明徳の和約(めいとくのわやく)は、日本の南北朝時代の内乱の講和条約で、元中9年/明徳3年10月27日(ユリウス暦1392年11月12日)に南朝(大覚寺統)と北朝(持明院統)との間で、和議と皇位継承について締結された約定。 南北合体条件(なんぼくがったいじょうけん)とも。