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高橋峻希

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高橋 峻希
名前
愛称 シュンキ
カタカナ タカハシ シュンキ
ラテン文字 TAKAHASHI Shunki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1990-05-04) 1990年5月4日(34歳)
出身地 埼玉県朝霞市
身長 170cm
体重 70kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 いわてグルージャ盛岡
ポジション FW (RWG) / MF (RSH) /
DF (RSB)
背番号 6
利き足 右足
ユース
2006-2008 日本の旗 浦和レッズ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2009-2013 日本の旗 浦和レッズ 53 (1)
2012-2013 日本の旗 ジェフユナイテッド千葉 (loan) 47 (1)
2014-2018 日本の旗 ヴィッセル神戸 116 (6)
2019-2021 日本の旗 柏レイソル 48 (0)
2022-2023 日本の旗 V・ファーレン長崎 38 (0)
2024- 日本の旗 いわてグルージャ盛岡
代表歴2
2005-2007 日本の旗 日本U-17 7 (0)
2009 日本の旗 日本U-20
1. 国内リーグ戦に限る。2024年1月28日現在。
2. 2010年3月3日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

高橋 峻希(たかはし しゅんき、1990年5月4日 - )は、埼玉県朝霞市出身のプロサッカー選手Jリーグいわてグルージャ盛岡所属。ポジションは右サイドハーフ右ウイング右サイドバック

来歴

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プロ入り前

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中高生年代では、ジュニアユース、ユースと浦和レッドダイヤモンズの下部組織に所属。ジュニアユース時、キャプテンを務めていた2005年に、高円宮杯U-15で優勝を飾った。

全日制高校に進学したものの、浦和レッドダイヤモンズのトップチームに上がることがきっかけで第一学院高等学校へ転校。転校してからは、サッカーの練習の合間を縫ってキャンパスに週1~2回程度登校。[1]

2006年AFC U-17選手権U-17日本代表として参加。続いて2007年8月に行なわれたU-17W杯にも出場。本職の右サイドハーフではなく右サイドバックを務め、3試合に出場した。また、2007年から浦和レッドダイヤモンズサテライト山田直輝と共にたびたび出場。2007年のサテライトリーグでは6試合に出場、1得点、翌2008年のサテライトリーグでも5試合に出場した。

2008年U-23日本代表との練習試合でゴールを決める。4月に、2種登録選手としてトップチーム登録され[2]5月10日、対川崎フロンターレ戦にて初のベンチ入りを果たした。また、5月25日ナビスコカップ第4節、対名古屋グランパス戦で公式戦初出場を果たすが、自身のパスミスから失点するなど、苦いデビュー戦となった。その後のナビスコ第5節、対ヴィッセル神戸戦、第6節名古屋グランパス戦にも連続出場。第6節では先発し、フル出場を果たしている。7月31日さいたまシティカップ、対バイエルン・ミュンヘン戦に後半途中出場、縦への突破から相手ゴールを脅かした。ユースでは10月13日高円宮杯U-18決勝の名古屋U-18戦では2得点1アシストをあげ、優勝に貢献した。AFC U-19選手権2008に出場するU-19サッカー日本代表に選出されるも、体調不良のため辞退した。

浦和レッズ

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2009年、山田直輝、濱田水輝永田拓也とともにトップ昇格[3]。怪我により出遅れていたが、5月10日川崎フロンターレ戦、後半18分に途中交代で投入され、リーグ初出場を果たした。以後、左右のサイドハーフとして途中出場で投入されるケースが増え、5月30日ナビスコカップ第4節、対アルビレックス新潟戦では、フル出場を果たした。リーグ初先発は、7月4日、対モンテディオ山形戦。累積警告によって出場停止の山田暢久に代わって右サイドバックとして先発、後半は左サイドバックに移り、フル出場した。7月11日の対サンフレッチェ広島戦では、左サイドバックとして先発するなど、多様なポジションで起用されていた。その後は負傷などもありしばらく試合から離れていたが、再び山田暢久が出場停止となった影響で10月3日の対ジェフユナイテッド市原・千葉戦に久々に右サイドバックで先発出場、その試合でプロ初ゴールを記録し、11月8日の対FC東京戦ではプロ初アシストも記録した[4]。12月19日、U-20代表の国際親善試合、対韓国戦に出場。山田直輝へのパスで1アシストをマークした。

