永井尚佐
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永井尚佐 | |
時代 | 江戸時代後期 |
生誕 | 1783年(天明3年) |
死没 | 1839年6月28日(天保10年5月18日) |
改名 | 友吉(幼名)→直弼(初名)→尚佐 |
諡号 | 仁山義顕正改院 |
官位 | 従五位下、山城守、出羽守、肥前守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉→家慶 |
藩 | 美濃加納藩主 |
氏族 | 太田氏→永井氏 |
父母 | 父:太田直熹、養父:永井直旧 |
妻 | 正室:戸田忠寛の娘 |
子 | 尚典、贇成、直幹、岡田善功正室、永井尚応正室、酒井忠毗継室 |
永井 尚佐(ながい なおすけ)は、美濃加納藩の第4代藩主。尚庸系永井家7代。
旗本太田直熹(永井尚備の次男)の次男。官位は従五位下、山城守、出羽守、肥前守。幼名は友吉、初名は直弼。
経歴
[編集]寛政2年(1790年)10月29日、先代永井直旧が嗣子なくして死去したため、従弟にあたる尚佐が末期養子となって9歳で家督を継いだ。寛政10年(1798年)12月16日、従五位下山城守に叙任された。後に出羽守、肥前守に改める。幕府から大坂加番を命じられた。寛政10年から翌年にかけて、領内では洪水を契機として百姓一揆が起こり、藩政では多難を極めた。
文化5年(1808年)、諱を直弼から尚佐と改めた。文政2年(1819年)7月8日、奏者番に任じられた。西の丸年寄を経て文政10年12月20日、若年寄に任じられた。のち大御所徳川家斉付となった。
天保10年(1839年)5月18日、57歳で死去した。法号は仁山義顕正改院。跡を次男の尚典が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- お喜勢 ー 肥前国島原藩主戸田忠寛の娘
側室
- 浦江
子女