岸田 綱太郎(きしだ つなたろう、1920年3月15日 - 2006年9月13日)は、の発見、インターフェロンの研究などで知られる医学博士。ウイルスなどの侵入から体を守るタンパク質・インターフェロンの研究を1960年代から始め、1972年に日本で初めてヒトインターフェロンを人工的に生成し、肝炎や白血病の患者らに投与した。原爆投下2カ月後の広島に京都府立医大調査団の一員として赴いた経験から、京都代表を務め、核兵器反対や平和を訴える講演活動なども続けていた。 東京都出身。京都府立医科大学名誉教授。鮎川哲也賞受賞作家の岸田るり子は長女。同志社大学文学部、京都府立医科大学卒。昭和期の美術品として最初に重要文化財に指定された速水御舟の義兄でありコレクターであった有形、無形の文化財の保護に尽くしたの実息子である。 1972年に白血球インターフェロンを生成。1986年に私財を投じてを設立した。1993年にすぐき漬けからを発見したことを発表。