2010年、シーズン序盤から度重なる負傷に苛まれ、復帰しては離脱を繰り返す苦しいシーズンを送っていたが、ようやく負傷が癒えたシーズン終盤からは右サイドハーフのスタメンに定着、鋭いドリブル突破とセンタリングから得点に結びつくプレーを披露し、復調をアピールした。

2011年はプレシーズンマッチ、開幕戦とベンチ入りメンバーからも外れていたが、東日本大震災での中断期間中に行われたモンテディオ山形とのトレーニングマッチで右サイドバックのレギュラーだった平川忠亮が故障したため、中断明け以降は右サイドバックのレギュラーとして定着した。しかし、終盤戦は故障の影響もあり殆どの試合を欠場することになった。

2012年はスタメンが控え組で構成される試合が多かったナビスコカップでは5試合に出場したが、リーグ戦では平川忠亮、宇賀神友弥の後れを取り出場が無く、7月15日、J2ジェフユナイテッド市原・千葉期限付き移籍をすることが発表された[5]。背番号はプロ1年目と同じ33を背負う事になって、加入後は14試合出場を果たした。

2013年も期限付き移籍期間延長が発表され、ジェフユナイテッド千葉でプレーすることになった。この年は右サイドバックだけでなく、左サイドバックでもプレーした。チームはプレーオフで敗退しJ1昇格はならなかった。

ヴィッセル神戸

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2014年、J1へ復帰したヴィッセル神戸へ完全移籍[6]。背番号は2。開幕戦から右サイドバックのレギュラーポジションを確保し、J1では自己最多となるリーグ戦28試合に出場した。埼玉スタジアムで行われた第18節の古巣浦和戦では、1-1の後半に一時勝ち越しとなる恩返しゴールを決めた。(アディショナルタイムに追いつかれてドロー決着。)

2015年から背番号を6に変更。2ndステージでは開幕戦から3試合連続ゴールを記録するなど、この年はJ1リーグ戦27試合に出場して自己最多となる4ゴールを挙げた。

2016年は右サイドバックのポジションで自身初のJ1リーグ戦全試合フル出場を果たした。

柏レイソル

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2018年12月、柏レイソルへの完全移籍が発表された[7]。2021年シーズン終了後、契約満了により退団することが発表された[8]

V・ファーレン長崎

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2021年12月29日、V・ファーレン長崎へ完全移籍することが発表された[9]

2023年11月17日に契約満了を発表[10]

いわてグルージャ盛岡

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2024年1月5日、いわてグルージャ盛岡への完全移籍を発表[11]

ポジション

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サイドアタッカー。ユース時代は3トップの右ウイングとしてプレイしたが、ユース代表で右サイドバックを務めるなど、右サイドのポジションであればどこでもこなすことができる[12]。登録ポジションはミッドフィールダーだが、センターバックとゴールキーパー以外のポジションでプレー経験を持つ。プロ入り後は、主に右サイドバックとして起用されている。

人物

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山田直輝原口元気濱田水輝とともに「浦和ユース黄金世代[13]」と呼ばれた右サイドの選手。

