嘉子内親王(かし(よしこ)ないしんのう、生薨年不詳)は、平安時代後期の皇族。小一条院敦明親王王女(三条天皇の皇孫)。伊勢斎宮。 永承元年(1046年)3月10日、前年の後冷泉天皇の即位により斎宮に卜定される。同2年(1047年)9月14日、野宮に入る。同3年(1048年)9月8日、伊勢に群行(長奉送使は侍従中納言藤原信長)。『』には、この群行の途上で馬や犬が相次いで死ぬなどの事故(触穢)や事件が多発したとある。永承6年(1051年)正月、父小一条院の薨去により退下。以後の消息は不明。

Property Value
dbo:abstract
  • 嘉子内親王(かし(よしこ)ないしんのう、生薨年不詳)は、平安時代後期の皇族。小一条院敦明親王王女(三条天皇の皇孫)。伊勢斎宮。 永承元年(1046年)3月10日、前年の後冷泉天皇の即位により斎宮に卜定される。同2年(1047年)9月14日、野宮に入る。同3年(1048年)9月8日、伊勢に群行(長奉送使は侍従中納言藤原信長)。『』には、この群行の途上で馬や犬が相次いで死ぬなどの事故(触穢)や事件が多発したとある。永承6年(1051年)正月、父小一条院の薨去により退下。以後の消息は不明。 (ja)
  • 嘉子内親王(かし(よしこ)ないしんのう、生薨年不詳)は、平安時代後期の皇族。小一条院敦明親王王女(三条天皇の皇孫)。伊勢斎宮。 永承元年(1046年)3月10日、前年の後冷泉天皇の即位により斎宮に卜定される。同2年(1047年)9月14日、野宮に入る。同3年(1048年)9月8日、伊勢に群行(長奉送使は侍従中納言藤原信長)。『』には、この群行の途上で馬や犬が相次いで死ぬなどの事故(触穢)や事件が多発したとある。永承6年(1051年)正月、父小一条院の薨去により退下。以後の消息は不明。 (ja)
dbo:wikiPageID
  • 1284125 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 869 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 80138437 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
prop-ja:wikiPageUsesTemplate
prop-ja:人名
  • 嘉子内親王 (ja)
  • 嘉子内親王 (ja)
prop-ja:全名
  • 嘉子(かし/よしこ) (ja)
  • 嘉子(かし/よしこ) (ja)
prop-ja:出生日
  • 不明 (ja)
  • 不明 (ja)
prop-ja:役職
prop-ja:死亡日
  • 不明 (ja)
  • 不明 (ja)
prop-ja:母親
prop-ja:父親
prop-ja:続柄
prop-ja:身位
dct:subject
rdf:type
rdfs:comment
  • 嘉子内親王(かし(よしこ)ないしんのう、生薨年不詳)は、平安時代後期の皇族。小一条院敦明親王王女(三条天皇の皇孫)。伊勢斎宮。 永承元年(1046年)3月10日、前年の後冷泉天皇の即位により斎宮に卜定される。同2年(1047年)9月14日、野宮に入る。同3年(1048年)9月8日、伊勢に群行(長奉送使は侍従中納言藤原信長)。『』には、この群行の途上で馬や犬が相次いで死ぬなどの事故(触穢)や事件が多発したとある。永承6年(1051年)正月、父小一条院の薨去により退下。以後の消息は不明。 (ja)
  • 嘉子内親王(かし(よしこ)ないしんのう、生薨年不詳)は、平安時代後期の皇族。小一条院敦明親王王女(三条天皇の皇孫)。伊勢斎宮。 永承元年(1046年)3月10日、前年の後冷泉天皇の即位により斎宮に卜定される。同2年(1047年)9月14日、野宮に入る。同3年(1048年)9月8日、伊勢に群行(長奉送使は侍従中納言藤原信長)。『』には、この群行の途上で馬や犬が相次いで死ぬなどの事故(触穢)や事件が多発したとある。永承6年(1051年)正月、父小一条院の薨去により退下。以後の消息は不明。 (ja)
rdfs:label
  • 嘉子内親王 (ja)
  • 嘉子内親王 (ja)
prov:wasDerivedFrom
foaf:isPrimaryTopicOf
foaf:name
  • 嘉子内親王 (ja)
  • 嘉子(かし/よしこ) (ja)
  • 嘉子内親王 (ja)
  • 嘉子(かし/よしこ) (ja)
is dbo:wikiPageWikiLink of
is prop-ja: of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of