大泊 (砕氷艦)
大泊 | |
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竣工直後、神戸港での「大泊」[1] | |
基本情報 | |
建造所 | 川崎造船所[2] |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 | 砕氷艦[3] |
母港 |
舞鶴 1922年12月1日以降 横須賀[4] |
艦歴 | |
計画 | 大正9年度計画(八八艦隊案[5]) |
起工 | 1921年6月24日[6] |
進水 | 1921年10月3日[7] |
竣工 | 1921年11月7日[2] |
除籍 | 1945年9月15日[8] |
その後 |
1949年10月解体開始[9] 1950年3月解体終了[9] |
要目 | |
排水量 |
2,700英トン[10][11] 1938年 2,946トン[12] |
基準排水量 | 公表値 2,330英トン[2] |
常備排水量 | 2,830英トン[13] |
全長 | 約211 ft 0 in (64.31 m)[14] |
垂線間長 |
200 ft 0 in (60.96 m)[10] 公表値 60.95m[2][注釈 1] |
最大幅 |
50 ft 6 in (15.39 m)[10] 公表値 15.24m[2] |
深さ | 8.38m[15][注釈 2] |
吃水 |
18 ft 3 in (5.56 m)[10] 公表値 6.40m[2][注釈 3] |
ボイラー |
片面煙管戻火式缶5基(1923年時)[10] 円缶5基(1931年時)[11] |
主機 | 直立3気筒3段レシプロ2基[12] |
推進 | 2軸[10] |
出力 |
4,000hp[10] 4,230hp[要出典] |
速力 |
13.5ノット[10][注釈 4] 公表値 13.0ノット[2] |
燃料 | 石炭庫容量 500英トン[10](508トン[12]) |
乗員 | 竣工時定員78名[16] |
兵装 |
竣工時[10] 40口径安式8cm単装砲 1門 1938年[12] 40口径三年式8cm高角砲 1門 毘式7.7mm機銃2挺 最終時 8cm砲 1門[14] 25mm機銃2挺[9] 13mm機銃6挺[9] 爆雷[14] |
搭載艇 | 4隻[10] |
その他 | 2mの砕氷能力[1] |
大泊(おおとまり/おほとまり[17])は日本海軍の砕氷艦。日本で建造された最初の砕氷艦でもある。艦名は亜庭湾北部の大泊港にちなむ[18]。同型艦はない。
計画
[編集]日本海軍には、北洋警備の重要性に対する認識はあったものの、高い砕氷能力を持った艦の建造には至らなかった。しかし、1920年(大正9年)に尼港事件が発生した際、氷海での行動力を持った艦を保有していなかったため、救援に失敗したことが教訓となり、大正9年度計画の能登呂型給油艦のうち1隻を砕氷艦に変更[19]し、大正10年度軍備補充費[17]で本艦が建造された。
艦型
[編集]艤装はロシアの砕氷船「ドブルニア・ニキチッチ」を調査した結果を基にしていた[20]が、羅針艦橋が開放式で防寒防風波浪への対応には天幕を張るだけだったこと、冬季における寒さ対策が十分でなかったこと、船体の強度が不十分だったことなどから、後に羅針艦橋を全周密閉式として室内に木材を張りガラス窓としたり[21]、中央構造物から艦尾に達するプープデッキを増設して居住区とし、さらに艦首に衝角状の突起を設けて艦首の強度を高める[22]などの対策が施された。
約1mの厚さの氷盤を割るときは、艦首を氷盤の上に乗り上げてから、艦首部の海水タンクにポンプで海水を満たし、艦自身とタンク内の海水の重量で氷を上から押し曲げて割っていた[23]。2mの砕氷能力を持つとされたが、実際の砕氷能力や連続砕氷能力はこれより小さいはずだった[24]。
運用
[編集]竣工後、舞鶴鎮守府、次いで横須賀鎮守府に籍を置いたが、春季から夏季にかけて函館、大湊[25]、あるいは横須賀に帰投し修理や乗員の交代を行った時以外は一貫して北洋で行動し、日本海軍唯一の砕氷艦として北方全般の警備、航路啓開、漁業の保護に多大な貢献を果たした。海人社は本艦を「間宮に匹敵する功労艦」と評価している[26]。また、1930年から1941年までの間、断続的にオホーツク海での流氷原の調査を行なっている[27]。
太平洋戦争前に大湊警備府附属[25]となり、戦時中は主として宗谷海峡や亜庭湾で行動[25]し、ソ連船の臨検などを行った。1945年7月20日、補修整備のため横須賀に入港[25]し同地で終戦を迎えた。
1938年3月、日本海軍は本艦の老朽化、砕氷能力の低さ、そして砕氷艦が一隻しかないことを問題視し、新砕氷艦の建造と合わせ2隻の耐氷型貨物船を購入し砕氷艦に改造する計画が検討された。しかし、結局海軍は「地領丸」を特務艦「宗谷」に改装したのみで、その宗谷も戦局の逼迫に伴い南洋に回されてしまい、本艦に代わる砕氷艦は終戦まで出現しなかった[28]。
