエカと2年間の延長オプション付きでシーズン終了までの契約を締結した[26]

ブルガリア

[編集]

2018年、POFKボテフ・ヴラツァに移籍。レフスキ・ソフィアへの復帰を経て、再びPOFKボテフ・ヴラツァに移籍。

デルフィーノ・ペスカーラ

[編集]

2020年2月、デルフィーノ・ペスカーラ1936に移籍[27]

レフスキ・ソフィア(3度目)

[編集]

2020年9月、再びレフスキ・ソフィアに移籍[28]

代表歴

[編集]

ブルガリア代表未経験ながらもUEFA EURO 2004の最年少選手(18歳4か月)して一員に名を連ね[3]、グループリーグ最終節のイタリア戦で46分にゾラン・ヤンコヴィッチに代わり初出場を飾った。なお、この出場によりUEFA欧州選手権での最年少出場記録でベルギー代表エンツォ・シーフォに次いで2番目の若さとなっている[29]。同年8月にアイルランドとの親善試合で初得点を記録した[30]

人物

[編集]

2007年に歌手アリシアと結婚し[31]、同年9月12日に息子を授かる[32]。2011年からはニコライ・ミハイロフの元彼女[33]プレイメイトニコレタ・ロザノヴァと結婚し[34]、2012年に娘を授かっている[35]

姓の表記について

[編集]

日本ではしばしばボイノフとも表記されるが、これは複数回の翻字によって生じたものと思われる。ブルガリア語におけるキリル文字"ж"は有声後部歯茎摩擦音を表し、zhかjに翻字するのが適当とされている(こちらを参照のこと)。これにしたがってラテン文字Bojinovと表記されたものを日本のメディアが"j"を硬口蓋接近音と誤解したことから生じたものであると推測され、音声的には甚だしく「ж」から乖離している。

関連人物

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b "Bozhinov fulfilling his destiny"
  2. ^ "Bojinov bound to Lecce"
  3. ^ a b "ボジノフが抱く10代の夢"
  4. ^ "ボジノフ、契約を1年間延長"
  5. ^ "ボジノフ、フィオレンティーナに"
  6. ^ "ムトゥとボイノフが交換移籍"
  7. ^ "Bozhinov adds to growing City ranks"
  8. ^ "Man City rocked by Bojinov injury"
  9. ^ "Bojinov faces six-month lay-off"
  10. ^ "West Ham United v City 01-03-2009" mcfc.co.uk
  11. ^ "Tottenham 2-1 Man City" bbc sport
  12. ^ "Bojinov seals switch to Man City"
  13. ^ "Man City's Bojinov to join Parma"
  14. ^ "ボイノフがパルマに完全移籍"
  15. ^ "スポルティングにボジノフが加入"
  16. ^ "スポルティングがボイノフを新たに獲得"
  17. ^ "Sporting soma nona vitória consecutiva com goleada de 6x1"
  18. ^ "Sporting CP to take disciplinary action against Valeri Bojinov"
  19. ^ "The Push & The Penalty FAIL: Bojinov & Fernandez (Sporting Lisbon) vs Moreirense"
  20. ^ "レッチェ復帰のボジノフ 「愛情で選んだ」"
  21. ^ "Bojinov to pay penalty for shoving team-mate"
  22. ^ "Ufficiali: ecco Daniele Cacia e Valeri Bojinov"
  23. ^ "Bojinov: «Vicenza, qui voglio lasciare il segno»"
  24. ^ "Sporting release Bojinov"
  25. ^ Valeri Bojinov quitte déjà Lausanne Sport”. L'Équipe (2017年10月4日). 2018年6月30日閲覧。
  26. ^ Valeri Bojinov novi igrač HNK Rijeka: ‘Ostavit ću srce na terenu’”. HNK Rijeka (2018年2月7日). 2018年6月30日閲覧。
  27. ^ Bojinov Pescara, ufficiale: firmato il contratto con i biancazzurri” (イタリア語). calcionews24.com (13 February 2020). 2022年5月30日閲覧。
  28. ^ Bojinov leaves Pescara”. Football Italia (15 September 2020). 2022年5月30日閲覧。
  29. ^ "Italy 2-1 Bulgaria" bbc sport
  30. ^ "Player to Watch: Bulgarian Bojinov soaring in Serie A"
  31. ^ "Валери и Алисия направиха бебе в Париж"
  32. ^ "Валери Божинов стана татко на момче"
  33. ^ "Liverpool's Nikolay Mihailov has run-in with mafia godfather over ex-girlfriend jibe"
  34. ^ "Валери и Николета вече са семейство"
  35. ^ "Николета Лозанова роди момиченце"

外部リンク

[編集]