アイオもしくはハイオ(英語: Aio, Haio, 811年以降没)またはアイオーネ(イタリア語:Aione del Friuli)は、フリウーリ公だったと推定されている人物。おそらくの死(799年)からの任命(817年)まで任についていた。なお、808年ごろに死去したが前任者だった可能性もある。当時や後の史料には彼をフリウーリ公として言及している史料はないが、この時期に明らかにフリウーリ公の勢力が拡大しており、またアイオ以外にフリウーリ公がいたとされる証拠もない。