1945年12月1日、横須賀地方復員局所管の特別輸送艦に指定された[29]が、艤装や缶の損耗が著しく整備に多額の費用がかかるため使用されず、日本鋼管鶴見造船所の岸壁に係留され、1946年5月7日には特別輸送艦の指定を解かれた[30]。後に長浦港に曳航され係留。砕氷能力があるため海上保安庁の北洋用巡視船として使用する計画もあったが、修理費がかさむために見送られ、1949年10月から1950年3月にかけて解体された[31]。本艦の退役後、冬季の北洋警備を担う砕氷船は長らく存在しなかった。1960年にようやく耐氷改造された旧海軍海防艦つがるが第一管区海上保安本部に配属、本格的な砕氷性能を有する巡視船「宗谷」(上記の特務艦宗谷と同一の船)が南極観測任務を解かれ第一管区に配備されるのは1963年4月のことである。
艦長
[編集]- 艤装員長
- 特務艦長/艦長
- (心得)國生行孝 大尉:1921年11月7日[33] - 1921年11月15日[34]
- 吉武純蔵 中佐:1921年11月15日[34] - 1922年11月10日[35]
- 太田質平 中佐:1922年11月10日[35] - 1923年10月15日[36]
- 佐藤英夫 中佐:1923年10月15日[36] - 1924年10月25日[37]
- 毛内効 中佐:1924年10月25日[37] - 1925年7月1日[38]
- (兼)平山栄 大佐:1925年7月1日[38] - 1925年8月1日[39] (本職:北上艦長)
- 石川眞吾 中佐:1925年8月1日[39] - 1926年11月1日[40]
- 大野功 中佐:1926年11月1日[40] - 1927年12月1日[41]
- 山縣少介 中佐:1927年12月1日[41] - 1928年3月25日[42]
- (兼)小山泰治 中佐:1928年3月25日[42] - 1928年5月1日[43] (本職:大湊防備隊司令)
- 曾我清市郎 中佐:1928年5月1日[43] - 1929年5月1日[44]
- 山田定男 中佐/大佐:1929年5月1日[44] - 1930年12月1日[45]
- 鬼俊民 中佐:1930年12月1日[45] - 1931年11月2日[46]
- 草川淳 中佐:1931年11月2日[46] - 1932年11月15日[47]
- 居谷吉春 中佐:1932年11月15日[47] - 1933年11月15日[48]
- 塚原胤一 中佐/大佐:1933年11月15日[48] - 1934年11月15日[49]
- 宮里秀徳 中佐/大佐:1934年11月15日[49] - 1935年11月15日[50]
- 森田一男 中佐:1935年11月15日[50] - 1936年11月2日[51]
- 江口松郎 中佐/大佐:1936年11月2日[51] - 1938年12月15日[52]
- 門前鼎 大佐:1938年12月15日[52] - 1939年11月15日[53]
- 村山清六 大佐:1939年11月15日[53] - 1940年11月1日[54]
- 今村幸彦 大佐:1940年11月1日[54] - 1942年6月15日[55]
- 岡恒夫 大佐:1942年6月15日[55] - 1943年12月5日[56]
- 千葉次雄 大佐:1943年12月5日[56] - 1944年2月26日[57]
- 千知波長次 大佐:1944年2月26日[57] - 1945年10月5日[58][注釈 5]、以後1946年1月8日まで特務艦長および艦長の発令無し。
- 戸村清 第二復員官:1946年1月8日[59] - 1946年3月20日[60]、以後艦長の発令無し。
注釈
[編集]- ^ #日本補助艦艇物語pp.388-389では60.05mになっている。
- ^ #終戦時の日本海軍艦艇p.101では、深さ20 ft 0 in (6.10 m)となっているが、吃水に比べて明らかに値が小さい。
- ^ #日本補助艦艇物語pp.388-389では6.04mになっている。
- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第四その二「昭和十三年三月調艦艇要目等一覧表 その二 潜水艦、水雷艇、特務艦、特務艇、新造艦船」では14ノットとされている。ただし、この年の特務艦の速力は他艦を含めて全て小数点以下は記載されていない。
- ^ 充員召集を解除されたことによる自動解職。
脚注
[編集]- ^ a b #日本海軍全艦艇史p.870
- ^ a b c d e f g #昭和15年6月25日現在 内令提要 10版 追録第7号原稿画像7、艦船要目公表範囲
- ^ #海軍制度沿革巻八p.104、大正十年八月三日(達一五四) 特務艦類別等級別表中左ノ通改正ス 運送艦ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |砕氷艦| |大泊|(原文は縦書き)
- ^ #写真日本の軍艦第13巻p.51。
- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1p.271
- ^ 大正10年6月24日付 発・川崎造船所社長松方幸次郎、宛・艦政本部長電報。アジア歴史資料センター レファレンスコード C08050173600 で閲覧可能。
- ^ 大正10年10月3日付 発・呉鎮守府司令長官、宛・海軍大臣電報。アジア歴史資料センター レファレンスコード C08050173600 で閲覧可能。
- ^ #写真日本の軍艦第13巻p.47。
- ^ a b c d #写真日本の軍艦第13巻p.52。
