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贄川宿

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木曽海道六十九次 贄川(歌川広重画)

贄川宿(にえかわじゅく)は、中山道33番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県塩尻市木曽路十一宿の最北端の宿場[1]

特徴

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天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、贄川宿の宿内家数は124軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠25軒で宿内人口は545人であった。

古くは温泉があって「熱川」と書かれた。温泉が枯れてからは現在の漢字を当てるようになった。宿の創設は天文年間。木曽路最初の宿場で、北の入口に関所があり、福島関所の補助的役割をはたした。

贄川宿付近
歌川国芳木曽街道六十九次之内 三十四 熱川 武内宿禰甘美内宿禰

交通手段

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史跡・みどころ

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贄川宿内

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贄川関
贄川関所[2]・木曽考古館
復元された番所に関所関連の資料を展示する。階下は考古館で縄文時代土器石器を展示する。
深澤家住宅
蔵2棟を含む建造物3棟と宅地が国の重要文化財に指定されている。深澤家は加納屋を屋号とする贄川屈指の商家で、主屋は嘉永7年(1854年)、北蔵は文政4年(1821年)、南蔵は文久2年(1862年)に建築されたものである。主屋は切妻造、平入り、2階建、鉄板葺きで、桁行(間口)10.6メートル、梁間(奥行)17.3メートルと、奥行きの長い建物である。内部は縦2列に8室を配する間取りで、下手(向かって右)に通り土間を設ける。2階は表側と裏手に各1室を設ける。当住宅は建築年代が明らかであり、蔵も含めた屋敷構えがよく残され、江戸時代末期の宿場の町家の状況を伝える建物として貴重である。[3]
水場

奈良井宿までの道中

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贄川のトチノキ
長野県天然記念物。樹齢600年以上と推定されている。
押込一里塚
道の駅木曽ならかわ
2階の「木曽くらしの工芸館」では、長野オリンピックのメダルの制作工程も展示されている。
諏訪神社
木曽平沢の町並み
木曽漆器の店が軒を並べ、毎年6月の漆器祭には多くの観光客が訪れる。
木曽漆器館[4]
漆器製作の工程や作品を展示する。

ゆかりの人々

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三代目歌川豊国「熱川諏訪社・勝頼

隣の宿

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中山道
本山宿[注釈 1] - 贄川宿 - 奈良井宿

注釈

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  1. ^ 中山道江戸時代初期に大久保長安によって整備された当初の初期中山道では、塩尻宿 - 洗馬宿 - 本山宿のルートを通らず、下諏訪宿から小野峠 - 小野宿 - 牛首峠を通って桜沢(塩尻市贄沢)に抜け贄川宿を結ぶ最短経路であった[5]

脚注

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  1. ^ 歴史と町並みを探訪する 長野県の街道〜中山道〜”. 長野県大阪観光情報センター. 2021年11月11日閲覧。
  2. ^ 塩尻市公式ホームページ - 贄川関所
  3. ^ 「新指定の文化財」『月刊文化財』502号、第一法規、2005、pp.16 - 18
  4. ^ 木曽観光連盟 - 木曽漆器館
  5. ^ 初期中山道ウォーキング”. 塩嶺王城観光開発協議会、商工会議所中山道交流事業. 2023年5月4日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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