寺前 武雄(てらまえ たけお、1913年(大正2年)6月12日 - 1998年(平成10年)10月25日)は、日本の政治家。北海道北見市出身。北海道北見市長(1975年 - 1987年、3期)。 北海道庁野付牛中学校(旧制)卒業。札幌の司法書士事務所や弁護士事務所に勤務。1938年(昭和13年)兵役に就く。1945年(昭和20年)終戦により復員。その後、北見市農業共済組合に入る。同組合長を経て、1951年(昭和26年)に地元・北見市の市議会議員選挙に出馬し、初当選。以後、市議会議員を連続6期当選し、同市議会議長も務めた。市議会議員時代は、苦学して大学入学資格検定に合格し、勤労学生として中央大学法学部通信教育課程を卒業した。1975年(昭和50年)に北見市議会議員を辞職し、北見市長選挙に出馬し現職市長の宇佐美福生を破って、初当選。以後連続3期務めた。在任中は、箱物行政と揶揄されるも、北海学園北見大学や北海学園北見女子短期大学の開学や、北海道立北見体育センターや北網圏北見文化センターの建設など文化・スポーツ・教育の各施設の充実に努めた。1987年(昭和62年)に市長を勇退。同年、グリーンズ北見代表取締役社長や北海学園北見女子短期大学経営学科客員講師に就く。1990年(平成2年)に同大学退職。1994年(平成6年)北見市名誉市民に選出される。

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  • 寺前 武雄(てらまえ たけお、1913年(大正2年)6月12日 - 1998年(平成10年)10月25日)は、日本の政治家。北海道北見市出身。北海道北見市長(1975年 - 1987年、3期)。 北海道庁野付牛中学校(旧制)卒業。札幌の司法書士事務所や弁護士事務所に勤務。1938年(昭和13年)兵役に就く。1945年(昭和20年)終戦により復員。その後、北見市農業共済組合に入る。同組合長を経て、1951年(昭和26年)に地元・北見市の市議会議員選挙に出馬し、初当選。以後、市議会議員を連続6期当選し、同市議会議長も務めた。市議会議員時代は、苦学して大学入学資格検定に合格し、勤労学生として中央大学法学部通信教育課程を卒業した。1975年(昭和50年)に北見市議会議員を辞職し、北見市長選挙に出馬し現職市長の宇佐美福生を破って、初当選。以後連続3期務めた。在任中は、箱物行政と揶揄されるも、北海学園北見大学や北海学園北見女子短期大学の開学や、北海道立北見体育センターや北網圏北見文化センターの建設など文化・スポーツ・教育の各施設の充実に努めた。1987年(昭和62年)に市長を勇退。同年、グリーンズ北見代表取締役社長や北海学園北見女子短期大学経営学科客員講師に就く。1990年(平成2年)に同大学退職。1994年(平成6年)北見市名誉市民に選出される。 (ja)
  • 寺前 武雄(てらまえ たけお、1913年(大正2年)6月12日 - 1998年(平成10年)10月25日)は、日本の政治家。北海道北見市出身。北海道北見市長(1975年 - 1987年、3期)。 北海道庁野付牛中学校(旧制)卒業。札幌の司法書士事務所や弁護士事務所に勤務。1938年(昭和13年)兵役に就く。1945年(昭和20年)終戦により復員。その後、北見市農業共済組合に入る。同組合長を経て、1951年(昭和26年)に地元・北見市の市議会議員選挙に出馬し、初当選。以後、市議会議員を連続6期当選し、同市議会議長も務めた。市議会議員時代は、苦学して大学入学資格検定に合格し、勤労学生として中央大学法学部通信教育課程を卒業した。1975年(昭和50年)に北見市議会議員を辞職し、北見市長選挙に出馬し現職市長の宇佐美福生を破って、初当選。以後連続3期務めた。在任中は、箱物行政と揶揄されるも、北海学園北見大学や北海学園北見女子短期大学の開学や、北海道立北見体育センターや北網圏北見文化センターの建設など文化・スポーツ・教育の各施設の充実に努めた。1987年(昭和62年)に市長を勇退。同年、グリーンズ北見代表取締役社長や北海学園北見女子短期大学経営学科客員講師に就く。1990年(平成2年)に同大学退職。1994年(平成6年)北見市名誉市民に選出される。 (ja)
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  • 寺前 武雄(てらまえ たけお、1913年(大正2年)6月12日 - 1998年(平成10年)10月25日)は、日本の政治家。北海道北見市出身。北海道北見市長(1975年 - 1987年、3期)。 北海道庁野付牛中学校(旧制)卒業。札幌の司法書士事務所や弁護士事務所に勤務。1938年(昭和13年)兵役に就く。1945年(昭和20年)終戦により復員。その後、北見市農業共済組合に入る。同組合長を経て、1951年(昭和26年)に地元・北見市の市議会議員選挙に出馬し、初当選。以後、市議会議員を連続6期当選し、同市議会議長も務めた。市議会議員時代は、苦学して大学入学資格検定に合格し、勤労学生として中央大学法学部通信教育課程を卒業した。1975年(昭和50年)に北見市議会議員を辞職し、北見市長選挙に出馬し現職市長の宇佐美福生を破って、初当選。以後連続3期務めた。在任中は、箱物行政と揶揄されるも、北海学園北見大学や北海学園北見女子短期大学の開学や、北海道立北見体育センターや北網圏北見文化センターの建設など文化・スポーツ・教育の各施設の充実に努めた。1987年(昭和62年)に市長を勇退。同年、グリーンズ北見代表取締役社長や北海学園北見女子短期大学経営学科客員講師に就く。1990年(平成2年)に同大学退職。1994年(平成6年)北見市名誉市民に選出される。 (ja)
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