崔 益鉉(チェ・イッキョン、さい えきげん、ハングル: 최익현、1834年1月14日(時憲暦道光13年12月5日) - 1907年1月1日(時憲暦光武11年11月17日))は、李氏朝鮮末期の儒学者・政治家。保守的な国粋主義者で衛正斥邪運動・抗日義兵闘争を指揮したために日本によって捕えられた。字は賛謙、号は勉庵。京畿道抱川出身。本貫は慶州崔氏。