コンテンツにスキップ

三浦昂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。SF-R (会話 | 投稿記録) による 2022年8月1日 (月) 13:36個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (略歴)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

三浦がドライバーとして初の市販車部門優勝を果たした時のランドクルーザー337号車(2018年)

三浦 昂(みうら あきら、1983年1月26日 - )は、日本のラリードライバー、ナビゲーター愛知県出身。既婚。

略歴

幼少期はF1ドライバーに憧れた。大学は南山大学法学部法学科に進学。部活は自動車部に所属し、ジムカーナなどの自動車競技を経験。ここでスポーツ走行の楽しさを知る。司法書士も目指して勉励したものの、試験は失敗に終わっている[1]

卒業後『チームランドクルーザー』の活動に憧れ、2005年にトヨタ車体に入社。2006年の公募に応じ、フランス語を必死に勉強して選考を通過。2007年に三橋淳のナビゲーターとしてダカール・ラリーにデビューすると、そのままあっさり市販車部門優勝を収め、最も若くして好成績を収めたナビに送られるアンリ・マーニュ賞も受賞した。しかしこれに三浦は内心不完全燃焼を覚えていたと回顧している。2008年の開催中止を経て、南米に舞台を移した2009年はニコラ・ジボンのナビとなり、ここでも部門優勝を収める。2010年にも同ペアで参戦(リタイア)。出場は3度までという社内規則に従い、三浦のダカール活動はここで一旦幕を下ろした。

しかしダカールへの情熱は尽きることなく上層部に直訴した結果、2013年に再びナビゲーターとして復帰することができた。三浦は広報としての業務を担当しながら、ジボンとのペアでダカール活動をこなした。2015年の途中に自ら志願してドライバーへと転身。2016年にローラン・リシトロイシターをナビとしてドライバーデビューを果たした[2]

2018年にはチームメイトのクリスチャン・ラビエル/ジャン・ピエール・ギャルサン組が途中で脱落したこともあり、2年目にしてドライバーとして市販車部門初優勝を飾った[3]

2021年にはラビエルがグループT1へ活動を移したため、チームメイトがロナルド・バソ/ジャン・ミッシェル・ポラト組へ交代。この年2度目の市販車部門優勝を記録。200系ランドクルーザー最後の年となった2022年も優勝し、チームの連勝記録を9に伸ばした。

ラリーレイド以外では、訓練の一環としてTOYOTA GAZOO Racingラリーチャレンジや全日本ダートトライアル選手権などにも参戦している。また2021年には米国最長のオフロードレース"Best in the Vegas to Rino"にサイド・バイ・サイド・ビークルで参戦し、UTVスポーツマンクラスで優勝している[4]

2021年発売の300系ランドクルーザーの主査である横尾は、三浦のフィードバックを受けながら基本設計の構想を練ったとしている[5]

エピソード

  • 名前を昴(すばる)と勘違いされることが多く、大手のメディアや著名なジャーナリストでも「昴」と誤記することがしょっちゅうなので、『三浦昴』で探したほうが情報が見つけやすいことも多い。が、正しくは昂(あきら)である。
  • 200系ランドクルーザーの最初(2009年)と、最後(2022年)のダカール活動に関わっている。
  • トヨタ自動車社長の豊田章男がDJを務めるラジオ番組、『DJ MORIZO HANDLE THE MIC』に複数回ゲスト出演した、数少ないドライバーである。

脚注

  1. ^ 南山のDNA 先輩インタビュー 三浦 昂 さん南山大学
  2. ^ THE CROSS ROAD TOYOTA GAZOO Racing
  3. ^ 過去の戦績チームランドクルーザー
  4. ^ [全米最長のオフロードレースで日本人選手が初参戦クラス優勝! マシンに装着されたタイヤとは]くるまのニュース 2022年1月31日閲覧
  5. ^ 新型ランドクルーザーの走りはいかに育まれたのか【インタビュー編】トヨタイムズ 2022年1月14日閲覧

関連項目