山城屋事件(やましろやじけん)は、明治5年(1872年)、留守政府体制下で発覚した疑獄事件。 御用商人山城屋和助は陸軍省をはじめとする省庁から公金の貸付を受けていたが、損失を出して返済が不可能となった。これが発覚して陸軍省内では陸軍大輔山縣有朋の排斥運動が勃発。和助は自害、山縣も一時的に失脚した。山城屋の借り出した公金は総額約65万円であり、極めて巨額であった。