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滋野家訳

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滋野 家訳
時代 平安時代初期
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位上尾張守
主君 桓武天皇平城天皇嵯峨天皇
氏族 伊蘇志滋野宿祢→朝臣
貞主貞雄
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滋野 家訳(しげの の いえおさ)は、平安時代初期の貴族氏姓は伊蘇志臣のち滋野宿祢、滋野朝臣。官位従五位上尾張守

経歴

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桓武朝延暦17年(798年)伊蘇志臣から滋野宿祢に改姓する。

弘仁3年(812年従五位下尾張介に叙任され、弘仁6年(815年内位の従五位下に叙せられると同時に尾張守に昇格するなど、嵯峨朝前半に尾張国の国司を歴任した。

嵯峨朝末の弘仁13年(822年)従五位上に至り、翌弘仁14年(823年宿禰姓から朝臣姓に改姓している。

官歴

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日本後紀』による。

系譜

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脚注

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出典

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  1. ^ 『日本文徳天皇実録』仁寿2年2月8日条
  2. ^ 『日本三代実録』貞観元年12月22日条

参考文献

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