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大枝継吉

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大枝継吉
時代 平安時代初期
生誕 不明
死没 不明
官位 正五位下鋳銭長官
主君 平城天皇嵯峨天皇
氏族 大枝氏
父母 父:大枝菅麻呂
総成、氏子
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大枝 継吉(おおえ の つぐよし)は、平安時代初期の貴族遠江守・大枝菅麻呂の子。官位正五位下鋳銭長官

経歴

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平城朝大同3年(808年)鋳銭業務の功労により従五位下叙爵する。嵯峨朝初頭の弘仁元年(810年鋳銭司が帳簿に登録されていない余剰のを用いて新銭(隆平永宝)1040貫を鋳造して貢進したことから、鋳銭長官・三島年嗣ら鋳銭司官人に対する叙位が行われ、継吉は従五位上に叙せられた。

まもなく鋳銭長官に昇格すると、弘仁2年(811年山城介、弘仁3年(812年伯耆守と地方官も兼ね、弘仁4年(813年正五位下に至る。

官歴

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日本後紀』による。

系譜

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  • 父:大枝菅麻呂[1]
  • 母:不詳
  • 生母不明の子女

脚注

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  1. ^ a b c 鈴木真年『百家系図稿』巻10,土師連諸流

参考文献

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