五所川原町(ごしょがわらまち)は、かつて青森県北津軽郡にあった町。 『五所川原町水道誌』(国会図書館所蔵)に以下の記述がある。「五所川原町は、津軽平野の中枢に位し地平平坦にして一の丘陵なく、西は岩木川に沿い遠く津軽富士の秀峰を仰ぎ、東に梵珠、大蔵の諸嶽を望み、東南北は広濶たる田野をもって囲繞せられ、街区は南北に延長し、東西に偏局せり。産業として特記すべきものなしといえども、農村四隣に環りて交通の要衝に当り、物資集散の中心地たり。昔時天将年間津軽藩の所領に帰し、五所川原村、川畑村、大曲村、大林村、中和泉村、鎌屋村の六ヶ村なりしか、貞享三年川畑村及大曲村を合併して喰川村と改め、大林村を柏原村と改め、中和泉村を平井村と改め、明治九年に至りて五ヶ村併合して五所川原村となり明治三十一年七月調整を施行するに至れり。」(旧字は適宜改め、読点を補った。)

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  • 五所川原町(ごしょがわらまち)は、かつて青森県北津軽郡にあった町。 『五所川原町水道誌』(国会図書館所蔵)に以下の記述がある。「五所川原町は、津軽平野の中枢に位し地平平坦にして一の丘陵なく、西は岩木川に沿い遠く津軽富士の秀峰を仰ぎ、東に梵珠、大蔵の諸嶽を望み、東南北は広濶たる田野をもって囲繞せられ、街区は南北に延長し、東西に偏局せり。産業として特記すべきものなしといえども、農村四隣に環りて交通の要衝に当り、物資集散の中心地たり。昔時天将年間津軽藩の所領に帰し、五所川原村、川畑村、大曲村、大林村、中和泉村、鎌屋村の六ヶ村なりしか、貞享三年川畑村及大曲村を合併して喰川村と改め、大林村を柏原村と改め、中和泉村を平井村と改め、明治九年に至りて五ヶ村併合して五所川原村となり明治三十一年七月調整を施行するに至れり。」(旧字は適宜改め、読点を補った。) (ja)
  • 五所川原町(ごしょがわらまち)は、かつて青森県北津軽郡にあった町。 『五所川原町水道誌』(国会図書館所蔵)に以下の記述がある。「五所川原町は、津軽平野の中枢に位し地平平坦にして一の丘陵なく、西は岩木川に沿い遠く津軽富士の秀峰を仰ぎ、東に梵珠、大蔵の諸嶽を望み、東南北は広濶たる田野をもって囲繞せられ、街区は南北に延長し、東西に偏局せり。産業として特記すべきものなしといえども、農村四隣に環りて交通の要衝に当り、物資集散の中心地たり。昔時天将年間津軽藩の所領に帰し、五所川原村、川畑村、大曲村、大林村、中和泉村、鎌屋村の六ヶ村なりしか、貞享三年川畑村及大曲村を合併して喰川村と改め、大林村を柏原村と改め、中和泉村を平井村と改め、明治九年に至りて五ヶ村併合して五所川原村となり明治三十一年七月調整を施行するに至れり。」(旧字は適宜改め、読点を補った。) (ja)
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  • (ja)
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prop-ja:廃止理由
  • 新設合併 (ja)
  • 新設合併 (ja)
prop-ja:廃止詳細
  • 五所川原町、栄村、中川村、三好村、長橋村、松島村、飯詰村 → 五所川原市 (ja)
  • 五所川原町、栄村、中川村、三好村、長橋村、松島村、飯詰村 → 五所川原市 (ja)
prop-ja:所在地
  • 北津軽郡五所川原町字旭町53番地 (ja)
  • 北津軽郡五所川原町字旭町53番地 (ja)
prop-ja:現在の自治体
prop-ja:自治体名
  • 五所川原町 (ja)
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prop-ja:都道府県
  • 青森県 (ja)
  • 青森県 (ja)
prop-ja:隣接自治体
  • 中川村、松島村、栄村 (ja)
  • 西津軽郡柏村 (ja)
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  • 五所川原町(ごしょがわらまち)は、かつて青森県北津軽郡にあった町。 『五所川原町水道誌』(国会図書館所蔵)に以下の記述がある。「五所川原町は、津軽平野の中枢に位し地平平坦にして一の丘陵なく、西は岩木川に沿い遠く津軽富士の秀峰を仰ぎ、東に梵珠、大蔵の諸嶽を望み、東南北は広濶たる田野をもって囲繞せられ、街区は南北に延長し、東西に偏局せり。産業として特記すべきものなしといえども、農村四隣に環りて交通の要衝に当り、物資集散の中心地たり。昔時天将年間津軽藩の所領に帰し、五所川原村、川畑村、大曲村、大林村、中和泉村、鎌屋村の六ヶ村なりしか、貞享三年川畑村及大曲村を合併して喰川村と改め、大林村を柏原村と改め、中和泉村を平井村と改め、明治九年に至りて五ヶ村併合して五所川原村となり明治三十一年七月調整を施行するに至れり。」(旧字は適宜改め、読点を補った。) (ja)
  • 五所川原町(ごしょがわらまち)は、かつて青森県北津軽郡にあった町。 『五所川原町水道誌』(国会図書館所蔵)に以下の記述がある。「五所川原町は、津軽平野の中枢に位し地平平坦にして一の丘陵なく、西は岩木川に沿い遠く津軽富士の秀峰を仰ぎ、東に梵珠、大蔵の諸嶽を望み、東南北は広濶たる田野をもって囲繞せられ、街区は南北に延長し、東西に偏局せり。産業として特記すべきものなしといえども、農村四隣に環りて交通の要衝に当り、物資集散の中心地たり。昔時天将年間津軽藩の所領に帰し、五所川原村、川畑村、大曲村、大林村、中和泉村、鎌屋村の六ヶ村なりしか、貞享三年川畑村及大曲村を合併して喰川村と改め、大林村を柏原村と改め、中和泉村を平井村と改め、明治九年に至りて五ヶ村併合して五所川原村となり明治三十一年七月調整を施行するに至れり。」(旧字は適宜改め、読点を補った。) (ja)
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  • 五所川原町 (ja)
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