2018年9月24日、前日開催のJ1第23節・浦和レッズ戦にてメンバー発表前にアンドレス・イニエスタの欠場を知人にLINEで伝えた事が発覚。クラブから1ヶ月間の謹慎処分を受けた。翌月23日に練習復帰[14]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2008 浦和 33 J1 0 0 3 0 0 0 3 0
2009 12 1 5 0 0 0 17 1
2010 14 0 2 0 4 0 20 0
2011 5 27 0 4 0 1 0 32 0
2012 0 0 5 1 - 5 1
千葉 33 J2 14 0 - 2 0 16 0
2013 33 1 - 2 1 35 2
2014 神戸 2 J1 28 1 5 0 1 0 34 1
2015 6 27 4 10 0 3 0 40 4
2016 34 1 6 1 3 0 43 2
2017 17 0 2 0 1 0 20 0
2018 10 0 4 0 2 0 16 0
2019 33 J2 9 0 2 0 0 0 11 0
2020 J1 20 0 5 0 - 25 0
2021 6 19 0 3 1 1 0 23 1
2022 長崎 28 J2 15 0 - 3 0 18 0
2023 23 0 - 0 0 23 0
2024 岩手 6 J3
通算 日本 J1 208 7 54 3 16 0 278 10
日本 J2 94 1 2 0 7 1 103 2
日本 J3
総通算 302 8 56 3 23 1 381 12
  • 2008年はユース所属

その他の公式戦


  • 公式戦初出場:2008年5月25日 ナビスコカップ第4節 vs 名古屋グランパス (豊田)
  • 公式戦初得点:2012年4月4日 ナビスコカップ第2節 vs ジュビロ磐田 (ヤマハ)
  • Jリーグ初出場:2009年5月10日 J1第11節 vs 川崎フロンターレ (埼玉)
  • Jリーグ初得点:2009年10月3日 J1第28節 vs ジェフユナイテッド市原・千葉 (埼玉)

代表歴

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脚注

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  1. ^ 第一学院に出会ったことが、僕のサッカー人生の第一歩でした。 - 『第一学院高等学校 先輩たちのSTORY』 2017年11月1日
  2. ^ レッズユースの高橋&山田をトップ登録[リンク切れ]
  3. ^ レッズユース4選手、加入内定について
  4. ^ 非公式記録。Jリーグではアシストを集計していない。
  5. ^ 高橋峻希 ジェフユナイテッド市原・千葉に期限付き移籍 - 浦和レッドダイヤモンズ公式サイト 2012年7月15日
  6. ^ 浦和レッズよりDF高橋峻希選手 完全移籍加入のお知らせ - ヴィッセル神戸公式サイト 2014年1月6日
  7. ^ 高橋 峻希選手 移籍加入のお知らせ - 柏レイソル公式サイト 2018年12月27日
  8. ^ 高橋 峻希選手 契約満了のお知らせ』(プレスリリース)柏レイソル、2021年12月11日https://www.reysol.co.jp/news/topteam/034583.html2021年11月13日閲覧 
  9. ^ お知らせ情報|柏レイソル Official Site”. 柏レイソル Official site. 2022年1月4日閲覧。
  10. ^ 高橋 峻希選手 契約満了のお知らせ』(プレスリリース)V・ファーレン長崎、2023年11月17日https://www.v-varen.com/news/193569.html2024年1月28日閲覧 
  11. ^ 高橋峻希選手 V・ファーレン長崎より完全移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)いわてグルージャ盛岡、2024年1月5日https://grulla-morioka.jp/tab02_team/20240105-01/2024年1月28日閲覧 
  12. ^ “【 J旬 vol.5高橋峻希(浦和レッズ)】攻守に安定感がある高橋。その資質とは?”. エル・ゴラッソ. (2011年8月4日). http://blogola.jp/p/15626 2011年8月4日閲覧。 
  13. ^ 浦和、試練を超えろ黄金世代——08年高円宮杯組の現在地と未来サッカーキング 2012年8月20日,2018年12月19日閲覧。
  14. ^ 神戸、高橋峻希に1カ月の謹慎処分を発表…浦和戦前に情報を漏えいサッカーキング 2018年10月12日

関連項目

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外部リンク

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