- ^ a b c d e f g h i j k #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第二その三「大正十二年三月調艦艇要目等一覧表 その三 潜水艦、水雷艇、特務艦」
- ^ a b #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第三その三「昭和六年三月調艦艇要目等一覧表 その三 潜水艦、水雷艇、特務艦」
- ^ a b c d #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第四その二「昭和十三年三月調艦艇要目等一覧表 その二 潜水艦、水雷艇、特務艦、特務艇、新造艦船」
- ^ #日本海軍艦船名考242頁。
- ^ a b c #終戦時の日本海軍艦艇p.101
- ^ #昭和造船史1pp.794-795
- ^ 大正10年11月7日付 海軍内令 第425号制定、海軍定員令 「第77表 砕氷艦定員表」。士官3、特務士官2、准士官2、下士官14、兵57。
- ^ a b 大正10年5月30日付 海軍大臣達 第104号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070078800 で閲覧可能。おおどまりではない。
- ^ 『日本海軍艦船名考』243ページ。
- ^ 世界の艦船 『日本海軍特務艦船史』、p. 140。
- ^ 大正10年11月9日付 発・海軍大臣、宛・舞鶴鎮守府司令長官電報。アジア歴史資料センター レファレンスコード C08050173700 で閲覧可能。
- ^ 大正10年11月10日付 海軍艦政本部 艦本第8849号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C08050173700 で閲覧可能。
- ^ 丸スペシャル『特務艦』、p. 53。
- ^ 『世界の砕氷船』48ページ。
- ^ #日本海軍特務艦船史p.36
- ^ a b c d 丸スペシャル『特務艦』、p. 49。
- ^ 世界の艦船 『日本海軍特務艦船史』、p. 37。
- ^ 『歴史群像太平洋戦史シリーズ37 帝国陸海軍補助艦艇』学習研究社、2002年、17ページ
- ^ 『世界の砕氷船』49ページ。
- ^ 昭和20年12月1日付 第二復員省内令 第6号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070534400 で閲覧可能。
- ^ 昭和21年5月7日付 第二復員省内令 第65号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070534900 で閲覧可能。
- ^ 丸スペシャル『特務艦』、p. 54。
- ^ 大正10年10月3日付 官報第2752号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2954867 で閲覧可能。
- ^ a b 大正10年11月9日付 官報第2782号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2954897 で閲覧可能。
- ^ a b 大正10年11月16日付 官報第2788号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2954904 で閲覧可能。
- ^ a b 大正11年11月11日付 官報第3085号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2955203 で閲覧可能。
- ^ a b 大正12年10月18日付 官報第3347号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2955492 で閲覧可能。
- ^ a b 大正13年10月27日付 官報第3654号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2955802 で閲覧可能。
- ^ a b 大正14年7月2日付 官報第3857号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2956005 で閲覧可能。
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- ^ a b 大正15年11月2日付 官報第4258号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2956408 で閲覧可能。
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- ^ a b 昭和6年11月4日付 官報第1455号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2957923 で閲覧可能。
- ^ a b 昭和7年11月16日付 官報第1765号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2958236 で閲覧可能。
