飯田信夫
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飯田 信夫 | |
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1955年 | |
基本情報 | |
出生名 | 飯田 信夫 |
生誕 | 1903年5月25日 |
出身地 | 日本大阪府大阪市 |
死没 | 1991年8月19日(88歳没) |
学歴 | 東京帝国大学卒業 |
ジャンル | 映画音楽 |
職業 | 作曲家 |
飯田 信夫(いいだ のぶお、1903年(明治36年)5月25日 ‐ 1991年(平成3年)8月19日)は、昭和期の作曲家、指揮者。妻は女優の夏川静江。娘に女優の夏川かほる。
経歴
[編集]大阪市出身。1924年松本高等学校理科甲類卒業、1930年東京帝国大学工学部鉱山学科卒業。
1935年(昭和10年)公開されたJ.O.スタヂオ映画『百万人の合唱』(主題歌の作曲も担当)を始め、東宝映画『鶴八鶴次郎』、『上海』、『忠臣蔵』、『皇道日本』、『娘時代』、『秀子の車掌さん』、『戦争と平和』、『異國の丘』、『若い娘たち』など戦前・戦後と多くの東宝映画の映画音楽作曲家とし活躍する一方、『隣組』、『歩くうた』、『朝だ元気で』、『紫のタンゴ』などの流行歌の作曲も多く手掛けた。
このほか、電電公社などの社歌・団体歌、全国の小・中・高・大学校歌の作曲も多く手掛けた。
1991年(平成3年)8月19日死去。享年88。
主な作品
[編集]管弦楽曲
[編集]- 祝祭典序曲(1936年)
- 夏祭り(JOAK委嘱による「国民詩曲」のひとつとして作曲)
- 舞踊曲「仏教東漸」(皇紀2600年奉祝曲)
映画音楽
[編集]- 上海 -支那事変後方記録-(1938年、亀井文夫監督)
- 巨人傳(1938年、伊丹万作監督)
- 阿波の踊子(1941年、マキノ正博監督)
- 秀子の車掌さん(1941年、成瀬巳喜男監督)
- 戦争と平和(1947年、山本薩夫・亀井文夫監督)
- 春のめざめ(1947年、成瀬巳喜男監督)
- 異国の丘(1949年の映画、渡辺邦男監督)
- 女の一生(1949年、亀井文夫監督)
- 月よりの使者(1949年、田坂具隆監督)
- 殿様ホテル(1949年、倉田文人監督)
- こんな女に誰がした(1949年、山本薩夫監督)
- 銀座三四郎(1950年、市川崑監督)
- ブンガワンソロ(1951年、市川崑監督)
- 母なれば女なれば(1952年、亀井文夫監督)
- 女ひとり大地を行く(1953年、亀井文夫監督)
- 芸者小夏(1954年、杉江敏男監督)
- 人間魚雷回天(1955年、松林宗恵監督)
- ノンちゃん雲に乗る(1955年、倉田文人監督)
- 芸者小夏 ひとり寝る夜の小夏(1955年、青柳信雄監督)
- 若い樹(1956年、本多猪四郎監督)
歌謡曲
[編集]校歌など
[編集]- 宮崎県民歌
- 光あらたに(神奈川県県民歌)
- 朝日大学学歌
- 福岡大学校歌
- 福岡大学第一応援歌
- よき友(明海大学歯学部歌)
- 石川県立小松高等学校
- 広島県立因島北高等学校[1]
- 白馬村立白馬中学校
- 陸前高田市立広田中学校
- 堺市立英彰小学校
- 久喜市立江面第二小学校
- 両国予備校校歌
- 世田谷区立桜町小学校
- 北海道本別高等学校
- 幸手市立西中学校
- 鹿島建設社歌
- 東芝社歌
- 日産自動車社歌
- 市川市立国分小学校
脚注
[編集]- ^ 広島県立因島北高等学校創立30周年記念誌 『鉄魂』