- ^ a b 昭和8年11月16日付 官報第2064号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2958537 で閲覧可能。
- ^ a b 昭和9年11月16日付 官報第2364号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2958840 で閲覧可能。
- ^ a b 昭和10年11月16日付 官報第2663号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959142 で閲覧可能。
- ^ a b 昭和11年11月4日付 官報第2953号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959435 で閲覧可能。
- ^ a b 「昭和13年12月15日付 海軍辞令公報 号外 (部内限) 第273号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074800
- ^ a b 「昭和14年11月15日付 海軍辞令公報 (部内限) 第402号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076700
- ^ a b 「昭和15年11月1日付 海軍辞令公報 (部内限) 第550号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079300
- ^ a b 「昭和17年6月15日付 海軍辞令公報 (部内限) 第880号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072085800
- ^ a b 「昭和18年12月6日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1274号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072094700
- ^ a b 「昭和19年2月28日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1347号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072096000
- ^ 「昭和20年10月24日付 海軍辞令公報 甲 第1962号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072141400
- ^ 「昭和21年1月31日付 第二復員省辞令公報 甲 第48号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072158400
- ^ 「昭和21年4月11日付 第二復員省辞令公報 甲 第104号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072158900
参考文献
[編集]- アジア歴史資料センター(公式)
- Ref.C12070078800『海軍大臣達「5月」』(大正10年5月)
- Ref.C13071989600『昭和15年6月25日現在 内令提要 10版 追録第7号原稿/巻1 追録/第6類 機密保護』。
- 赤井謙一 『世界の砕氷船』成山堂 2010年。ISBN 978-4-425-77171-4
- 浅井将秀/編『日本海軍艦船名考』東京水交社、1928年12月。
- 海老原惇ほか『日本軍艦史』海人社、1995年(『世界の艦船』1995年8月号増刊)。
- 海軍省 編『海軍制度沿革 巻八』 明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。
- 『世界の艦船 増刊第47集 日本海軍特務艦船史』(海人社、1997年3月号増刊、第522集)。
- 「樺太方面を行動中の砕氷艦「大泊」」『世界の艦船』633号、海人社、2004年。
- (社)日本造船学会 編『昭和造船史(第1巻)』 明治百年史叢書 第207巻(第3版)、原書房、1981年(原著1977年10月)。ISBN 4-562-00302-2。
- COMPILED BY SHIZUO FUKUI(福井静夫), ed (1947-04-25). JAPANESE NAVAL VESSELS AT THE END OF WAR(終戦時の日本海軍艦艇). ADMINISTRATIVE DIVISION, SECOND DEMOBILIZATION BUREAU(第二復員局)
- 福井静夫『日本補助艦艇物語』 福井静夫著作集第10巻、光人社、1993年。ISBN 4-7698-0658-2。
- 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1。
- 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。
- 丸スペシャル No. 34 日本海軍艦艇シリーズ 『特務艦』、潮書房、1979年。
- 雑誌「丸」編集部 編『写真 日本の軍艦 第13巻 小艦艇I』光人社、1990年8月。ISBN 4-7698-0463-6。